Column032 :: Ishikawa Hiroki's HP

世界で一番おいしいサラダ~一皿のサラダに感謝する~


 その日私はサラダを食べながらある話を思い出していた

 その話を私は深夜のラジオ番組で聞いたのであろうか
 それとも誰かのエッセイで読んだのだろうか……

 深夜、腹をすかせた男があるレストランに入る。
 その男はカウンターに座ると店主に「世界で一番おいしいサラダをくれ」と頼む。
 すると店主はにっこりと微笑み、手際よく作ったサラダを男に差し出した‥‥

 どこで聞いたのか、あるいは読んだのかも定かではなく、続きも覚えていないその話を、なぜか私は忘れずに覚えている。そしてアフリカを旅する際にしばしば思い出し、考えをめぐらせる。

 「店主はどのようにしてそのサラダの作り方を覚えたのだろうか」「それを食べた男はどのような感想をもらすのだろうか」「そもそもなぜ男は「世界で一番おいしいサラダ」を注文したのだろうか」……

 長旅になると欲しくなるものは人それぞれであろうが、私の場合は新鮮な野菜である。

 菜食主義者ではないものの、幼い頃から両親が家庭菜園で育てた野菜を食べて育った私にとって、新鮮な野菜は欠かせないものである。実家を出て野菜を買うようになって驚いたのは、姿形は良くとも、それらに野菜本来の味がないことであった。

 「野菜の本来の味」などと書くと、「気取ったことを書く」と思われる向きもあるかもしれない。しかし畑で収穫したばかりの旬の野菜は、街中で売られているものとは別物と言ってもよいぐらい異なる味がすることは事実である。

 日本ではレストランで出される食事や弁当にサラダが添えられていることは珍しくない。アフリカの場合、高めのレストランであれば、欧米や日本と同様の食事をとることができ、野菜の付け合せを口にすることができる。また庶民の食卓でも料理の中にはトマトやタマネギをはじめとする野菜はもちろん入っている。しかし庶民に交じって旅を続け、庶民が集うような店で食事をとっていると、なかなかサラダにはお目にかかれない。

 日本人が考えるサラダに入っている野菜といえば、まずレタスであろう。しかしレタスを栽培し、新鮮なまま販売して食卓に出すことは、輸送手段が発達していない乾燥した地域ではかなり難しいことである。なおかつ腹がふくれないとくれば、いまだ栄養バランスといったものに頓着しない庶民向けの店でサラダが提供されないことも不思議なことではない。

 「アフリカでは新鮮なサラダにはありつけないもの」と思い込んでいた私が考えを改めたのは、アフリカ大陸の北部に位置するチュニジアを訪れた時であった。

 チュニジアはフェニキア人の国家カルタゴの故地である。カルタゴは商業国家として古代ローマと互角に張り合うほどの力を持っていた。しかし3次に及ぶポエニ戦争の結果ローマに破れ、カルタゴの街は徹底的に破壊され、生き残った住民は奴隷として売られるという悲劇的な結末を迎えた。

 私がカルタゴに興味を持ったのは中学生の頃で、当時日本はアメリカの地位を脅かすほどの経済大国になっていた。敗戦後数十年間で世界第二位の経済大国になり、経済的繁栄を謳歌する日本を、アメリカはいかなる手段を使ってでも抑えつけようとしていた。私には、ローマに敗北するたびに復興し、それゆえ演説の最後を必ず「カルタゴ滅ぼすべし!(Carthago delenda est!)」という言葉で締める政治家が現れるほどローマに恐れられたカルタゴと、当時の日本の姿が重なって見えた。

 そのようにカルタゴに思い入れのあった私がようやくカルタゴの故地を訪れることができたのは、その歴史に興味を持ち始めてから15年近くが経過した後であった。ようやく憧れの地を訪れることができた喜びを胸に、私はカルタゴの遺跡を求めてチュニジア国内を回った。中でも私が感動したのは、地中海を望むカルタゴの港の遺跡であった。数十隻のガレー船を収容し、ローマと地中海の覇権を争う拠点となっていたその港は二千年以上前の往時の姿をとどめていた。

 興奮醒めやらぬまま、帰路に立ち寄ったレストランで、私は「チュニジア風サラダ」と呼ばれるサラダを初めて口にした。このサラダはトマト、タマネギ、キュウリを賽の目に切り、それらにツナを加え、オリーブオイル、ワインビネガー、塩であえたものである。サラダといえばレタスが入っているものという固定観念のあった私にとって、そのサラダは意表をつかれるものであった。しかし、一口食べて、私はそのサラダのみずみずしさに驚いた。

 サハラ砂漠の一画に位置する南部ほどではないにしても、チュニジア北部の地中海沿岸地域も気温は高く、乾燥している。チュニジア風サラダに使われている野菜は、多少乾燥した場所で保管していても、内部のみずみずしさを保つものばかりである。チュニジア風サラダは、乾燥した地域で野菜の新鮮な風味を味わうための生活の知恵が生み出したものなのであろう。

 チュニジア風サラダの味付けは、オリーブオイル、ワインビネガー、塩胡椒である。これは私が2年ほど住んでいたポルトガルにおいても、また史料調査のために訪れていたスペインやイタリアでも同様である。いずれの国でもサラダとともにドレッシングが提供されることはなく、代わりにテーブルにはオリーブオイル、ワインビネガー、塩胡椒が備えてある。それらを各自が好みでサラダにかけて味を調えるのである。

 地中海岸に位置し、地中海性気候という同じ気候の国々であるから、サラダに用いる調味料が同じであることも考えて見れば不思議なことではない。しかし和風、洋風、中華風の多種多様な出来合いのドレッシングが売られている日本から来た私にとって、それらを使わずにサラダを食べることは新鮮な驚きであった。

 しかしオリーブオイル、ワインビネガー、塩胡椒によるシンプルな味付けは私の好みにあった。シンプルなだけに素材となる野菜の味わいを感じることができるし、またオリーブオイルの微妙な味わいの違いを楽しむこともできる。そのため帰国後も私はオリーブオイル、ワインビネガー、塩胡椒でサラダを食べるようになり、そしてそれまで以上にサラダを食べるようになった……

 その時、そのようなことを思い出しながら食べていたサラダは、手作りのカッテージチーズ、生のマッシュルーム、ベビーリーフをレモン果汁、オリーブオイル、塩であえたものであった。出来立てのカッテージチーズの新鮮な香り、生のマッシュルームの心地よい食感、それらを包み込むオリーブオイルとレモンの爽やかな風味が混然一体となったそのサラダの奥深い味わいに、私は感動した。

 「サラダを食べてこれほど感動したのは、カルタゴの遺跡のそばでチュニジア風サラダを食べて以来ではないか」と思った私は、カルタゴを訪れてからその日に至るまでの自分の歩みを振り返った。出口の見えない逆境のなかでもがいていた自分のことを思い起こすと、その後どうにか道を切り拓き、その日そのサラダに出会えたことがただただありがたかった。

 サラダというものは、シンプルでありながら奥が深い。そしておいしいサラダというものは、人生を歩み続けなければ出会うことはできない。

 そのサラダを味わいながら、私は人生を歩み続けることの大切さをかみしめた。そしてもし誰かに「世界で一番おいしいサラダ」について尋ねられたら、そのサラダの話をしようと心に誓った。

2014年4月26日





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所内懇親会の幹事になった際に作成したポスター。「カルタゴ」というチュニジア料理店で開催したので、「カルタゴ滅ぼすべし!」というラテン語文をもじって「カルタゴ食すべし!」にした。

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