Column012 :: Ishikawa Hiroki's HP

私も牛が好きになりました~講義への思い~


 東アフリカの内陸部には、牛を多数飼う牧畜民たちが住んでいる。彼らにとって牛は財産であるだけではなく、文化的にも極めて重要な意味を持っている。彼らは生育段階や角の形状によって細かく牛を識別し、また牛の体毛の色や模様に関する豊富な語彙を持っている。

 驚くことに、彼らの幾何学模様認識は牛の模様に基づいており、また彼らの色彩名称においては牛の体毛の名称が重要な位置を占めている。それでは我々日本人は何に基づいて幾何学模様を認識し、またどのようなものが色彩名称について重要な位置を占めているのだろうか……

 研究所に務めているため、講義をするのは依頼があった場合だけである。「研究所に所属する者として、どのような講義をすべきであるのか」「アフリカ史というものが大学のカリキュラムに存在しないこの国で、どのようにアフリカ史の講義を行なえばよいのか」といった問いを胸に、毎年試行錯誤を繰り返しながら講義を続けている。

 古今の大国の歴史を研究しているのであればともかく、私の場合専門があまりにもマイナーであるため、普段自分が研究していることをそのまま解説しても社会的に意義があるとは思えない。そこで私は自分がこれまで研究者として歩んできたなかで出会い、感動した先達の研究を織り交ぜて講義を行なっている。自分が心を動かされたテーマで受講者の心を揺り動かすことができなければ仕方ないと考えてのことである。

 日本ではアフリカの牛牧畜民を研究している研究者は多く、多様なテーマが研究されている。上記の東アフリカ牛牧畜民の幾何学模様認識・色彩名称の研究もその1つである。漠然と当たり前だと思っていることが鮮やかにひっくり返され、自文化と他文化を同じ地平に立って比較せずにはいられなくなる。人類学の魅力がつまった研究だと思う。依頼された講義の種類にもよるが、可能であれば必ず講義で取り上げるテーマである。

 食卓に上がる野菜の大半を家庭菜園で栽培し、庭に果樹を植えて嬉々とする両親のもとで育った「農耕民」である私も、この研究を知ってからしだいに牛に興味を覚えるようになった。ついには史料に断片的に現われる牛に関する記述を基にして、エチオピア王国における家畜税に関する論文を執筆するまでになった。今ではエチオピアやその他のアフリカの国々を訪れて牛の群れを見るたびに、現地の人々にあきれられつつ、しつこく写真を撮るまでになった。もはや立派な牛好きである。

 講義で自分の研究内容を取り上げる際にも、自分が心動かされ、かつ普遍的な意味があると思うテーマを話すようにしている。このようにして講義に取り組むなかで、自分の研究がアフリカ研究や歴史研究のなかで、さらには社会の中でどのような位置づけにあるのかということを強く意識するようになった。そしてそれは、幾重もの学問上の制約ゆえに他の人には感知できないほどの微細な変化であるかもしれないが、私の研究活動に確実に反映されている。

 青臭いと笑われるかもしれない。しかし研究というものが人の心を全く動かすことができないものであるならば、それを営むことに意味はあるのであろうか?教壇に立つ者1人1人が青臭い思いを抱きながら講義をしたとしてもこの国の大学は変わらないのであろうか?

 許されることならば、最後の講義まで青臭いことを言い続けるような歴史学研究者に私はなりたい。

2011年10月6日



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エチオピア最大の湖であるタナ湖の畔で出会った牛と少年。いずれも見知らぬ外国人に驚いていた。

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