これまでの研究内容
ISLAMIC“FUNDAMENTALISM”
-----『朝日キーワード別冊・国際(新版)』朝日新聞社、 1999年、所収原稿-----
《解説》
1979年のイラン・イスラーム革命以来、イスラーム圏の各地で顕在化した「イスラーム国家」「イスラーム社会」の建設運動を報じるためにマス・メディアが用いてきた用語。定義が明確でないうえ、テロリズム・イメージが強すぎるとして、学界では評判が悪い。

20世紀には世俗化・脱宗教化が地球規模で一挙に進んだが、それは一方で、伝統的な道徳観念が崩壊することへの人々の危機感を激しく煽り立てる結果となった。1970年代以降世界各所で同時並行的に発生した宗教の復興現象・政治化現象は、基本的にこの危機感から生まれたものだと言っていい。むろんイスラームの場合も例外ではなかった。

しかし、イスラム「原理主義」が突出した高揚を見せた背景には、イスラームに特有の思考法も関係していた。イスラーム復興の直接の契機となったのは、1967年の第三次中東戦争におけるアラブ諸国の大敗である。もともとイスラームはユダヤ教の誤りを正す完璧な宗教として自己規定をしており、神はイスラーム教徒にこそ栄光をもたらすと信じられてきた。しかるにいま、ユダヤ教徒の国イスラエルにアラブが敗れたのはなぜなのか。この問いに対し、多くの信徒は「自分たちが世俗化し、イスラーム法を捨てたがために、神の怒りを買った」と考えたのである。イスラーム復興はこのような自己批判、反省から始まった。

1970年代に入ると、民衆の間に広まったイスラーム復興の気運を受け、多くの国の政権も自ら「イスラーム政府」を名乗るようになる。イスラーム法に従う「イスラーム国家」「イスラーム社会」の建設・維持は、ここに、誰も批判できない国是となったのである。報道に現れる用語もかつての「反帝国主義闘争」が「聖戦」に代わるなど、イスラーム化が進み、政治をイスラームの文脈で語ることが一般化した。

とはいえ、すべての国でイスラーム政治が国是となったわけではない。たとえばイランの場合、イスラーム復興の気運は無視され、強力な西洋化が推進された。だがその結果、イラン王政はやがて「反イスラーム」のそしりを受け、79年のイスラーム革命で滅ぶことになる。

一方、イスラーム政治を国是とした国々でも、イスラームを掲げた多くの反政府運動が生まれた。各国政府の実態は、「イスラーム政府」を隠れ蓑にした一種の世俗的な軍事独裁にほかならず、活動家たちの理想とはかけ離れていたからである。1960年代以降間断なく続いた人口爆発の結果、就職難に直面した高学歴青年層と、住宅難に苦しむ大都市周辺のスラム住民が、自己の不満を表現すべくここに参入した。かくてイスラーム運動は飛躍的にその勢力を拡大し、国境を越え、世界の注目を集めて、今日に至っているのである。

《問題点・展望》
反政府イスラーム運動の隆盛を支えているのは、経済的な苦境にある高学歴青年層と都市周辺のスラム住民である。議会制とは名ばかりの独裁のもと、彼らの不満はイスラーム運動以外の代弁者をいまだ見出せずにいる。各国政府が深刻な就職難・住宅難を解決するか、自由な政治活動を認めていかないかぎり、イスラーム運動への広範な支持は続くだろう。

しかし各国の経済が好転し、政治活動が自由化されたとしても、イスラーム運動の勢力が大きく後退するとは思われない。大半のイスラーム教徒にとって、イスラーム政治こそ理想だからである。政教分離を否定するイスラーム思想の伝統が崩れないかぎり、イスラーム政治を求める運動は終息しない。各国政府がイスラーム政治を国是としている現状では、イスラーム運動の隆盛がまだまだ続くだろう。

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