Column026 :: Ishikawa Hiroki's HP

くさらずに、発酵しよう~講義の終わりに発酵について語る~


 春は心浮き立つ華やぎに満ちた季節である。日々暖かくなる陽気に心をはずませ、待ち望んだ桜の開花を喜び、入学式や入社式の知らせを聞いて新たな人生の門出を祝う人びとは多い。

 しかし入学試験や就職活動で思うような結果が得られず、そのような華やぎから取り残された若者たちにとって、春は残酷な季節である。

 私は現役時に大学受験に失敗した。それは私にとって人生で初めての大きな失敗であった。第一志望大学の過去問を自分なりに調べて、「例年通りの出題傾向であれば、あえて努力をしなくても合格できる」という甘い判断を下してしまい、身を入れて勉強しなかったつけであった。

 現実を受け入れられずに、しばらく家に閉じこもっていた私は、ある日久しぶりに家の外に出て驚いた。春の陽光のまぶしさそのものではなく、暗く沈んでいる自分とそれとのあまりの対比に驚いたのである。

 奈良時代の歌人、山上憶良の『貧窮問答歌』に「天地はひろしといへど吾がためは狭くやなりぬる 日月は明かしといへど吾がためは照りや給はむ(天地は広いというが、私にとっては狭くなってしまったのだろうか。太陽や月は明るく輝くというが、私のためには照ってくれないのだろうか)」という文があるが、「まさに今の自分の気持ちだな」と私は一人で合点した。

 不思議なことに、そう思った時、私は現実を受け入れる気になった。そして私は受け入れた現実と真正面から組み合おうとして、桜が満開になるなか、猛烈な勉強を開始した。

 一年間の浪人生活は、私にとって貴重な経験となった。がむしゃらに勉強に励むことによって、私は自分なりの努力の仕方というものをつかむことができた。そして自分が中途半端な気持ちで行ったことが高く評価されるほど秀でた才能はないものの、一心不乱に取り組んだものが全く評価されないほど才能に乏しいわけでもないということを知った。

 満を持して臨んだ第一志望大学の入学試験は、例年通りの出題傾向に戻っていた。それは現役時の能力で十分に合格できるものであった。浪人生活の中で苦手科目の克服と得意科目の洗練に努めていた私は、難なく第一志望大学に合格した。

 普通に考えれば、私の浪人生活は不要な遠回りであった。周囲にそう思われることに私も異存はなかった。しかし私には悔いもなかった。

 牛乳は放っておけば腐敗してしまう。しかし発酵すれば、より栄養価の高いヨーグルトとなる。人間も同じで、逆境に陥った際に、くさってしまえばだめな人間になってしまうが、それを糧として成熟することができれば、むしろ内面を高めることができる。

 もし私が現役で第一志望大学に合格していたら、このようなことを学ばずにその後の人生を歩んだかもしれない。また浪人時にふてくされて自堕落な生活を送っていたら、このようなことは体得できなかったであろう。

 大学に入学してから現在に至るまで、苦難に遭うたびに、私は「くさってはいけない。これに耐えて人間として一回り成長しなければ」と思いながらそれらを乗り切ってきた。その思いがどれほど私を人間として成熟させたのかは分からない。しかしその思いがなければ、ここまでたどりつけなかったことは確かである。

 大学で講義を担当するようになってから、これから社会に出る4年生が受講している講義では、最後に必ず「これからの人生でつらいことがあったとしても、くさらずに、発酵しよう」と学生に呼びかけることにしている。

 人生には必ず思うようにならないことがある。自分の努力や注意が足りなかったせいで起こる不幸もあるし、自分に全く非がないのにふりかかってくる理不尽な災難もある。しかしせめて自分の講義を受講している学生たちには、それらの逆境のなかでくさって自らを損なうことなく、それらを糧として成熟してほしい。

 歴史学の講義の最後に発酵云々と語りかけることは我ながら気恥ずかしい。しかし学生のため、そして自分のために語り続けようと思う。

 「くさらずに、発酵しよう」と。

2013年4月3日



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今年も満開の桜を沈んだ思いで眺める若者が数多くいることであろう。彼ら、彼女らに明るい未来が訪れることを人知れず祈っている。

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