Column023 :: Ishikawa Hiroki's HP

朝からドーナツに救われる(マドリード、スペイン)


 マドリードの朝食の定番と言えば、チュロス・コン・チョコラーテである。これはチュロスと呼ばれる棒状のドーナツをホットチョコレートにつけながら食べるという食べ物である。揚げたての香ばしいチュロスはそのまま食べても美味しいし、ホットチョコレートにつけて食べれば、一味違う味わいとなり、また美味しい。私にとってチュロス・コン・チョコラーテは救いを感じる食べ物である。

 私が専門としてきたのはソロモン朝エチオピア王国と呼ばれる王国の歴史であるが、この王国では16世紀から17世紀にかけてイエズス会が布教活動を行った。彼らの多くがポルトガルの出身であり、ポルトガル語で書簡を著したことから、私はポルトガル語を学び、10年ほど前ポルトガルに滞在してエチオピアに関する史料を探していた。

 しかしエチオピア布教が最も盛んであった17世紀前半、ポルトガルはスペインに併合されていた。これはポルトガル王セバスティアン1世(在位1557-1578年)がモロッコに遠征して戦死し、その後継者争いの結果スペインのフェリペ2世(在位1556-1598年)がポルトガル王を兼ねるようになったためである。イエズス会エチオピア布教は依然としてポルトガル王の保護のもとに行われたため、1640年まで続いたスペインによる併合期に、エチオピア王国からイエズス会士たちが送った報告書は、インドのゴアを経由してまずリスボンに届けられ、さらにマドリードに送付された。しかしそれらの史料の大半は調査されることもなく、所在が分からなくなっている。「スペインのどこかに誰も調査していない史料があるのではないか」と考えて、私はスペインで調査を行うことにした。

 ポルトガルの首都リスボンからスペインの首都マドリードまでは、長距離バスか列車に乗れば次の日には着くことができる。ただでさえ初めての土地での調査は不安なものであるが、スペイン語を満足に話せない私にとって、スペインでの調査は緊張の連続であった。しかもポルトガルとスペインでは人々の気質がかなり異なっている。

 スペインとポルトガルと言えば、日本人にとっては南欧にある「フラメンコや闘牛で有名な国」と「日本に鉄砲やカステラを伝えた国」といったイメージであろう。国民性について言えば、両国の間に大きな気質の違いはなく、いずれも陽気だと思っている人々が大半ではなかろうか。しかし私はスペインで「隣国なのにこれほど国民性が違うのか」としばしば驚いた。もちろんスペイン人にも親切で穏やかな人々は多いが、私の眼には、総じてポルトガル人の方がスペイン人よりも穏やかで付き合いやすい人々に映った。

 事前調査やスペインでの調査の結果、イエズス会エチオピア布教関係史料が主に所蔵されているのが、マドリードの中心部にひっそりと佇むスペイン王立歴史アカデミー図書館であることが分かった。この図書館の館員たちは好人物ばかりで、スペイン語がまともに話せない私にも親切にしてくれた。その結果、この図書館が所蔵するイエズス会エチオピア布教関係史料を調査し、その全容を知ることができた。「やはり多くの史料が散逸してしまっている」というのが結論であるが、「存在しないことを確かめる」ということも歴史学研究では重要なことであり、有意義な調査であったと思っている。

 ポルトガルと違って緊張を強いられるスペインでの調査で私を慰めてくれたものの1つが、チュロス・コン・チョコラーテであった。もともと甘党であるうえ、日本にいる時は「朝食をしっかり食べなければ、1日勉強にも仕事にも力が入らない」という正論を神妙に聞いていた私にとって、朝から揚げたてのドーナツをホットチョコレートに浸しながら食べるというのは、なかなか背徳的で甘美な体験であった。マドリードでの調査中、私は落ち込む気持ちを何度もチュロス・コン・チョコラーテに救われた。

 帰国してからも、無性に朝からチュロス・コン・チョコラーテを食べたくなることがある。日本でも広尾などに専門店があるようだが、いくら裁量労働制の職場とは言え、「朝食のドーナツを食べるために広尾に行ってきたので遅れました」などと言いながら遅れて出勤するほどの度胸と愛嬌を私は持ち合わせていない。仕方なく、早朝から開いている最寄りのパン屋でチュロスと食感が似ているオールドファッションドーナツを買い、それを濃いめのココアに浸しながら食べている。

 「やっぱりチュロス・コン・チョコラーテとは違うよな」と思いながらそれらを食べつつ、マドリードでの日々を思い出す。「やはり期待していたような史料は見つからないのだろうか」といった焦燥感を抱えながら、朝からチュロス・コン・チョコラーテを食べ、調査に赴く。当時はそうした生活をほろ苦く感じていた。しかし、そのような緊張の中でチュロス・コン・チョコラーテに救いを感じながら調査を続けていたあの頃は、歴史学研究者としてかけがえのない日々だったのではないかと今にして思う。

2012年12月6日



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スペイン王立歴史アカデミー図書館。午後1時から4時までシエスタのために閉まる。こちらも徒歩15分ほどのところにある宿に戻って昼寝をしてから出直していた。

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