Column016 :: Ishikawa Hiroki's HP

憧れの地、希望の国(アドゥーリス、エリトリア)


 その日私はエリトリアのアドゥーリス遺跡を訪れていた。

 かつて紅海に面し、東西海上交易で繁栄したアドゥーリスも、今は土砂の堆積によって内陸に位置する。そこは夏の最高気温が55度にも達するダナキル砂漠に連なる場所であり、真夏でもないのに気温は恐ろしく高かった。猛暑の中で遺跡を隈なく歩き回った後、近くの村に向かった私が最初にしたことは、ペットボトルに入った2リットルの水を一気に飲み干すことであった。暑さのために死を間近に感じたのは初めてであり、肌は日焼けで大変なことになっていたが、憧れの地を訪れたことができたことに私は大いに満足していた。

 自分の研究の話をすると、しばしば「なぜエチオピア史を研究しようと思ったのですか」と聞かれる。マイナーなテーマであるので、無理もない。エチオピア史研究の道に足を踏み入れたきっかけは、大学である講義を受講したことであった。

 私が入学した大学では、2年間の教養課程の後、専門課程に進学することになっていた。今にして思えば自分自身の視野の狭さや未熟さは否めないが、「大学では、高校の授業とは異なる専門的な講義を聴きたい」と意気込んでいた私は、教養課程の講義の大半に失望を感じた。その中で唯一私が魅了されたのが、後の恩師が開講していた『エリュトゥラー海案内記』についての講義であった。この講義は専門課程の講義であったが、その年に導入された新しい制度のおかげで、教養課程の学生であった私も受講することができた。

 『エリュトゥラー海案内記』とは紀元1世紀にエジプト在住のギリシア人商人が記した紅海およびインド洋の商業案内書である。エジプトの女王として名高いクレオパトラがプトレマイオス朝というギリシア人が興した王朝の女王であったことからも分かるとおり、紀元前後のエジプトには多くのギリシア人が住んでいた。当時地中海を支配していたのはローマ人であったが、彼らが胡椒をはじめとするインドの産物を熱望したため、地中海世界とインド洋世界を結ぶ東西海上交易が大いに繁栄した。そのため多くのギリシア人商人が船を仕立てて、紅海やインド洋に乗り出した。『エリュトゥラー海案内記』には、そうした商人たちのために、航路沿いの港の地形・産物・危険など交易に必要な情報が詳細に記されている。

 2000年前に記されたこの史料についての恩師の講義は極めて専門的で、研究に対する情熱がひしひしと感じられた。私にとって、それはまさに大学で求めていた講義であった。『エリュトゥラー海案内記』で扱われている地域は広大であるが、私は特にエチオピアのアクスム王国とその主要港であったアドゥーリスに関する記述に惹かれた。この講義が縁で私は専門課程で恩師に師事し、エチオピア史研究の道を歩むことになった。

 しかし私が大学に入る前からエチオピアに惹かれていたことが、この選択に影響を与えたことは間違いない。私が新聞やテレビのニュースを見るようになったのは1980年代に入ってからであったが、当時は連日エチオピアの飢餓と内戦が伝えられていた。内戦は分離独立を求めるエリトリアの反政府勢力とエチオピア政府軍との間で行われていた。

 他のアフリカ諸国の反政府勢力は大国の支援を受けるのが常であったが、エリトリアの反政府勢力は孤立無援のまま苦しい戦いを続けた。そして彼らはエチオピア政府軍に対して勝利をおさめ、私が大学に入学した1993年に独立を勝ち取った。「なぜ彼らはここまで頑強に抵抗できたのか」「彼らにそこまでさせたエチオピアとはどのような国なのか」……そうした疑問がずっと心の中にあった。

 エリトリアが独立を勝ち取ったとき、多くの人々がそれを祝福し、独立後の国家運営がうまくいくであろうことを疑わなかった。当時エリトリアは希望の国であった。しかしその後エリトリアはエチオピアを含む周辺諸国すべてと紛争を起こして国際的に孤立し、また経済発展が思うように進まないなか、国内では各種の統制・弾圧が厳しくなっていった。

 私が念願かなってエリトリアを訪れたのは、エチオピアとの国境紛争が勃発した後であったものの、国内の移動は基本的に自由で、エチオピアとの国境に近い遺跡に行くことも許可された。驚いたのは、外貨の管理が厳密であることぐらいであった。しかしその数年後に恩師が訪れたときには、首都アスマラの外には一歩も出られなくなっていたという。

 現在エリトリア研究からは遠ざかっているものの、エリトリアが私にとって特別な国であることに変わりはない。エリトリアに関する不穏なニュースを目にするたびに心が痛む。エリトリアが独立当初の輝きを取り戻し、灼熱のアドゥーリスを再び訪れる日が来ることを願ってやまない。

2012年2月1日



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アドゥーリス遺跡の風景。アドゥ―リスは東西海上交易によって繁栄した港であった。土砂の堆積によって、現在海岸線ははるか彼方に遠のいている。乾いた大地に埋もれた遺構は、長い年月の経過を物語っている。

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