Column004 :: Ishikawa Hiroki's HP

雲の上で幸せについて考える(ダブラ・ビザン、エリトリア)


 エチオピアからエリトリアにかけて広がる高原にキリスト教が伝わったのは4世紀のことであった。エチオピアのキリスト教会はしばしばエジプトのコプト教会と同一視される。確かに1950年代まで1000年以上にわたってエチオピア教会の長は、コプト教会から派遣された聖職者が務めていた。しかしこれらの聖職者は一部の例外を除けば名目的な存在であり、影響力を行使することは稀であった。またエチオピア教会の教義がコプト教会の教義と必ずしも一致しているわけではない。したがってエチオピア教会をコプト教会と同一視するのは正しいとは言えない。

 エチオピア教会の教義が独特のものになった要因は、教会内でしばしば生じた独自の教義論争の結果である。私が研究してきたソロモン朝エチオピア王国においてもエチオピア教会内の教義論争は頻発し、それらは時に世俗の権力闘争と結びついて王国を揺るがした。このような教義論争で重要な役割を果たしたのが、ダブラ・リバノス修道院とダブラ・ビザン修道院である。1993年にエリトリアがエチオピアから独立した結果、エリトリア教会がエチオピア教会から独立し、それに伴ってダブラ・ビザン修道院はエリトリア教会の主要な修道院となって現在に至っている。

 エリトリアを訪れた私にとってダブラ・ビザン修道院は是非とも訪れたい場所の1つであった。首都アスマラのエリトリア教会の本部において許可状を入手した私は、アスマラから紅海沿岸のマッサワ港に向かうバスに乗り、ダブラ・ビザン修道院のある山のふもとで下車した。頂にある修道院を遥かに望みながら山道を黙々と2時間半ほど登り、私はようやく修道院にたどりついた。いつの間にか周囲には雲が立ち込め、修道院はさながら雲の海に浮かんでいるようであった。

 突然訪れた私を修道士たちはインジェラと紅茶でもてなしてくれた。私がそれらを食べ終わると、彼らは訪問の目的などを聞いてきた。異教徒である私は修道院で夜を過ごすことは認められなかったものの、敷地内を見学することは許された。案内をしてくれたのは若い修道士で、敷地内の建物などの説明を終えた後、大麦でつくった飲み物をふるまってくれた。それを飲みながら彼と話していて感銘を受けたのが、キリスト教信仰に対する強い想いであった。彼は日本が物質的に豊かな国であることは知っていた。しかしそのようなことは歯牙にも掛けず、彼はこの地が神の祝福を受けており、神に仕える自分たちがいかに幸福であるかを力説した。彼の言葉に耳を傾けながら、私は幸福について思いをめぐらせた。しかし結局答えになるようなものは見つからず、私は修道士たちに礼を言って修道院を後にした。

 それ以来エリトリアやエチオピアで乾いた大地の上に広がる空を眺めていると、600年以上の歴史を誇るあの雲の上の修道院のことを思い出し、もしかしたら神は実在してこの地を祝福しているのかもしれないという思いにとらわれるようになった。

 日本にいても時折あの修道士と交わした会話を思い出して考える。この地は祝福されているのだろうか、自分は彼のように幸せだと自信を持って言えるだろうかと。

2010年10月13日


*このコラムは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科エチオピア研究グループのメールマガジン『エチオピア・フィールドだより』Vol. 35(2010年10月)に掲載していただいた文章を転載したものです。 





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雲海に浮かぶダブラ・ビザン修道院

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