Column015 :: Ishikawa Hiroki's HP

エスプレッソに癒される


 コーヒーは世界で最も多くの人々に愛されている飲み物である。

 コーヒーの原産地がエチオピアの南部であることに異論は無いものの、その飲用の起源については謎が多い。しばしば語られるのは、次の2つの物語である。1つの物語は、コーヒーの実を食べて興奮している羊を見た羊飼いがその実を口にしたことがコーヒーの飲用の起原であるとし、もう1つの物語は王女に恋をした疑いで山中に追放された青年が、鳥がついばんでいたコーヒーの実を口にしたことが起原であるとする。

 これらの物語に伝説的要素が濃いのに対して、アブド・アルカーディル・アルジャズィーリーというイスラーム教徒の知識人が16世紀に書き残した情報は信憑性が高い。それによれば、コーヒーをイエメンにもたらしたのは、アデンに居住していたザフハーニーという人物であった。理由は明らかではないが、彼はエチオピアに赴き、そこで人々がコーヒーの実を利用していることを知った。アデンに戻った後病に伏した彼はコーヒーのことを思い出し、それを飲んでみると効き目があった。その噂が広まり、その後イスラームの修行の際にコーヒーを飲む風習がイエメンで広まったという。

 ザブハーニーが他界したのはイスラーム暦875年(西暦1470/1471年)とされ、これらの情報から15世紀の半ばにはコーヒーの飲用がイエメンで広まっていたことが判明する。その後コーヒーはイエメンからエジプトに伝わり、さらにこの地を併合したオスマン帝国において普及した。当初イスラーム教徒の飲み物として敬遠していたヨーロッパのキリスト教徒たちも17世紀にはこの黒い飲み物の魅力に取り憑かれるようになった。

 その後コーヒーに対する人々の渇望はとどまることを知らず、栽培地は拡大し、生産量は増大していった。飲み方もコーヒー豆を煮出して上澄みを飲む方法から、ドリップ、サイフォン、エスプレッソと多様な方式が編み出された。エチオピアに自生していたコーヒーは世界中で愛されるようになった。

 いつ頃コーヒーを飲み始めたのかよく覚えていないの、高校生の時にはペーパードリップでコーヒーをいれるのが日課になっていた。まだエチオピアと何の関係もなかったが、当時からやや酸味のあるエチオピア産モカが好きであった。

 研究を始めてからは、何かものを調べる際、また文章を書く際、必ずコーヒーをいれて飲むようになった。博士論文を書いていたときには、1日にコーヒーを5、6杯いれて飲むのが普通になり、書き終えたあとしばらくの間コーヒーを飲むのが嫌になるほどであった。今でも重要な文章に取り掛かる際には、必ずペーパードリップでコーヒーをいれ、それを飲みながら書き始める。

 ドリップコーヒーと並んで私の生活に欠かせないのが、ポルトガルで慣れ親しんだエスプレッソである。

 ポルトガル料理は、食材にせよ味付けにせよ日本人の口にあうとよく言われるし、私もそう思う。しかし食後にエスプレッソを飲むことに関しては、大方の日本人には不評である。また一息つくときにエスプレッソを飲む習慣も評判が悪い。確かにどんな料理を食べても食後にエスプレッソを飲んでしまえば後味は同じになってしまうし、一息つくときにカップになみなみと注がれたカフェオレを時間をかけてゆっくりと飲みたい気持ちもよく分かる。

 しかし慣れとは恐ろしいもので、ポルトガルに2年程滞在するうちに、食後のエスプレッソは習慣になり、一息つくときにエスプレッソを飲むこともまた習慣となった。日本に帰国して困ったのは、南欧であればどこでも気軽に飲むことができるごくありふれたエスプレッソをなかなか飲めないことであった。

 そんな時に家電量販店に行き、たまたまあるエスプレッソマシーンを目にした。1回分の豆が入ったカプセルを使用するタイプで、後片付けが簡単なうえ、何よりも味が南欧で飲むものと変わらない。正確に言えば、カプセルの中のコーヒー豆の種類と産地の組み合わせによって、南欧で飲むよりもはるかにバラエティーに富んだエスプレッソを味わうことができる。自分の知っているエスプレッソの味がブラジル産ロブスタ種のものにすぎず、想像以上にエスプレッソが奥深いものであることを知って、私は大いに驚いた。それまで家電製品の衝動買いをしたことはなかったが、私はそのエスプレッソマシーンをその場で購入して持ち帰った。

 それ以来、毎日その日の仕事を終えると、エスプレッソをいれることが習慣となった。それを飲む時間だけは、今日の仕事からも明日の仕事からも解放され、癒される。

2012年1月3日



110819002.jpg
コーヒーをいれるエチオピアの女性  


bk2_top.gif

HOME > Columns > Column015