IV. リベリア内戦史資料


4-2. 内戦武装勢力

*勢力台頭の時期と組織間の系譜関係を考慮した順番で列挙した。

line

NPFL(リベリア国民愛国戦線:National Patriotic Front of Liberia):
指導者チャールズ・テイラー
リベリア内戦における最大の武装勢力。組織の前身は、1980年の軍部クーデタで国外に脱出したアメリコ=ライベリアンの一部エリート層(TWP党員)と、85年のクィウォンパ事件により自国を追われたギオ族・マノ族出身者が、亡命先のコートディヴォワールで別個に結成していた複数の小グループ。その後テイラーが彼らに合流し、ドー政権とクラン族偏重主義の打倒をかかげるゲリラ集団へと組織化された。メンバーは80年代後半にリビアとブルキナファソでゲリラ訓練を受け、両国政府およびコートディヴォワール政府から武器と活動資金の提供を受けた(カダフィ大佐は、86年トリポリ空爆への報復として、ドー親米政権の転覆をはかったといわれ、ウフエ=ボワニ大統領(当時)は自らと姻戚関係にあるトルバート元大統領を殺害したドーを深く恨んでいたとされる)。89年初頭時点で、すでにアビジャンにはNPFLの中核グループ(約160名)が形成されていた。そこにはリベリア人亡命者のほか、シエラレオネ人やガンビア人のゲリラ活 動家もふくまれており、テイラーの護衛隊は約15名のブルキナファソ人兵士だったという。同年末にニンバ州へ侵攻して以後、NPFLは地元のギオ族・マノ族住民から絶大な支持を得て兵力を急増させ、ほぼ半年で国土の大半を掌握、首都モンロヴィアに進撃する一大勢力となった。初期のNPFLは、ドー政権の崩壊を望むアメリコ=ライベリアンの旧エリート層やフランス系・レバノン系の財界人から支援を受けていた。そのため組織内部では、反乱の実戦部隊にあたるギオ族・マノ族の一般兵士層と、テイラーの背後で財政支援をつづけるアメリコ=ライベリアンとの間に協調がみられず、ギオ族出身のプリンス・ジョンソン(90年)やウォエウィユ(94年)の離反を生んだ。90年後半、ECOMOGの上陸によりモンロヴィアの政権掌握に失敗した後は内陸のバルンガ市に本拠を置き、最盛期の91年には“テイラー政府”のもとで国土のほぼ9割(国内13州中の12州)を掌握した。組織の主たる資金源は、国内の豊富な天然資源(鉄鉱石・ダイアモンド・ゴム・木材)の非合法輸出であり、ベルギー(ダイアモンド)やフランス、マレーシア(木材)の外国企業と取り引きを続けていた。武器は、コートディヴォワールのダナネ経由でブルキナファソから調達されたほか、内戦後半期には東欧や東南アジアのオープンマーケットからも直接調達されていた。コートディヴォワールは、自国サンペドロ港のNPFLによる利用を黙認してきたともいわれ、英語圏西アフリカ諸国への権益拡大をねらうフランスがNPFLを支援していたともいわれる。NPFLは、二度目のモンロヴィア侵攻に挫折した92年末ごろから、ULIMOの勢力拡張とECOMOGの反撃でしだいに勢力を弱めた。バルンガ本部をULIMOに包囲された93年には、掌握地が国土の50%にまで縮小した。さらに94年後半には、新勢力LPCやULIMO-J、NPFL-CRCの連合軍に、一時バルンガ本部までを占拠された。しかし内戦終結時点でも国土の約40%を掌握する最大の武装勢力として、内戦後半期における暫定政府の組閣人事や、総選挙における集票活動を終始有利に進め、97年8月にはテイラー新政権が誕生した。現与党のNPPは、NPFLを前身とする政党組織である。
INPEL(リベリア独立国民愛国戦線:Independent NPFL):
指導者プリンス・ジョンソン
1990年2月ごろ、NPFL司令官のプリンス・ジョンソンが、同胞のギオ族兵士とともにNPFLを離脱して結成した小規模の武装勢力。指導者ジョンソンはテイラーの政治的アジェンダ、とりわけその親リビア主義に反感をもっていたが、多くの下層兵士が彼とともにNPFLを離脱したのは、ギオ族出身者などの“地方民”を軽視する志向がNPFL幹部、とくにアメリコ=ライベリアンのエリート層に根づいていたためといわれる。同年6月ごろからNPFLやリベリア国軍と激しい交戦状態に入り、同月末にはNPFLに先がけて首都侵攻一番乗りを果たした。親米主義者のジョンソンは、リベリア内戦へのアメリカの軍事介入を強く求めていた(アメリカがジョンソンに武器を供与したという説もある)。ECOMOG上陸後は、自軍本拠地を首都郊外のコールドウェルに置いてECOMOGと共闘し、米国務省から一時は紛争解決者の筆頭候補と目されていた。INPFL兵士がドー大統領の暗殺に成功した背景には、モンロヴィア駐在アメリカ大使館との合意があったともいわれる。しかし翌91年後半、組織内部での残虐な処刑行為が告発され、TLAから殺人罪の容疑を帰せられたため、ジョンソンはIGNUからの離脱を表明。以後は、内戦各派によるリベリア和平交渉の席上にもINPFL代表が招かれない状況がつづいた。ジョンソンは、同じ年に政党IDP(独立民主党:Independent Democratic Party)を結成したものの、もともと小規模の軍事勢力だったINPFLの影響力はIGNUとの反目でさらに低下した。92年後半のモンロヴィア攻防では、INPFLもECOMOGの補助軍として戦闘に参加したが、同年10月に全兵士の武装解除がなされて解散(一部兵士はNPFLに転身した)。指導者ジョンソンも祖国の戦場を離れてラゴスに亡命した。
RUF(革命統一戦線:Revolutionary United Front):
指導者フォディ・サンコー
1991年初頭にモモ政権(当時)打倒をかかげ、リベリア国内からシエラレオネへ侵攻した武装勢力。NPFLの結成に参画し、NPFLとともにニンバ州へ侵攻したシエラレオネ人ゲリラ集団が組織の前身。同年後半から、リベリア・シエラレオネ間の国境地帯でNPFLと連合を組み、シエラレオネ国軍やULIMOと激しい交戦状態に入った。
AFL(旧リベリア軍:Armed Forces of Liberia):
指導者デヴィッド・ニムレィ→ヘゼキア・ボウェン
1990年9月のドー暗殺後に内戦ゲリラ勢力へと転落した旧リベリア国軍および大統領特別親衛隊の残党。組織幹部の3分の2はクラン族出身者からなり、ドー政権期におけるクラン族偏重主義の維持とテイラー打倒を目的とする。メンバーには、85年のクィウォンパ事件でニンバ州住民を虐殺した国軍将校が多数ふくまれる。NPFLの侵攻直後にニンバ州へ投入された国軍指揮官も、同州のギオ族・マノ族住民に対し5年前と同様の虐殺行為を演じた。ドーが暗殺されると、ニムレィ大将が大統領官邸に籠城し、一時リベリアの新大統領を自称した。ニムレィが国外に亡命した91年以後はボウェン大佐が指導者となり、BTCなどモンロヴィア市内の旧国軍兵舎を本拠に、ECOMOGの友軍として戦闘を継続した。内戦全般を通じ、組織内部の軍規の乱れ、とりわけギオ族・マノ族など敵対する民族集団への残虐行為でとくに知られた。90年7月のモンロヴィア難民虐殺事件、93年6月のハーベル虐殺事件の首謀者はいずれもAFL兵士であった。94年9月、ジュルエ中将などAFL兵士12名によるクーデタ未遂事件が首都で発生すると、それまで一般の世論に抗してAFLを正当なリベリア国軍として認めてきた暫定政府もついに見解を変え、ボウェンを陸軍幕僚長の公式ポストから解任した。96年前半のモンロヴィア騒乱では、ULIMO-J兵士によるBTC人質籠城にAFL兵士も参画、あらためて組織内部のクラン族偏重志向を鮮明にした。97年総選挙では独自の政党を結成せず、国軍組織に復帰している。
ULIMO(リベリア民主統一解放運動:United Liberation Movement for Democracy in Liberia):
指導者ローリー・セーキエ(一時、エルハジ・クロマー)
組織の前身は、内戦勃発後にシエラレオネ、ギニア、コートディヴォワール、アメリカなどへ亡命していたドー政権期の官僚・軍人・大統領親衛隊員などが別個に結成していた以下の三団体。(1)リベリア・ムスリム救済運動(コナクリを拠点に1990年2月結成、マンディンゴ系の団体、指導者エルハジ・クロマー)。(2)リベリア連合防衛軍(クラン系の団体、指導者アルバート・カルペー)。(3)リベリア平和評議会(クラン系の団体、指導者ジョージ・ボレィ)。これらのグループが91年初頭からフリータウンで協議を進め、翌91年5月にコナクリで正式にULIMOを結成した。ULIMOの実戦部隊は、シエラレオネ政府の支援で同国ボ地方やケネマ地方で軍事訓練を受けたとされる。同年6月にシエラレオネ・リベリア国境地帯でNPFLやRUFと交戦状態に入ってから、武装勢力としての存在が知られるようになった。シエラレオネ国軍との共闘でNPFLを追撃し、9月にはリベリア国内に侵攻。リベリア北西部におけるNPFLとの戦闘は、翌年からしだいに首都モンロヴィアへと接近し、ECOMOGと三つどもえのモンロヴィア戦争をひきおこした。リベリア国内の拠点をタブマンバーグに据えたULIMOに、ECOMOGからNPFL攻撃の軍事支援を受けていたという臆測や、テイラーを嫌うアメリカ政府の支援も受けていたという臆測が流れた。翌93年2月、ボミ州とグランドケイプマウント州に加えてロファ州も掌握し、国内北西部をNPFLから完全に奪取した。ULIMOは結成当初から、ドー政権期に優遇された非ムスリム系のクラン族出身者とムスリム系のマンディンゴ族(およびゴラ族)出身者との危うい連合関係の上に成り立っていた。とくに前者の多くが組織の知的ブレーンを形成していたのに対し、後者はむしろ実戦部隊の主力をなしており、この組織上の歪みが92年以降に激しい内部対立として顕在化した。93年6月以降、ULIMOは初代指導者セーキエが率いる「政治派」と、軍司令官クロマーが率いる「軍事派」に分裂、さらに94年前半以降は「軍事派」の内部でマンディンゴ族系の「クロマー派」とクラン族系の「ジョンソン派」の分裂が生じた。このうちフリータウンに本部をおく「政治派」は動員可能な兵力に欠けていたため自然消滅したが、「軍事派」のクロマー派はULIMO-Kとして、ジョンソン派はULIMO-Jとして、それぞれ独立の武装勢力に発展していった。
ULIMO-K(ULIMOクロマー派:ULIMO-Kromah faction):
指導者エルハジ・クロマー
1994年3月以降、ULIMO「軍事派」の分裂によりULIMO-Kと呼ばれるようになった旧「軍事派」の主流グループ。幹部の大半がマンディンゴ族出身者であるため、プレス記事によってはマンディンゴの頭文字をとり“ULIMO-M”と表記されることもある。そのほかメンバーには、ゴラ族、ヴァイ族、バンディ族、キシ族、ロマ族など、いずれも国内北西部の民族出身者がふくまれていた。シエラレオネのストラッサー政権(当時)がULIMO-Jを優遇したために旧ULIMO本部のフリータウンを失うが、代わりにマンディンゴ本来の拠点、ギニア国内に強力な基盤を有していた。ギニア政府からはいわゆる“マンデ連帯”にもとづく支援を受け、同国から武器を調達。イスラーム湾岸諸国からも多額の財政支援を得ていた。国内拠点をヴォインジャマ市におき、95年後半からNPFLとULIMO-Jに猛攻をかけ、国内西部のダイアモンド産出地域をすべてULIMO-Jから奪取。NPFLと並ぶ国内の二大武装勢力へと成長した。96年のCS発足後、指導者クロマーはテイラーと巨頭同盟を結び、ULIMO-J、LPC、AFLなどのクラン族連合に対抗した。97年にはULIMO-Kを母体とする政党ALCOPが結成され、テイラー政権下の野党第二党となった。
ULIMO-J(ULIMOジョンソン派:ULIMO-Johnson faction):
指導者ルーズヴェルト・ジョンソン
1994年3月、旧ULIMO「軍事派」の司令官ルーズヴェルト・ジョンソンが同派を離脱して結成したクラン族系武装組織。クラン族の頭文字をとり“ULIMO-K”と呼ばれることもある。彼らが「軍事派」を離脱した最大の理由は、同派指導者のクロマーが暫定政府ポストに同胞のマンディンゴ族出身者を多数登用する一方、クラン族出身者を時に応じて解任したことにあった。離脱直後からULIMO-Kと激しい戦闘をはじめ、同年5月にはULIMO「軍事派」の本拠地タブマンバーグをULIMO-Kから奪取した。一方、8月からはLPC、LDF、NPFL-CRCなどの中小武装勢力と反NPFL連合を形成、翌月にはバルンガのNPFL本部を一時占拠した。ジョンソンは旧「政治派」指導者のセーキエとも親しく(セーキエは後にULIMO-Jへ転身している)、シエラレオネ国内の重要拠点をもとにRUFとの戦闘にもあたっていた。しかし95年以降、組織内でジョンソン派と反ジョンソン派の対立がめだつようになり、一部兵士が同じクラン族系のAFLに転身した。翌年3月には 組織内でジョンソンの更迭騒ぎが生じ、CSメンバーのテイラーとクロマーがこれを口実にジョンソンの逮捕をはかったため、ジョンソン派の一部兵士が首都で暴徒化、モンロヴィア騒乱へと発展した。この騒乱でULIMO-JはAFLやLPCとクラン族連合を組み、NPFLとULIMO-Kの合同軍“CS政府軍”に対抗した。その後、組織としての影響力は相対的に低下し、97年総選挙でも独自の政党を結成するにはいたらなかった。
LPC(リベリア平和評議会:Liberian Peace Council):
指導者女ー時・ボレィ
組織の母体は、内戦勃発後にコートディヴォワールへ亡命していたドー政権期の軍人層からなる。彼らはすでに1990年から、指導者ボレィのもとで同名の団体LPCを結成していた。翌年5月に組織ぐるみでULIMO結成に参画、内戦前半期にはULIMOの下部組織として活動した。93年9月からULIMOを離れ、国内南東部のグランドゲデ州で独自の武装勢力として台頭した。テイラー打倒をかかげる組織幹部はクラン族出身者が主流だが、同じクルー語系のグレボ族やクルー族出身者も多数ふくまれる。幹部の中には旧AFL兵士もおり、彼らが結成直後のLPCに武器を調達していたとされる(この説によれば、AFLは当時の和平合意を表向き順守するため、傀儡の武装ゲリラを必要としていた)。ただしLPCの武器調達には他にも諸説があり、反NPFLゲリラを支援するECOMOGナイジェリア軍からの調達説や、国内南東部のNPFL占拠地に以前から権益をもっていた政府組織・特定個人からの調達説もささやかれてきた。勢力台頭の直後から、グランドゲデ州・シノエ州につづきグランドバッサ州、リヴァーセス州へと侵攻した。ズウェドル市とグリーンヴィル市に本拠をおき、翌94年10月には国内南東部のほぼ全域(ハーパー市とコートディヴォワール国境部をのぞく)を掌握。ECOMOGの支援も受け、ブキャナン港などNPFLの沿岸物流ルートを遮断した。同時に、ULIMO-J、LDF、NPFL-CRCなどと反NPFLの連合を組み、バルンガのNPFL本部を一時占拠した。94年以降は国境地帯におけるNPFLとの戦闘で、コートディヴォワール領内にたびたびLPC兵士が侵入して国際問題に発展。96年のモンロヴィア騒乱では、ULIMO-JやAFLとのクラン族連合が明らかとなり、同年10月にはLPC兵士によるテイラー暗殺未遂事件が発生した。LPCは内戦末期の時点で、NPFLとULIMO-Kに次ぐ国内第三の武装勢力に成長し、97年総選挙では独自の政党NDPLを結成、テイラー政権下の野党となった。
LDF(ロファ防衛軍:Lofa Defence Force):
指導者フランソワ・マサクォワ
1993年後半にロファ州で台頭した小規模勢力。組織の母体は、ドー政権期に国軍兵士として積極的に徴募されていた、ロマ族の伝統的狩人集団の残党。ポロ結社組織(拙稿 [1997a])を背景にもつともいわれる。指導者マサクォワは自軍の中立性を主張していたが、実際にはロファ州住民を虐殺したNPFL兵士や、旧ULIMO兵士(とくにポロ結社の事物を破壊したマンディンゴ系のイスラーム兵士)に対する強烈な反感が組織内に根づいていた。93年末からロファ州のギニア国境地帯でULIMOと本格的な交戦状態に入り、翌94年9月にはULIMO-J、LPC、NPFL-CRCとの連合で、バルンガのNPFL本部を共同占拠した。内戦終結時点まで組織は存続し、97年総選挙ではLPCの後身政党NDPLに参画した。
NPFL-CRC(NPFL中央革命評議会:NPFL-Central Revolutionary Council):
指導者トム・ウォエウィユ
NPFL分離派(NPFL dissidents)とも呼ばれる。94年7月にLNTG閣内から反テイラーの声明を発表したNPFL幹部3名(ウォエウィユ、ドキエSamuel DOKIE、スプウッドLaveli SUPUWOOD)により結成された。ギオ族出身の指導者ウォエウィユは、NPFLの組織構造の歪み、とくにギオ族・マノ族出身の一般兵士が、アメリコ=ライベリアン主流の組織上層部から疎外されてきた点に不満をいだいていた。また彼は、ECOMOGのリベリア介入を“新たなパンアフリカニズム”として歓迎する一方、テイラーの好戦主義をリベリア和平回復の最大の障害とみなしていた。ラゴス亡命中のプリンス・ジョンソンとの密約も一時は取りざたされ、94年9月の反テイラー連合では、他の武装勢力とともにバルンガのNPFL本部を占拠した。ただし、NPFL-CRCは純然たる武装勢力というより、むしろ政治的イデオロギーを前面に押し出した組織であった。そのため96年以後は、武力を背景にしたテイラーの政治工作により暫定政権の主流から外され、周縁化した。97年総選挙でも独自の政党を結成するにはいたらなかった 。

line

*その他の弱小武装勢力
NDF(国民民主戦線:National Democratic Front):
指導者不明
1991年7月に存在が知られる。AFL兵士から中古の武器を調達してグランドゲデ州のNPFL拠点を襲撃、一部地域を掌握したが、その後は自然消滅した。
NRC(ニンバ救済評議会:Nimba Redemption Council):
指導者カルバート・ワネス
1992年末にニンバ州で結成された。NPFLがニンバ州の地元有力者を次々と処刑しはじめたため、これに裏切りを感じた一部のギオ族・マノ族出身者がニンバ州で反テイラーのもとに結集した。翌93年、イェケパ鉱山をはじめとする州内のNPFL拠点を執拗に攻撃したが、指導者のワネスがアメリカ在住だったこともあり、その後は自然消滅した。
CDF(コンゴ防衛軍:Congo Defence Force/Front):
指導者アルマ・ユロ
1996年6月以降、存在が知られるようになった。主としてボミ州出身の兵士からなる。大統領選を翌年にひかえ、自軍の戦闘停止を約束していたテイラーが裏で組織したNPFLの傀儡勢力。NPFLのほか、ECOMOGや一部のULIMO-K幹部からも水面下の支援を受け、ULIMO-Jへの攻撃用に利用された。指導者のユロは、ジョンソンと決裂した元ULIMO-J幹部。“コンゴ防衛”という組織の名称から、当初はアメリコ=ライベリアン系の武装勢力とも臆測されたが、むしろその名はテイラーとアメリコ=ライベリアン旧支配層との親密な関係を物語っていた。

line
Index | アトリエIV トップページ | 前の資料 | 次の資料 |