1996年国際シンポジウム報告
"Human Flow and Creation of New Cultures in Southeast Asia"
 
 

 標記のシンポジウムが、 文部省COEシンポジウム・プログラムの補助(研究代表:池端雪浦)を得て、 AA研の主催で、 三日間(1996年12月3〜5日)にわたり、 KKRホテル東京(竹橋)を会場として開催された。海外から9名、国内からは63名が参加した。
 このシンポジウムは1996年度より発足したAA研の重点共同研究プロジェクト「東南アジアにおける人の移動と文化の創造」に関連したもので、プロジェクト同様、急激な変化を遂げつつある東南アジア地域において人の移動が文化にどのような影響を与えているか、また与えてきたかを探る目的で実施された。(プロジェクトの趣旨については、『通信』87号を参照。)

 シンポジウムでは、特に

  1. 移民社会
  2. 国家統合とグローバライゼイション
  3. 周縁化された人々
というテーマを立て、東南アジア地域の研究者との意見交換を主目的とした。

 
プログラム
12月3日(火)

登録
開会の辞:池端雪浦(AA研所長、当時)
問題提起:宮崎恒二(AA研)

第1セッション「移民、出稼ぎ、定住」  座長:オマール・ファルク(広島市立大学) 

  1. エヴェリン・タン・クヤマール (AA研客員/アテネオ・デ・マニラ大学)

  2. 「スラウェシ海を渡る人々」
         コメント:床呂郁哉(東京大学)
  3. トン・チー・キオン(シンガポール大学)

  4. 「民族帰属意識の社会的成り立ち:シンガポールの中国人」
         コメント:森川眞規雄(同志社大学)
  5. A.マニ(シンガポール大学)

  6. 「東南アジアのインド人における統合と帰属意識の創出」
         コメント:水島司(AA研)
 
12月4日(水)

第2-Iセッション「グローバライゼイションと国家統合」(I)  座長:清水展(九州大学)

  1. マガンタル・シマンジュンタク(ブルネイ・ダルスサラム大学)

  2. 「東南アジアにおける人の移動と文化の創造に対するマレー語の影響」
         コメント:森山幹弘(東京大学)
  3. レオ・スルヤディナタ(シンガポール大学)

  4. 「東南アジアにおける華人と国家統合」
         コメント:三尾裕子(AA研)
  5. ワジル・ジャハン・カリム(マレーシア科学大学)

  6. 「ナショナリズムと文化の現実:東南アジアにおける幽霊狩り」
         コメント:ムルヤルト・チョクロウィノト(AA研客員/ガジャ・マダ大学)
第2-IIセッション「グローバライゼイションと国家統合」(II) 座長:山下晋司(東京大学)
  1. 水島司(AA研)

  2. 「共同体主義を通じての国家統合」
         コメント:富沢寿勇(静岡県立大学)
  3. アナン・ガンジャナパン(チェンマイ大学)

  4. 「地方の慣行から共同体権へ:北タイにおける共有林をめぐるたたかい」
         コメント:栗田博之(東京外国語大学)
  5. フイファン・ガオスヴァトゥン(弁護士)

  6. 「刷新、変化、維持:古都ルアン・プラバンの世界遺産指定とラオ文化」
         コメント:飯島明子
 
12月5日(木)

第3セッション「変わりゆく辺境と少数民族」 座長:内堀基光(一橋大学)

  1. ハルヨ・スハルディ・マルトディルジョ(パジャジャラン大学)

  2. 「開発計画と森林移動民の文化力学:インドネシア、ハルマヘラ島トゥグティルの例」
         コメント:上杉富之(国立民族学博物館)
  3. 西井涼子(AA研)

  4. 「系譜忘失を伴う社会における祖先:東南アジアの一国家の周縁地域におけるモスリム−仏教徒混住地域の考察」
         コメント:速水洋子(京都大学)
  5. マーティン・スミス(ジャーナリスト)

  6. 「ビルマの国家意識をめぐる未解決の問題:少数民族政策とエスニシティ」
         コメント:根本敬(AA研)
総括討論 座長:宮崎恒二(AA研)
 

論文、それに対するコメント、総合討論の概要

 池端所長による開会の後、「問題提起」で宮崎は、東南アジアの現状を把握する上での人の移動の重要性を指摘し、人の移動から現代及び過去の文化の形成を読み解く方向性を提案した。人の移動とそれに伴って生じる接触が、差異の先鋭化、他者の認識、帰属単位の拡大など、共同意識の拡大と縮小という、しばしば相反する方向性をもって作用しているという見方は、現代の状況を見る上でも、また歴史的な視角を採る上でも有効ではなかろうか、というものである。その際、議論の一つの出発点として、移動を大きく植民地化以降(産業化以降)の移動と前植民地(あるいは前産業化)的な移動とに分けて考え、その区別と移動距離の遠/近、移動規模の大/小などと対応させた。
 第1日目の午後に行われた第1セッション「移民、出稼ぎ、定住」は、移住による様々な共同体形成及び文化状況に関するものとして、設定された。
 まずエヴェリン・タン・クヤマールが、現在ではインドネシアとフィリピンに分かれている島嶼部をつなぐ役割を果たしてきたスラウェシ海に焦点を当て、往来によって形成された移民社会の歴史と現状が報告された。 移動は国境成立以前から続いており、両岸において言語的な類縁性があるが、他方、信奉する宗教や国境警備の強化などの要因も絡んできている。
 この発表に対し、床呂郁哉はスールー諸島における移動のネットワークとの比較を試み、さらにdiasporaという概念の有効性についての疑義を表明した。
 続いてトン・チー・キオンはチャン・クゥオク・ブンとの共同執筆の論文を発表した。シンガポールにおける「中国人」意識が、身体的特徴の共有を根幹に据えつつも、使用言語、宗教、教育、指向性などによって異なった定義がなされることによって、多重性・多様性をもつことを示した。
 これに対して、森川眞規雄は、人口の大部分を中国人が占めるシンガポールにおけるアイデンティティの問題は、北米などとは決定的に異なることなどを挙げ、保持されるべき文化の概念も多様性に富むことを指摘した。
 A.マニは「インド人」の東南アジア各地への移住の歴史について概略を示した後、インド人共同体の形成が、その規模、移住先の社会における政策などによって、異なる様態を示すこと、そして、国民統合の過程において、様々な言語集団からなる人々が「東南アジアのインド人」という意識を獲得するにいたったことなどを論じた。
 水島司のコメントは「インド人」でもエリートと労働者では、まったく状況が異なり、利害の共通性もないという面で、新たな局面は生じていないのではないか、というものであった。
 第2セッション「グローバライゼイションと国家統合」では、人の移動に関わる社会・文化単位の拡大と縮小について論ずる目的で設定された。なお、このセッションは2セッション分の論文を擁し、第1部、第2部として二日に渡って開催された。
 まずマガンタル・シマンジュンタクはインドネシア、マレーシア、フィリピン南部、ブルネイ、シンガポールに渡るマレー語が、それらの地域内における人の移動を容易にする要因であり、言語の共通性が文化を形成すると述べた。
 これについて、森山幹弘は言語のみが移動の動因ではないこと、また言語が文化を全面的に規定するものではない、とコメントした。
 レオ・スルヤディナタは東南アジアの華人社会が、移住国における政策の相違によって、国家との様々な関係を築き上げてきたこと、しかし、国家の政策の変化、そして中国及び台湾との外交関係が華人社会の形態にも影響を及ぼしていることを示した。さらに華人の支配的な経済力を前に、東南アジア諸国は華人政策を調整することを迫られている、と説いた。
 三尾裕子によるコメントは華人文化の復興運動に対する東南アジア諸国の反応、また経済的な支配力と文化の関係についてのものであった。
 ワジル・ジャハン・カリムの発表は、東南アジアの経済発展に伴う労働力の移動がナショナリズムに及ぼす影響について論じた。多民族国家として出発したマレーシアにおいては、新たに出現した中流階級を基盤として、近年流入した外国人労働者に対する猜疑心、不安などが、それまであった民族間対立を止揚する形で国民意識が形成されつつある、というものであった。
 これについて、ムルヤルト・チョクロウィノトは、異人恐怖が容易に階級間から民族間の関係に再び転移しうること、また流入する労働者の側の視点を検討する必要性を指摘した。
 水島司による発表は、脱植民地期の国家形成過程における民族政策に関するものであった。水島によれば、決定的な多数者集団を欠いた状態でのマレーシアの独立は、それ以降の政治過程において民族集団毎の結集をはかり、すべてを糾合した上で政治参加させる方向へと進んだ。しかし、経済発展が順調に進まなくなった場合、この方式は機能不全に陥る可能性がある。また国民文化の形成に関しても困難な課題を抱えている。
 この発表に対し、富沢寿勇は「マレー性」なる概念は、イスラムという民族とは矛盾する結集要因を基本とすることを指摘し、さらに「文化」という概念を理想化された価値ではなく、生活様式として捉えることを提案した。
 アナン・ガンジャナパンの報告は、森林をめぐる国家と農民の対立に関するものであった。経済発展に伴って、土地を失った農民は森林地帯へと移住したが、政府は境界内部の土地に関する規制を強化しつつあり、農民の生活が脅かされるようになった。これに対し、農民は「共同体」を結成して入会権を主張する一方、それを普遍的な権利として定義し、法的承認を求めている。局所的な慣行と普遍的な価値とを結びつける新たな方向が生じている、というものであった。
 この例を、栗田博之は、開発という状況の中で、氏族が固定化され、変質するというパプア・ニューギニアの例を参考に、新しい共同性、集合性が創造される現象と位置づけた。
 フイファン・ガオスヴァトゥンはマユーリ・ガオスヴァトゥンとの共同執筆になる論文で、ラオ文化を巡る状況について報告した。悠久のラオ文化という観光業者の宣伝文句とは逆に、現在のラオスの指導者たちは文化的排外主義によって、「ラオ文化」を定義しつつある。しかし、これも諸文明の十字路として、外部の文化を吸収して自己のものとしてきた東南アジアが繰り返してきた現象の一つであろう、というものであった。
 これについて、飯島明子はとりわけ「タイ化」の現象を取り上げ、その歴史性についてコメントした。
 第3セッション「変わりゆく辺境と少数民族」では、国家とその辺境に位置する少数民族との様々な関係が論じられた。
 ハルヨ・スハルディ・マルトディルジョはハルマヘラ島トゥグティル社会を取り上げ、この森林移動民の森林開発及び政府の定住化政策への対する対応について報告した。国内移民による森林開発によって、トゥグティルは森を失いつつあり、政府は集落を用意して定住化を進めつつある。しかし、かれらの文化は森を中心に構成されているのであり、文化の全面的な変化を迫られている、というものであった。
 上杉富之はこの報告に対し、圧倒的な力の差を前に少数民族は無力ではあるが、かれらの変化に対する戦略を積極的に取り上げる必要性があることを指摘した。
 西井涼子の発表は、親族形態が非単系を主流とする東南アジアの多くの社会における系譜の忘失が社会の流動性に対応しているというこれまでの見方を一歩進め、タイ南部における祖先祭祀を取り上げ、系譜に必ずしも結びつかない祖先祭祀が、仏教徒とモスリムの混住状況と関わる可能性を示した。
 速水洋子のコメントは、タイ北部を例に取りながら、単系制と祖先祭祀、社会の流動性が必ずしも対応するわけではないことを指摘した。
 第3セッションの最後はマーティン・スミスがビルマの少数民族政策と現状について報告した。長年に渡る鎖国政策にもかかわらず、国境によって分断された少数民族を抱えるビルマは、国内の政治的統一と国家意識の形成が難問として残されてきた。軍と民主化運動、そして少数民族集団の三者は、複数政党制、民主化、市場経済化という共通の目標を持ちつつも、その手法をめぐって合意が成立しない、というものであった。
 これに関して根本敬のコメントは、軍が国の統一を、民主化運動が民主的な制度を、そして少数民族が自決権を、各々求めているのであり、ビルマにおいては統合的な新しい文化の創造の機は熟していない、とするものであった。
 二日目のセッション終了後、四人のセッション座長と宮崎によって総括討論の討議内容を検討し、提供すべき話題を決定した。
 総括討論は第三日の午後行われた。宮崎は、前日の座長会議での話し合いに基づき、まず議論の出発点として問題提起において述べた人の移動の仮設的な二類型について触れた後、以下の点を討論の議題として提示した:
  1 越境する移動 (主として産業化以前から継続する移動と、国境の画定)
  2 帰属意識の再定義と「妖怪」(移民社会とそれを受け入れる社会の関係)
  3 文化の政治学(操作される資源としての文化と伝統、そして地球化の諸現象)
討論における参加者からの発言は、必ずしも以上の議題に限定されたわけではなく、前日までのセッションで討論時間が不足気味であった欲求不満を晴らすかのように、多種多様な発言が一気に解き放たれた。そのすべてを取り上げることは不可能なので、いくつかの点に絞って報告する。
 まず、移動の類型をめぐって、現代の移動を第3番目の類型と考えるべきだという意見、また、移動という現象は極めて多種多様であるので、何らかの限定を設けるべきであるという意見などが出された。
 第一点に関しては、移動自体を捉えた報告が少なかったこともあり、詳細には論じられなかった。
 第二点については、まずジェンダーな、階級など移動する人の属するカテゴリに注目すべきだという意見が出され、続いて、いわゆる民族を超越した中流階級が成立しているか否かという点について、活発な討論が展開された。中流階級とはいえ、多種多様であること、また帰属意識が多重的・状況的であることを確認すべきである、といって意見が出された。
 第三点に関しては、「〜文化」という概念が、帰属意識形成の過程における政治的闘争・駆け引きの「場」となっているという指摘が成された。他方、「文化」の定義自体も議論の対象となった。報告や討論の中で、しばしば「文化」という用語が収斂すべき理想としての「伝統」の意味で用いられたため、人類学的な意味での文化、すなわち行為、思考などの総体としての文化という前提に立った議論とはすれ違いが目立った。
 さらに、文化の創造という現象を捉えるには、移動よりも情報伝達が重要であるという意見、東南アジア域内よりも、日本ないし北米との関係に注目すべきであるという意見などが出された。
シンポジウムでは触れられなかった難民や強制移住をも取り上げるべきであった、という注文なども寄せられた。
 四つのセッションは、移動の結果生じた伝統文化や帰属意識などの問題に関する報告が多く、総括討論もまた、その方向に向かう傾向にあった。このことは、現代東南アジアにおける知的営みが、国民統合、政治統合、伝統文化などの問題をより先鋭に捉えていることを示している、と見てよいだろう。しかし、反面、移動する主体の側から見た報告や議論が希薄であり、「移動人」の文化が論じられることはなかった。
 きわめて大きなテーマを掲げたシンポジウムであったため、ややもすれば議論が拡散しがちであったが、もとより、細部ではなく方向性を見定めるために企画されたのであり、その意味では、収穫は多かった。シンポジウムを通じて明示された問題点に焦点を絞り、次の段階へと進む糸口が開けたといってもよいだろう。
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 このシンポジウムのために、AA研では1995年11月に実行委員会を組織し、シンポジウムの内容および運営方法についての議論を積み重ねながら、準備作業を進めた。また予算措置、実務作業、助言など、所内の教官、事務官の全面的な協力を得たことを記しておきたい。