これまでの研究活動
『アル=アフガーニーとイスラームの「近代」』
----- 平成10年度第1回研究会報告 -----

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日 時: 1998年7月18日(土)午後1時半より5時半
場 所: 東京大学文学部アネックス美術史学演習室
報 告: 1. 中田考(山口大学教育学部)「近代主義の継承 ― ハサン・ハナフィーによるアフガーニーの評価」
2. 飯塚正人(AA研所員)「『固き絆』誌に見るアフガーニーの思想」
本年度第1回の研究会は、当プロジェクトそのものにとっても初の研究会である。このため今回はまず、エジプトのみならず現代イスラーム世界全体を見渡しても有数の思想家と見なし得るハサン・ハナフィー博士が1997年に著した『アフガーニー没後百年』(アラビア語)の分析を通して、現代アラブ思想界におけるアフガーニーのひとつの評価を探るとともに(中田報告)、アフガーニーの主著とも言うべき雑誌『固き絆』(1884年)の内容を簡単に紹介することで(飯塚報告)、今後の共同研究への道筋をつけたいと考えた。

最初の中田報告では、まずイランや西洋の研究に比して、アラブ世界におけるアフガーニー研究が貧困でしかない、という事実が指摘され、ついでハサン・ハナフィーそのひとに関する紹介が行われた。すでに数度にわたる来日経験があり、日本でもおなじみのハナフィー博士であるが、イスラームを革命のイデオロギーと信じ、またそのように主張しているにもかかわらず、イスラーム主義者やアズハル機構(カイロ市の中心部にあるスンナ派イスラームの最高学府。教学上、最高の権威と言われる)からは、ほとんど「背教者」に近い扱いを受けているという。『アフガーニー没後百年』は、そうした状況に置かれた作者の問題意識が如実に反映された書物であり、過激武闘集団のイデオロギーと化してしまったイスラーム改革思想のいまを悼むと同時に、啓蒙的イスラームの弱体化をも嘆く、氏の悲観的現状認識に貫かれたものと言っていいだろう。

具体的に見ると、ハナフィー博士はアフガーニーの現代性として、先人を批判する勇気や歴史意識の導入、また、植民地支配からの解放と専制支配の打破(革命)を唱えた点などを挙げ、これらに対する賞賛を惜しまぬ一方、アフガーニーの思想が宗教に過剰に依拠していた点等、19世紀的な制約については、現代のムスリムが克服していかなければならない課題であるとする。現実には、アフガーニー思想のこうした側面を克服すべき課題ないし「制約」ととらえるかどうか自体、評価する側の思想的立場と密接に関わっており、ハナフィー氏とは逆に、こうした点にこそアフガーニーの真価を見出す立場も存在するであろうことは想像に難くないが、アラブの思想界がサラフィー主義イスラームと西欧的世俗主義に二極分化し固定化しつつある、現在の思想的閉塞状況を打開するためにも、サラフィー主義と世俗主義の双方から誹謗・矮小化されてきたアフガーニー思想の再生が必要である、とするハナフィー氏の議論には、当研究プロジェクトの設立趣旨とも共鳴する部分があるように思われた。なお、報告後の討論では、ハナフィー氏の主張に関する質疑応答のほか、中田報告のタイトルにあった「近代主義」の意味するところについても活発な議論が展開され、そこからさらに進んで、現代イスラームにおける思想潮流をどのように定義し分類すべきか、といった古くて新しい問題も議論の俎上にのせられた。

一方、続く飯塚報告では、『固き絆』誌に掲載された論考の中から、純粋に思想的な問題を扱った論考だけが抽出され(他の論考の大半は、同時代のイスラーム圏各地の政治動向に関する記事)、そのタイトルの分析を通じて、同誌に現れた思想の中身が簡単に紹介された。参考までに挙げておけば、同誌に繰り返し現れる思想上のテーマは、(1)地域ナショナリズムを目指すか、パン・イスラミズムを追求すべきか、の検討、(2)ウンマ(イスラーム共同体)が没落した原因の分析と治療法の提言、(3)政治的独裁および専制君主への批判などである。もっとも、飯塚報告の主題は当プロジェクトの根幹に関わるものでもあり、この日の報告では時間・内容ともに不十分であるとの指摘が参加者からなされたため、協議の結果、あらためて平成11年6月開催予定の来年度第1回研究会で扱い直すこととした。

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