Column021 :: Ishikawa Hiroki's HP

デ・ステイルの情熱を感じる(ユトレヒト、オランダ)


 デ・ステイル

 デ・ステイルとは1917年にオランダで始まった芸術運動のことである。モンドリアン、リートフェルトといった画家や建築家が加わったこの運動は、抽象芸術という新しい芸術を打ち立て、芸術を革新しようとするものであった。直線や原色を使って、形状や色彩の純粋な抽象化を追い求めたこの運動は、第1次世界大戦と第2次世界大戦の狭間の「戦間期」と呼ばれる時代にヨーロッパに広まり、世界の芸術に大きな影響を与えた。

 オランダのライデン大学図書館で史料調査を行っていた私は、週末を利用してオランダ国内の美術館などを巡ることにした。オランダの国土面積は、その歴史上の重要性と比べると意外なほど小さい。アムステルダム、ロッテルダム、ハーグ、ユトレヒトといった有名な街が、いずれもライデンから列車で1時間もかからないところに位置していることを知って私は驚いた。

 私が最も訪れたかったのは、デ・ステイルの代表的な建築家であるリートフェルトの建築作品が今なお数多く存在するユトレヒトであった。しかし宿泊していたライデンから直接ユトレヒトに行って1日過ごすのももったいないと思った私は、別の都市を訪れてから、午後ユトレヒトに向かうことにした。

 さすがにオランダは歴史のある国だけあって、私は午前中に訪れた都市で名所旧蹟巡りに没頭してしまい、予定より大幅に時間を費やした。急いで駅に向かってユトレヒト行の列車に乗り、その車内でガイドブックを開いた私は愕然とした。リートフェルトの代表的な作品であるシュロイダー邸の見学には、ユトレヒト中央博物館に予約を入れる必要であるという。「いくら史料調査で疲れていたとはいえ、前の晩に確認しておくべきだった。せっかくオランダに来たのに何たる不覚……」と悔やんだものの、後の祭りである。

 ユトレヒト駅に到着すると、私は足早に中央博物館を目指した。急いだつもりではあったが、道に不案内なこともあり、博物館に到着した時には、午後の遅い時間になっていた。

 ユトレヒト中央博物館の受付に行くと、ちょうどガイドに率いられた一団がシュロイダー邸の見学に出発するところであった。受付の若い男性に、「シュロイダー邸を見学したいのですが、予約をしていないのです」と告げると、その男性は「今日の最後のツアーに加われるようにかけあってみます」と言って、手元の電話でどこかに連絡した。しばらくして「あちらの部屋に行ってください」と言われたので、私は受付の背後の階段を上って2階の1室に入った。

 そこは書斎のような雰囲気の部屋で、長身で老齢の男性が立っていた。彼は私を目にすると、「君は日本人だろ。毎年たくさんの日本人の若い建築家がシュロイダー邸の見学に来るんだ」と穏やかな笑みを浮かべながら言った。私は自分が歴史学研究者で、ライデン大学の図書館に史料調査に訪れていること、リートフェルトやモンドリアンなどデ・ステイルの芸術家たちの作品が好きで、シュロイダー邸を是非訪れたいと前々から思っていたことなどを話した。それをふむふむと聞いていたその男性は、どこかに電話をかけ、「手続きをしたから受付で待っていなさい」と言った。

 1階の受付でしばらく待った後、私は10人ほどの男女と一緒にガイドに先導され、シュロイダー邸の見学に出発した。外観からすでにデ・ステイルの芸術様式を強く主張しているシュロイダー邸は、予想に反してこぢんまりとしていたものの、想像していた以上にその内装や構造に目を見張るものがあった。神妙な面持ちでガイドの説明を聞いていた私であったが、心の中では子どものように歓声をあげながら、リートフェルトが創り出した空間を体感する喜びに浸っていた。

 シュロイダー邸の見学を終えて外に出た時には、すでに陽が傾いて薄暗くなっていた。ユトレヒト駅を目指して歩きながら、私は自分がなぜデ・ステイルの芸術に惹きつけられるのかを考えた。

 1つは、潔いまでの抽象化であろう。事物の本質を見極め、直線と原色のみによって、極限の抽象化を目指す。絵画にせよ、建築にせよ、デ・ステイルの傑作には動かしがたい調和が構築されている。私がデ・ステイルに惹きつけられる理由を語る上で、確固たる調和、そしてそれらを創り上げた人々に対する畏敬の念をはずすことはできない。

 そしてもう1つは、秘められた情熱に対する憧れであろう。デ・ステイルという運動は、古い芸術を打破し、新しい芸術を創り出そうという芸術家たちのすさまじい情熱に支えられていた。デ・ステイルに限らず、戦間期という時代は、様々な思想を持つ人々が自身の理想の正しさを信じて、それらの実現のためにぶつかりあった時代であった。世界を変えようとするそのエネルギーが第2次世界大戦という悲劇を産んだことは事実であるが、それが芸術をはじめとする多くの分野で革新をもたらしたこともまた事実である。そのような熱い時代であった戦間期に、冷めた生き方を余儀なくされてきた日本版「失われた世代」の一員である私は憧れを感じているのだと思う。戦間期に活躍した人々が「失われた世代」と呼ばれたことを考えれば、不思議な縁を感じずにはいられない。

 そのようなことを考えながらユトレヒト駅に着いた私は、駅舎で列車を待ちながらユトレヒト市内に点在するリートフェルトの建築に思いをめぐらせた。そして今なお多くの人々を惹きつけるリートフェルトの情熱のすさまじさを感じた。

2012年10月1日


*現在では、シュロイダー邸の見学はメールによる予約が可能になり、日本語による音声ガイドもあるそうです。詳しくは、ユトレヒト中央博物館の下記ページをご覧ください。 
 http://centraalmuseum.nl/en/visit/locations/rietveld-schroder-house/ 





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父にもらったデ・ステイルに関する解説本。 

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