Column003 :: Ishikawa Hiroki's HP

願わくは不朽なるものを


 このHPを創る際、自分は何者で、何を伝えたいのかということを考えた。その時に頭に浮かんだのが、「願わくは不朽なるものを」というタイトルと「真摯に史料に向き合い、安易な妥協をせず、不朽なるものを残すことに心を砕く」という文章であった。これらは私がこれまでの人生で強く影響を受けた3つの言葉に基づいている。

 1つ目は出身研究室の先輩の言葉である。大学院時代のある日、たまたま研究室でその先輩と史料講読の話しになった。その際その方は「史料の中で1ヶ所でも分からないところがあったら、その史料を読めたとは言わないんだよね」としみじみおっしゃった。それまで私は、史料というものは生身の人間が残したものである以上、そこに解読困難な文章や単語が多少含まれることは仕方のないことと考えていた。その方が語学の天才であり、特にトルコ語史料を緻密に読むことにかけて右に出る者がいないということは耳にしていたが、まさかそこまで高いレベルで考えていらっしゃるとは思わず、愕然としたことを今でもはっきりと覚えている。それ以来、私は覚悟を持って真摯に史料に向きあうことを心がけるようになった。

 2つ目も出身研究室の先輩の言葉である。ある日私は大学院生が集まる部屋で他の院生たちと雑談をしていた。その中で私は「自分の専門分野は良質の史料が少なく、先行研究も杜撰なものが多い。このような分野では先行研究の誤りを正すことが精一杯で、歴史学研究全般に寄与できるような研究を行うことは不可能ではないか」と口にした。アラビア語史料を読みながらそれを聞いていたその先輩は、顔を上げて一言「下を見るな」とおっしゃった。その方の研究の切れ味の鋭さは有名であったが、そのような天賦の才を持つ人が常に高みを目指して研究を続けているのに、才能のない自分が安易に考え、妥協しようとしていることをこの一言に知って私は深く自らを恥じた。この時私は、志を高く持ち、研究において安易な妥協をしないことを誓った。

 3つ目は恩師の言葉である。拙著『ソロモン朝エチオピア王国の興亡』「あとがき」に書いたとおり、私が現在あるのは学部生の時から師事している恩師のご指導の賜物である。恩師の言葉の中で最も記憶に残っているのが、「歴史学者というものは、自分の専門分野において現在世界で一番優れた研究をしようとするのは当然のことで、それが後何年、何十年、何百年最も優れた研究として残るかという点に心を砕かなければならない」というものである。この言葉を聞いたとき、自分の目指すべきものが時空を超越したものであることを知って呆然としながらも、人生の目標を悟って清清しい気持ちになったことを昨日のことのように覚えている。実際、歴史学研究において優れた業績というものは、年月を経てもその価値を失わない。私の研究も書棚に収められている不朽なるものに支えられている。時代の流れに逆行しているかもしれないが、歴史学者として生きる以上、不朽なるものを残そうとする努力を怠ってはならないと思っている。

 人はいつか朽ちる。だからこそ不朽なるものを。

2010年7月26日



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研究室の書棚の一画


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