Column020 :: Ishikawa Hiroki's HP

ボタボタにヒヤヒヤ~女王陛下の湖で冷や汗をかく~(ヴィクトリア湖、ウガンダ)


 「ボタボタ」と聞いてすぐに意味が分かる人はほとんどいないであろう。ボタボタとは、ウガンダのバイク・タクシーのことである。

 公共交通機関が発達していないアフリカ諸国では、個人営業の乗り合いタクシーが庶民の足となっている。多くの場合用いられているのはワンボックスカーで、車種はトヨタのハイエースである確率が極めて高い。

 これらの乗り合いタクシーは街や村の決まった個所に集まっている。数台がたむろしているような小規模なところから、ウガンダの首都カンパラのもののように数百台がぎっしりと駐車しているような大規模なところまで様々である。そうした乗り場に行き、目的地の名前を連呼していると、「あっちだ」「この車だ」と誘導してくれるので、言葉が分からなくても目的の車に乗ることができる。このような乗り合いタクシーに決まった出発時刻はなく、客がある程度集まった段階で出発する。

 東アフリカの高原地帯に位置するウガンダには、かつてブガンダ、ブニョロ、アンコーレといった王国が栄えていた。これらの王国の史蹟を訪ねるためウガンダを訪れた私は、主に乗り合いタクシーを利用して都市間を移動した。しかし史蹟というものは、交通量の多い道路沿いにあるとは限らない。地元の人々でさえよく知らないような史蹟を訪れる際に役に立つのがボタボタである。ボタボタであれば、1人でも乗せてくれるし、また運転手が人々に道を聞きながら目的地まで連れて行ってくれる。

 ウガンダ国内を周っていた私は、ある日の午後、アンコーレ王国の中心地であったムバララを出発し、マサカという街に到着した。その日は土曜日で、翌日特に用事がなかった私は、アフリカ最大の湖であるヴィクトリア湖を眺めてみたいと思い、そこに浮かぶセセ諸島を訪れることにした。

 夕方までには悠々戻ってくることができると踏んで、私は日曜日の午前7時すぎにマサカを出発した。まずマサカからボタボタに乗り、セセ諸島に向かう乗り合いタクシーに乗ることができるというニェンドという街へ行った。運よくセセ諸島行の乗り合いタクシーを見つけることができた。しかし客を集めてその車が発車したのは昼前であった。セセ諸島へと渡るフェリーの船着場があるブカカタというヴィクトリア湖畔の集落に着いたものの、出航は約1時間後の午後1時すぎであるという。

 そのため私は波止場近くの簡易食堂で、ヴィクトリア湖で採れた魚をゆでたものをおかずに、米とプランテン・バナナを食べた。ちなみにプランテン・バナナは「調理用バナナ」とも呼ばれる。甘くなく、茹でたり焼いたりすればその食感はイモとほぼ同じで、この地域の主食になっている。パサパサの長粒米に蒸したプランテンバナナをまぜて食べると粘り気が出て、日本のコメを食べているようでおいしい。

 昼食を終え、ヴィクトリア湖の畔で久しぶりに頭を空っぽにして目の前の光景に見惚れていると、フェリーの出航時刻となった。ヴィクトリア湖を渡るフェリーの旅は快適であった。どこまでも広がる水面と上空を舞う鳥を眺めていると、とてもアフリカの内陸部にいるとは思えない。短い船旅を楽しんでいるうちに、フェリーはセセ諸島最大の島であるブッガラ島に到着した。

 私は船着場のあるルクという集落からブッガラ島の中心部のカランガラまで20分ぐらいで到着できるものだと考えていた。しかし私の乗った乗り合いタクシーは結局到着までに1時間近くを要し、カランガラに到着したときには午後3時になっていた。予定よりも大幅に遅れていたものの、帰りのフェリーの出航時刻が午後6時であると聞いていた私は「午後4時過ぎにボタボタをつかまえて帰れば余裕で間に合うだろう」と考えて、カランガラでの散策を始めた。

 午後4時になり、私は船着場に戻るためボタボタを探し始めた。セセ諸島で最も大きい村とはいえ、人口の少ないカランガラにそれほど多くのボタボタはいない。私は数台のボタボタが集まっている場所を見つけ、乗り手の若者たちと交渉した。彼らは外国人と見て、値段をふっかけてきた。こちらも値切るが、なかなか交渉は成立しない。

 「まだ時間はあるさ」と余裕のあった私は、彼らとの交渉を切り上げ、通り沿いの雑貨店の店先で本を読んでいた店主らしき中年男性に、船着場までボタボタで行く際の適正価格を教えてもらおうとした。インテリっぽい雰囲気を醸し出していたその男性は、やはりインテリで、私たちは間近に迫っていたウガンダの大統領選挙や日本経済の状況などについてしばし話した。

 会話が一段落したところで、私はその日最後のフェリーに乗ってマサカに戻る予定であることを告げた。するとその男性は驚いた顔をして「今日はフェリーがいつもより早く、午後5時に出航するという連絡がさっきあったんだ。もう午後4時15分だから早く出発しないと間に合わないよ」と言った。それを聞いて大いに焦った私は、彼が呼んでくれたボタボタに乗って出発した。

 そのボタボタの運転手は大柄な若者であった。彼が口にした料金は現地の人々向けの適正価格であるらしく、かなり安かった。私が「午後5時のフェリーに乗りたいので急いでくれ」と頼むと、彼は「任せとけ」と大見得を切ってボタボタを発車させた。

 これで一安心と思っていたところ、彼は村はずれで速度を落とし、停車した。何事かと思って前方を見ると、小柄な若者が歩いてくる。運転していた大柄な若者はその小柄な若者としばし話すと、彼と運転を交替した。大柄な若者は振り返って「こいつは島で一番運転がうまいんだ」と言った。

 確かにその小柄な若者のドライビング・テクニックはすばらしかった。カーブではラインを読んで果敢に攻め、直線では一気に加速した。しかし走っているのは、モトクロスバイクのコースのように起伏に富み、なおかつかなり舗装がはがれた悪路である。ボタボタは、時に限界すれすれまで傾き、時に宙を舞った。いつ振り落とされてもおかしくなかった。

 恐怖に耐えながら、私は「ここで振り落とされて死んだら、やっぱり「ウガンダで邦人死亡」といった見出しの付いた小さな新聞記事になるんだろうな。いやウガンダの知名度は日本では高くないから「東アフリカで邦人死亡」か」「こんなことなら海外旅行保険でもう少し高いランクの保険をかけておくべきだった」「同じ交通事故に遭うなら、史蹟に行く途中の方が歴史学者として恰好がついたのに」などと、どうしようもないことをとりとめもなく考えていた。

 私の心配をよそに、ボタボタは無事に船着場のあるルクに辿り着いた。時刻は午後5時前であった。しかし船着場にはフェリー待ちの車が列をなしており、肝心のフェリーの姿は見えない。その日最後のフェリーの出航がまだまだ先であることは明らかであった。それを知って愕然としながら、私はひきつった笑顔でボタボタの若者たちに礼を言い、時間通りに送り届けてくれたことに感謝して約束の料金の2倍を支払った。それを満面の笑みで受け取ると、彼らは楽しそうにおしゃべりをしながらボタボタで来た道を戻っていった。

 結局フェリーは午後6時に出港した。船上でヴィクトリア湖のすばらしい夕景を眺めながら、私はボタボタで疾走したブッガラ島のことを思い出していた。「また1つアフリカで忘れられない思い出ができたな」と思った。

2012年9月1日



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ウガンダの首都カンパラの路上で客を待つボタボタ乗りたち 


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