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疾風に勁草を知る ~東日本大震災に寄せて~


 疾風に勁草を知る。

 後漢の光武帝劉秀の言葉。私の座右の銘である。

 紀元前206年に劉邦が興した漢帝国は建国後約200年で衰え、帝位を奪った王莽が新を興した。しかし王莽の現実離れした政策は次々に破綻して民衆を苦しめ、各地で反乱が生じるようになった。この混乱の中で頭角を表し、ついには漢帝国の復興をなしとげて後漢の初代皇帝となったのが劉秀である。

 三国志の英雄たちがあまりにも有名であるために、その陰に隠れて知名度は高くないものの、劉秀はまさに英雄であった。むしろ中国史上最高の英雄であろう。彼の人となりを伝える逸話を読むと、彼が滅亡した帝国を復興させることができた中国史上唯一の人物であったことも大いに納得できる。

 新に対する反乱に加わるまでの彼は、皇帝の血をひくとはいえ、「地元で評判の美人と結婚し、見栄えのよい職に就きたい」というほほえましい夢を語る、温和で冗談好きな青年であった。しかしひとたび反乱に身を投じると、彼は武勇と人徳で人びとを魅了し、その旗下には後に雲台二十八将と呼ばれるようになる名将や優れた文官たちが雲集した。

 苦難の末に帝位に即くと、劉秀は政務に熱心に取り組んで帝国を見事に復活させた。彼は官僚の不正に厳罰を持って臨む一方で、奴隷を解放し、庶民に対しては税を軽減するなどしてその生活の向上に心をくだいた。王朝を興した人物が必ずと言っていいほど猜疑心にとらわれて数多くの人びとを処刑するのが常である中国にあって、彼はそのような残虐な行いをすることもなかった。むしろ家臣や民に無礼なことを言われても笑って許したという度量と寛容さを示す逸話に事欠かない。

 彼は数々の名言を残したことでも知られている。「疾風に勁草を知る」はその中で最も有名なものであろう。これは劉秀が華北を転戦していた際、あまりにも苦しい戦いが続いたために次々と人びとが彼の下を去っていくなかで、それでもなお自分に随っていた王覇という人物に言った言葉である。「強い風が吹いてはじめて、本当に強い草かどうかが分かる」、すなわち「苦難のなかにあってはじめて、人間の真価が明らかになる」という意味である。

 私は幼いときから中国史に惹かれ、大学では文学部の東洋史学研究室に進んだ。中国史、そして漢文の素養が日本人にとって必須の教養であった時代はとうに過ぎているとはいえ、良くも悪くも人間の営みのすべてがつまっている中国史に学ぶことは未だ多い。現在はアフリカ史研究の道を歩んでいるとはいえ、中国史の魅力にふれ、東洋史学を専攻したことは自分の人生にとって貴重な体験であった。

 東日本大震災の発生後、「疾風に勁草を知る」という言葉に言及した文章をしばしば目にするようになった。それらは被災者あるいは救援活動にあたる人びとが苦難のなかにあって示す毅然とした態度を称え、あるいは団結してこの危機を乗り越えることで日本人が勁草であることを示そうと呼びかけている。これらの文章を読むと、日本という国が幾多の勁草によって支えられていること、そして日本人が「疾風に勁草を知る」という言葉を1000年以上にわたって語り継ぎ、それを胸に苦難を乗り越えてきたことを思わずにはいられない。

 私は自分が勁草であるとは思わない。しかしこの疾風の中にあって、勁草であろうとする気持ちを失ってはいけないと思っている。

2011年4月5日



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光武帝肖像

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