Column018 :: Ishikawa Hiroki's HP

偽バナナの誘惑(ギーシュ・アッバイ、エチオピア)


 「最近、偽バナナの研究をしています」と言うと、必ず「偽バナナって何ですか?」と不思議そうに尋ねられる。いかにも怪しげな名前であるため無理もない。

 偽バナナはどこかの国で作られたバナナの偽物ではないし、もちろんバナナの形をしたドアストッパーのことでもない。それはエンセーテと呼ばれるバショウ科の植物のことである。この植物は、アジア・アフリカの熱帯地域に生育し、バナナのような実はつけないものの、その姿形がバナナの木に似ているため、「偽バナナ」と呼ばれる。

 エチオピアの南西部には、この植物の茎や根に蓄えられた澱粉を食用にしている民族集団が複数居住している。イモのようにそのまま蒸して食べることもあれば、取り出した澱粉を発酵させ、それをこねて焼き、パンのようにして食べることもある。このようにエンセーテの澱粉を食用とすることは、世界的に見ても珍しく、現在ではこの地域でしか行われていない。

 私が主な研究対象としてきたのは、エチオピア北西部のキリスト教徒が主に居住してきた地域である。この地域ではテフと呼ばれる穀物が主に栽培され、その実を挽いた粉を水で溶いて発酵させ、それをやや厚めのクレープのようにして焼いた「インジェラ」と呼ばれる食べ物が主食になっている。

 日本にはエンセーテが食用にされている地域をフィールドとする人類学者は多い。そのため私もエンセーテという植物の存在は知っていた。しかしそれは知識としてであって、自分の研究と関係するものとは考えていなかった。

 そんな私がエンセーテに関する研究を行うようになったのは、博士論文を執筆中に、エンセーテがエチオピアの北西部でも食用にされていたことを示す史料中の記述に興味を持ったことであった。

 エチオピア最大の湖であるタナ湖の近くでエンセーテが食用にされていたことを示す記述が、17世紀前半のイエズス会士の報告、そして18世紀後半のスコットランド人探検家ブルースの旅行記に存在することは、すでに研究者によって注目されていた。しかしそれらの記述の解釈について、これまで研究者の間で見解は一致していなかった。

 「この地域にもともと居住していた集団がエンセーテを食用としてきたのか?」「それともエンセーテ栽培民が移住してきたのか?」「移住してきたのであれば、いつ、どのような集団が移住してきたのか?」……博士論文を提出し、それを出版した後で、私はそのような疑問に突き動かされて、エチオピア北西部のエンセーテをめぐる研究を始めた。

 イエズス会士が残したポルトガル語やラテン語の記録、英語で書かれたブルースの旅行記、そしてエチオピアの古典語であるゲエズ語で書かれた年代記などの記述を研究した結果、私は「エチオピアの西部にかつて居住していたエンセーテ栽培民が北西部に2度にわたって移住し、その際エンセーテを食用にする慣習をタナ湖の周辺にもたらしたのではないか」という結論に至った。

 文献研究を続ける中で「エチオピアの北西部や西部に、現在エンセーテは生育しているのだろうか?」「これらの地域にエンセーテの澱粉を食用にする慣習は伝わっていないのだろうか?」といった疑問がふくらみ、それらを抑えきれなくなった私はエンセーテに関するフィールドワークを行うことにした。

 すると確かにブルースが訪れた青ナイルの水源近くにあるギーシュ・アッバイ村や、首都アディス・アベバの西に位置する、かつてエンセーテ栽培民が複数居住していたと考えられる地域にエンセーテが生育していることを確認できた。文献からは知る由もないあまたの事実に驚く一方で、私は目の前のエンセーテが、文献のなかに登場する400年前のエンセーテの末裔であるような気がして、不思議ななつかしさを感じながら調査を続けた。

 エンセーテの存在を確認したことに飽き足らず、私は「もしかしたら、かつて存在したエンセーテの澱粉を食用とする慣習の痕跡が残っているかもしれない」と考え、必死になって各地でエンセーテの利用方法について質問して回った。しかし残念ながら、いずれの地域でも現在では穀類栽培が主に行われており、エンセーテの食用利用を目にすることはできなかった。

 エチオピアの大地と同様に、エンセーテに関する謎もまた奥深く、私は釈然としない思いと、新たな研究へのかすかな手ごたえを感じつつ、帰途に就いた。

 歴史学研究が扱う時間の幅は広く、対象とするテーマも多岐にわたっている。それらに加えて、歴史学研究は、文献に散りばめられた情報を分析することで、歴史的事象に秘められた謎を解き明かそうとすることを研究手法上の特性としている。これらの条件が重なった結果、フィールドワークで歴史学研究に直接利用できるような情報を得ることは至難の業となる。しかし歴史学研究においてもフィールドワークが有効な研究テーマは確実に存在する。私にとってエンセーテに関する研究は、ようやく巡り会えたフィールドワークの意義を実感できる研究テーマであった。

 またこの研究では、人類学者の方々から、エンセーテやそれを食用とする民族集団の慣習に関する数多くの貴重なご指摘をいただいた。それらのなかには、私が想像すらしていなかったものも多く、大変勉強になった。「学際的研究」の必要性が叫ばれるようになって久しいが、意義のある学際的研究を行うことは実際のところ極めて困難である。しかし今回のエンセーテに関する研究では、その真価の一端に触れることができたような気がする。

 このように、ここ数年間続けてきたエンセーテに関する研究は、私にとって大変有意義なものであった。何よりも純粋に研究することの楽しさを感じながら続けられたことは、私にとって前に踏み出す原動力となった。

 エンセーテはエチオピア南西部の人々を魅了し、さらに彼らの文化は多くの研究者を惹きつけている。エンセーテについて「自分が専門とする地域とは遠く離れた場所で栽培されている、風変わりな別名を持つ植物」といった認識しかなかった歴史学者の私も、今ではすっかりエンセーテの魅力にとりつかれている。

 どうやら偽バナナの誘惑というものは抗えないものであるらしい。

2012年7月2日


*エンセーテに関する研究については論文にまとめ、日本アフリカ学会の学会誌『アフリカ研究』第80号(2012年3月刊行)に掲載していただきました。 





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青ナイルの水源近くのギーシュ・アッバイ村に生育するエンセーテ(偽バナナ) 


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