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島原~大乱の舞台を訪ね歩く~

かつて島原半島や天草諸島ではイエズス会による布教活動が盛んに行われ、多くの人びとがキリシタンとなった。その後、禁教の圧力が強まるなかで彼らの多くが信仰を捨てた。しかし江戸時代に入り、領主の過酷な支配に苦しんだ農民たちはキリスト教信仰に立ち戻り、大規模な一揆を起こした。日本の歴史上最も大規模な一揆であるこの島原の乱において、一揆軍が最後に籠城したのが原城であった。幕府軍は原城を包囲攻撃し、最終的に立て籠もっていた老若男女3万7千人を皆殺しにした。現在島原を訪れると、そのような凄惨な歴史があったとはとても信じられないようなおだやかな風景が広がっている。原城は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の1つとして世界遺産暫定リストに登録されている。この地のキリスト教をめぐる歴史遺産は世界遺産にふさわしく、早期の世界遺産登録が望まれる。

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島原駅から見た島原城。江戸時代初期に松倉重政によって築かれた。石高4万石の大名としては分不相応な規模の城で、築城の際の搾取が島原の乱の一因となった。島原の乱の激戦地の1つ。

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島原城近くにある武家屋敷。江戸時代の武家の暮らしぶりを垣間見ることができ、興味深い。

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島原鉄道の電車。2008年に島原外港駅―加津佐駅間が廃止され、南島原に電車で行くことはできなくなった。大変残念である。

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島原市内の路地で猫の集会に出くわす。地元の人びとはおだやかで親切だったが、猫にはすごまれてしまった。

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旧島原鉄道北有馬駅の駅舎。キリシタン大名有馬氏の居城であった日野江城を訪れる際の最寄駅であった。

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宝くじの収益で整備された日野江城の説明板。史跡の整備に役立つのであれば、なんでもありがたい。

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島原街道(国道251号線)沿いにある原城の看板。日野江城に代わる居城として有馬氏が築いただけあって、原城の縄張りは広大である。

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原城跡にはあちこちに島原の乱の激戦の痕跡が残っている。1つ1つの説明板の解説は短いが、それらが伝えるものは重い。

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島原城本丸跡にある天草四郎の銅像。一揆軍の総大将であった天草四郎は、弱冠17歳の少年であった。

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天草四郎の居館があったという島原城本丸の一画。ここで彼は何を考えていたのだろうかと思う。

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一揆軍の陣中旗。一揆軍のなかでただ一人生き残った山田右衛門が描いたものとされる。一揆軍の人びとはこの旗をどのような思いで仰ぎ見たのであろうか。

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天草四郎の墓石。民家の石垣の中に埋もれていたものが偶然発見された。現在では原城跡に移され、まつられている。

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原城の発掘調査で出土した十字架。火縄銃の鉛玉を鋳溶かしてつくられている。原城を望む高台にある原城文化センターに展示されていた。

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幕府軍は籠城していた人びとを皆殺しにして埋め、その上に岩を投げ込んで封印した。原城文化センターの一画に発掘された当時の状況が再現されている。

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原城の近くにある小渕生長堂のカステラ。キリシタンの歴史が深く刻まれた地で食べる南蛮菓子は大変味わい深く、美味しい。 

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キリシタンに関する史跡も、カステラもチャンポンも好きな私にとって、長崎はパライソ(楽園)である。



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