Column005 :: Ishikawa Hiroki's HP

美貌の王妃の宮殿で愛に出会う(コスカム、エチオピア)


 ソロモン朝エチオピア王国の都であったゴンダールの郊外にコスカム宮殿という離宮がある。

 この宮殿は、ソロモン朝の君主バカッファ(在位1721~1730年)の王妃であったメンテッワブの宮殿として知られている。1770年代にナイルの水源を発見するために王国を訪れたスコットランド人探検家ジェイムズ・ブルースによれば、エチオピア王国では君主が姿を変えて王国内を旅する慣習があったという。バカッファがスーダンとの国境に近い、クァラという地方にそのようなお忍びの旅をしていた際、熱に冒され、その看病をメンテッワブがしたのが2人のなれそめであった。都に戻ったバカッファはすぐに彼女を呼び寄せ、王妃にしたという。彼女は美貌で知られ、夫の他界後ゴンダールで数多くの男たちに言い寄られた。それをわずらわしく思った彼女は郊外のコスカムに宮殿を築いて移り住んだと伝えられている。

 バカッファの他界後、彼女は息子のイヤス2世(在位1730~1755年)、孫のイヨアス1世(在位1755~1769年)の後見人として、エチオピア王国内で隠然たる影響力を発揮した。私が専門としてきたのは、まさに彼女の一族が高位高官に取り立てられ、栄華を極めたゴンダール期(1632~1769年)の後半である。そのため私にとって彼女は「美貌の王妃」というよりも、エチオピア王国衰退期の複雑な政治情勢の中で国政の中心に居続けた「老練な政治家」という印象の方が強い。

 コスカムには現在メンテッワブの宮殿の廃墟のほかに教会や宝物庫がある。久しぶりにコスカム宮殿や宮殿が立つ丘からの景色を眺めたいと思った私は、コスカムまで足を運んだ。到着したときには、教会で昼の礼拝が始まっていた。周囲を壁に囲まれた教会の中庭を通らなければ宮殿跡には行けない。しかし礼拝の邪魔をするわけにもいけないと思い、門の外で礼拝が終わるのを待つことにした。しかしなかなか終わらない。そんなとき遅れて1人の少女がやってきた。彼女に「礼拝はいつ終わるの?」と尋ねたところ、あと1時間はかかるという。

 それがきっかけで彼女と話すことになった。彼女の名前はフェクルタで、これは日本風に言えば「愛」という名前である。彼女は13歳だった。いろいろな話をした後で「将来の夢は何?」と聞くと、「お医者さんになって、お父さんとお母さんに楽な生活をさせてあげたい」と彼女は言った。外国人と見れば「ペンちょうだい」「お金ちょうだい」としか言わない子どもたちにつきまとわれて気が滅入っていた私は、彼女のこの言葉を聞いてすっと心が軽くなった。

 そうこうしているうちに時間が経過した。彼女が「もう礼拝は終わったから入っても大丈夫だよ」と言うので、私は礼を言って門をくぐり、宮殿跡へ向かった。ひととおり敷地内の史跡を見終わると、私は宮殿の立つ丘に腰を下ろして眼下を眺めた。目に映る家々の1つ1つにフェクルタのような子どもが住んでいるような気がして、街が輝いて見えた。「フェクルタの願いがかなえられますように」と私は心の中で祈った。

2011年3月9日



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コスカム教会、祈りの風景


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