Column033 :: Ishikawa Hiroki's HP

いつかレゲエを楽園で~授業でジャマイカについて語る~


 レゲエ 

 レゲエとは、カリブ海の国ジャマイカで生まれ、1970 年代にボブ・マーリーの活躍により世界的に広まったポピュラーミュージックのことである。ミュージシャンや愛好者がラスタカラーと呼ばれる赤黄緑の3色を好み、長髪を編んだドレッドロックスと呼ばれる独特の髪型をしていることなどでも知られている。

 日本ではレゲエの愛好者はちょっと変わった存在と思われているらしい。「レゲエが好きです」と口にすると、たいてい不思議そうな目で見られる。自分の専門がアフリカ史であることを話してから、「大学の授業ではレゲエとジャマイカについても語ります」と明かせば、聞いた人は一様に驚く。さらに「ドレッドロックスをしている若者を見ると親近感がわきます」などと付け足せば、目を丸くされる。

 私がこれまで主に研究してきたのはエチオピア史である。特に13世紀に成立したソロモン朝エチオピア王国という王国の歴史を研究してきた。この王国では4世紀に中東から伝わったキリスト教が信仰されていた。王国名からうかがえるように、君主は古代イスラエル王国のソロモン王の末裔と称していた。『旧約聖書』に登場するソロモン王は賢人として知られ、キリスト教徒にとってなじみ深い人物である。日本でも年輩の方には記憶されているエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝(在位1930~1974年)は、ソロモン朝エチオピア王国の君主の末裔を称する人物であった。

 19世紀になってアフリカを支配し、植民地としたヨーロッパ人にとって、サハラ砂漠より南に住む肌の黒い住民が、自分たちよりも劣った人種であることは自明のことであった。そのなかで君主がソロモン王の末裔を称していること、キリスト教を信仰することなど、ヨーロッパ人の考えるところの「文明の証」を持つエチオピアは例外であった。

 19世紀末、エチオピアもまた植民地化の瀬戸際にあった。しかし1896年のアドワの戦いにおいて当時のエチオピア皇帝メネリク2世がイタリア軍を撃退したことによって、エチオピアは独立を維持することができた。「アフリカでは例外的な文明国」であり、植民地化を免れたエチオピアは、ヨーロッパの人びとにとって一目置かれる存在になる。そしてこのことはその後意外な影響をもたらすことになる。

 20世紀前半、アフリカ大陸ではエチオピア以外の大半がヨーロッパ諸国の植民地となっていた。また南北アメリカ大陸とカリブ地域には、大西洋奴隷貿易の結果奴隷として連れてこられた人びとの子孫が、奴隷身分からの解放後も苦しい生活にあえいでいた。19世紀末以降、彼らの権利と誇りを回復する黒人運動が盛んになる。

 そのような黒人運動の指導者の1人にマーカス・ガーヴェイというジャマイカ出身の運動家がいた。ジャマイカやアメリカ合衆国で活躍したガーヴェイは1927年に演説で「アフリカに注目せよ。黒人の王が戴冠するとき、解放の日は近い」と述べた。1930年にエチオピア帝国でハイレ・セラシエ1世が即位すると、ガーヴェイの支持者たちは彼の予言が実現したと解釈した。

 1930年代にジャマイカのガーヴェイ支持者レナード・ハウエルらによってラスタファリアニズムという宗教運動が創りあげられる 。彼らはハイレ・セラシエ1世を「ジャー(神)」として崇め 、彼が白人に支配される全ての黒人を捕囚の地ジャマイカから解き放ち、約束の地エチオピアへと帰還させてくれることを信じた。この運動はジャマイカの人びとの共感を得て、支持を広げていった。

 レゲエは、ジャマイカのポピュラー音楽スカやロックステディをもとに、ジャマイカの伝統音楽、アメリカ合衆国の黒人音楽であるR&B といった様々な音楽の影響を受けて1960年代後半にジャマイカで成立した。この音楽が世界的に普及するにあたって大きな役割を果たしたのが、1945年にジャマイカの首都キングストンに生まれたボブ・マーリーであった。熱心なラスタファリアニズムの信奉者であった彼の楽曲の歌詞には、ラスタファリアニズムが色濃く表れており、レゲエの普及とともにラスタファリアニズムの存在も世界的に知られるようになった。

 エチオピアのキリスト教国の君主がソロモン王の末裔と称していたこと、エチオピアが独立の維持に成功したこと、スペイン人の到来によってジャマイカの先住民が絶滅し、彼らに代わる労働力として数多くの黒人奴隷がアフリカからジャマイカに連れてこられたこと、彼らがキリスト教を受け入れて『旧約聖書』の記述を心の支えにしたこと、ガーヴェイの演説から時をおかずにハイレ・セラシエ1世が即位したこと……いくつもの偶然が重なってラスタファリアニズムは生まれ、そしてレゲエが生まれた。

 大学の授業では、毎回受講者にコメントシートを配り、授業内容の感想と質問を書いてもらう。私の拙い授業からでさえも、驚くほど多くのことを学び、感じとってくれる学生がいることに励まされることは多い。もちろん私が接している学生たちがこの国のなかで特に優秀な若者たちであることは確かである。しかし、それを差し引いたとしても、時に深く心打たれるような学生のコメントを目にしている私は、「今どきの若い者は……」などという言葉を軽々しく口にすることはできない。

 レゲエの成立については、エチオピアをめぐる伝説を題材として、歴史の伝説性・伝説の歴史性を考察する授業で取り上げる。半期かけて行うその授業の最終日のコメントシートに、「今私たちが生きている世界はものすごい確率でできあがってきたのだと思いました」という感想があった。そう、確かに歴史は、数えきれないほどの必然と偶然とがかけあわされて創りだされてきたのである。

 世界史のうねりのなか、奇跡のような確率で生まれたレゲエが、ジャマイカの人びとの心をとらえ、さらに世界中の人びとを魅了した理由を知るためには、ジャマイカの近現代の歩みと現状を知る必要もある。それを知ってもらうために、私は講義で『ジャマイカ 楽園の真実』という映画を取り上げる。

 カリブ海に浮かぶ楽園として欧米の観光客に人気のジャマイカ。観光客たちは陽射しがふりそそぐプールサイドではしゃぎ、トロピカルフルーツを味わい、リゾート気分を満喫する。しかし観光客にとっての楽園において、政府は多額の債務の返済に追われるとともに、国際機関の融資を受ける代わりに課せられた過酷な交換条件に苦しみ、農民たちは先進国において多額の補助金を得て生産される安価な農畜産物に市場を席巻され、厳しい生活を余儀なくされる。圧倒的な力を持つ先進国がグローバル化・自由化の美名のもとに押し付けてくる不公正に対して、ジャマイカのような小国はなす術もない。

 一握りの先進国がつくりだしてきたこの不公正な現実を前にして、先進国の一員である日本に生まれ育ち、それゆえ自分と関係のないものとして先進国の横暴をあげつらうわけにいかない私はいたたまれない思いになる。そしてグローバル化のなかで、日本もそのような不公正な競争のなかにからめられることに恐怖を感じ、それに打ち勝って生き延びなければならないであろう未来に不安を感じる。

 『ジャマイカ 楽園の真実』では、要所要所にレゲエが挿入される。映画が暴き出すあまりにも不公正な現実を、ある時は激しく、ある時は淡々とレゲエは歌い上げる。それらのレゲエは時には心に深く突き刺さり、時には心を安らかに包んでくれる。そのようにして心がレゲエと一体となったとき、この音楽がジャマイカの人びと、そして世界の人びとの心をとらえた秘密にふれたような気がする。

 できれば今すぐにでもジャマイカを訪れ、エチオピアとの不思議な関係に思いをはせながら、レゲエを聞いてみたいと思う。しかし、レゲエが生まれた背景についてもっと深く知り、レゲエにこめられた人びとの思いを体感できるようになってからジャマイカを訪れ、レゲエを聞いてみたいとも思う。

2014年9月22日





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父が持っていたボブ・マーリーのCDを聞いたことがレゲエとの出会いであった。その後研究との関係も生まれ、趣味でレゲエグッズを買い集めるようになった。ドレッドロックスにする予定は……まだない。

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