共同研究プロジェクト

東南アジアにおける人の移動と文化の創造

−分科会:人の移動と政治意識・思想の形成−

平成9年度第1回研究会

日時:1997年9月19日(金)

場所:AA研セミナー室

発表者:井口由布(東京外国語大学大学院)

 

発表内容

「人の移動と文化の創造:女性・グローバル化・国民国家」

 

「人の移動と文化の創造」というテーマを議論するには、「文化」という概念を再吟味する必要があるのではないだろうか。それは、論者によって「文化」概念にかなりの開きがあり、おたがいが共有する議論の土台になりえなくなっているように見えるからである。「人の移動と文化の創造」というテーマからはおそらく、二つの異なる「文化」観が導きだされうるのではないかと考えられる。ひとつは比較文化論的な「文化」の見方である。この見方では、「文化」は実体的なもの、ひとつひとつ数えられるもの、境界をもつものと扱われ、非歴史的な概念としてたち現れる。この見方が問題をはらんでいるのは、文化的な純粋性が究極的には不可能であるからだけではなく、このような閉じられた文化の主張それ自体が「異質なもの」を生みだし排除するプロセスとなっているからである。このような文化観に抗して、「文化」なるものを扱うには、歴史を超越し固定化されたものとしての「文化」の不可能性を積極的に認めることから始められるのではないだろうか。社会的・歴史的な構築物としての「文化」完成を志向しながらその構築がけっして完了されることのない、つねに構築の仮定にあるものとしての「文化」という概念を導入する。このような見方で「人の移動と文化の創造」というテーマを再考すると、はじめに異なる閉じられた集団を前提とするのではなく、不断に続く「出会い」によってはじめて同一化の作業が行われると考えることができる。しかしながら忘れてはならないのは、この同一化の作業が不平等な力関係において行われているということである。「出会い」による同一化の作業は、現在においてはグローバル化と呼ばれる地理的に不均等に進行する現象のなかで行われているといえるのではないだろうか。つぎなる課題として提示されているのは、具体的な問題に踏み込んだ考察である。マレーシアの多国籍企業で働く女性労働者をめぐる言説がどのようにおいて形成されるのかを検討することで、グローバル化・セクシュアリティ・国民国家をめぐる問題領域のなかで、固定化された対立をずらしながらそのつどそのつど作られていくものを記述することができるのではないかと考えている。(井口由布)

 

井口氏の報告は、1996年12月に行われた当研究所主催の国際シンポジウム『東南アジアにおける人の移動と文化の創造』への不満から口火がきられた。彼女は、このシンポジウムに、マレーシアにおける労働力移動をめぐる経済的な面からの学部時代の関心と、実体的で分析可能なものとして立ち現れているように見える「文化」への修士時代の関心(疑問)を結びつけるよすがとなることを期待したという。

井口氏の不満は、共有されている前提であるはずの「人の移動」「グローバル化」「文化の変容」などの諸概念が吟味されずに使われ、論者によってその使い方に開きがあるというものだ。それにより、様々な論点はあがったが、シンポジウム全体が方向性を収斂させて一つの結論を打ち出すという決着をみせず、彼女の移動と文化をつなぐという問題関心にとっても、明確な解答を得ることはできなかったのであろう。この点については、シンポジウムが1996年に発足したAA研の重点共同研究「東南アジアにおける人の移動と文化の創造」の到着地点ではなく、出発点であったことにも原因があると思われる。今回のシンポジウムにおいては、まずは多様な論点を提出することが計画段階からの眼目であった。よって、井口氏の指摘する使用する概念の曖昧性が明らかになったことそのものが、シンポジウムの成果ともいえよう。

研究会は、プロジェクトの方向性に関する議論、及び井口氏の研究発表に対する議論の二本柱にそってすすめられた。まず、シンポジウムでも問題となった「文化」の概念について、井口氏は数えることのできる比較可能な「文化」なのか、それとも社会的歴史的な構築物としてその構築は完了されることがない過程としての文化なのかという問題提起をした。それに対して、参加した人類学者によって次のように議論された。シンポジウムにおいて、しばしば「文化」という用語は収斂すべき理想としての「伝統」の意味で用いられたが、それは前者の立場にたった文化観である。一方、人類学的な意味での文化、すなわち行為、思考などの総体としての文化は後者の立場であり、当研究会における「文化」も後者の立場をとるものとする。

また、「人の移動」については、人が生きていくこと自体が静止しているわけではなく、常に移動していると考えられるので、視点の取り方によっては、隣の村への移動から、国境を越えた移動、東南アジアの域内の移動、域外の移動、農村から都市への移動、官僚制度というナショナリズムに関わる移動、宗教的行為である巡礼といった移動など、多種多様な移動が考えられるとされた。このことは、シンポジウムの討論においても言及されていたが、さらに議論を深めるためには、移動に関しても何らかの設定を設ける必要があることが確認された。

以上、「移動」と「文化」という二つの非常に広い内容を含みうる概念によって結ばれた研究会を、一定の限定を設けることによって議論を収斂させて展開しようと意図されたのが、今年発足した各分科会である。よって、本分科会においては人の移動を政治思想・意識の形成に関連させて、次回以降共同研究がすすめられることになる。

一方、井口氏の研究発表は、マレーシアの女性労働者をとりあげ、グローバル化、女性、国民国家という三つの切り口からのアプローチをめざした。グローバル化と国民国家、グローバル化と女性、国民国家と女性といった組み合わせでの議論はすでに多く行われているが、その三つすべてを考慮にいれた論考は少なく、これら従来の議論で抜け落ちてくるのは、第三世界の女性であるという。彼女は、マレーシアの多国籍企業で働く女性をとりあげたジャミラ・アリフィンとアイワ・オンの研究から、近代性の矛盾において構築される女性たちのアイデンティティについての示唆をうけたという。これらをさらに、国民国家形成との関係で論じることが、これからの彼女の課題であるとした。すでにマレーシア留学が決定している井口氏の、これからの研究の展開を期待したい。

(西井凉子)