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| ■4-1. 国際組織と停戦監視団 |
| A. 本資料に登場する一般略号 | |||
| ◆国連 | FAO UNHCR UNICEF WFP WHO |
Food and Agriculture Organization UN High Commissioner for Refugees UN Children's Fund World Food Programme World Health Organization |
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| ◆諸国共同体 | EC EU OAU |
European Commission European Union Organization of African Unity |
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| ◆救援組織 | ICRC MSF |
International Committee of the Red Cross M |
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| ◆国際プレス | AFL BBC EIU |
Agence France Presse British Broadcasting Corporation Economist Intelligence Unit |
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| B. 内戦史にかかわる国際組織と停戦監視団 |
| ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体:Economic Community of West African States/ 仏 CEDEAO:Communaut |
| 西アフリカ英語圏の大国ナイジェリア・ガーナ主導の下で、1975年5月28日にラゴスで結成された西アフリカ諸国間の地域経済共同体。16か国が加盟(ガーナ、カボヴェルデ、ガンビア、ギニア、ギニアビサウ、コートディヴォワール、シエラレオネ、セネガル、トーゴ、ナイジェリア、ニジェール、ブルギナファソ、ベナン、マリ、モーリタニア、リベリア)。英語圏加盟国と仏語圏加盟国のあいだの伝統的な対立は、今回のリベリア内戦においてもECOMOG参加をめぐる後者の消極性(およびブルギナファソとコートディヴォワールのNPFL支援容疑)や、前者による後者の国境侵犯問題などのかたちで顕在化した。しかし、一連のリベリア和平交渉の主宰者、平和維持軍の指揮者、および暫定政府組織の樹立者として、ECOWASは内戦期を通じてつねにリベリア停戦プロセスの主役でありつづけた。域内経済の自由化を本来の目的とするECOWASが、リベリア内戦を契機に集団安全保障の確立にも乗り出したこと、またアフリカ地域における紛争がECOWASの努力により、初の域内解決へと結実したことは画期的なできごとであった。 |
| ECOWASリベリア調停常任委員会(ECOWAS standing mediation committee on Liberia) |
| リベリア内戦前半期における5か国調停委員会。1990年5月のECOWAS首脳会議で発足した。当初のメンバー国は、ナイジェリア、ガーナ、ガンビア、トーゴ、マリだったが、以後は他のリベリア周辺諸国が交代でつとめた。 |
| ECOWAS9か国委員会(Nine-nation ECOWAS mediation committee) |
| リベリア内戦後半期における9か国調停委員会。1992年10月のECOWASリベリア調停会議で発足した。メンバー国は、英語圏のナイジェリア、ガーナ、シエラレオネ、ガンビア、仏語圏のコートディヴォワール、ギニア、セネガル、マリ、トーゴ。 |
| ECOMOG(ECOWAS停戦監視団:ECOWAS Monitoring Group) |
| ECOWASがリベリアの停戦監視を目的として編成した多国籍軍(最大時の兵力1万8000)。1990年7月5日のECOWASリベリア調停常任委員会会議で構想され、1か月後の同委員会首脳会議で創設が決議された。8月下旬のモンロヴィア上陸直後にNPFLの政権掌握を目前でくいとめ、内戦終結までモンロヴィア自由港の作戦本部から市内を自軍管轄下においた。ナイジェリア国軍がつねに組織の主力で、ECOMOG総司令官(野戦司令官)のポストも初代クァイヌー(ガーナ陸軍大将)をのぞきナイジェリア人将校が歴代を占めてきた。ECOMOGのリベリア派遣はナイジェリアにとり域内リーダーとしての国威をかけた事業だったが、そこにはドー政権期に培われたリベリア・ナイジェリア首脳間の親密な関係も強く作用していた(ババンギダ将軍(当時)はECOMOG派遣にあたり、側近のナイジェリア財界人からリベリア投資の権益保護を求められ、同時にリベリアの国家経済に対する今後のナイジェリアの影響力も考慮していたといわれる)。テイラーは、ECOMOGの主力が英語圏諸国である、とりわけドー政権に近いナイジェリアであることを再三にわたり非難し、モンロヴィアで樹立された暫定政府の正当性も同じ理由から認めようとしなかった。そのためECOMOGには、91年から仏語圏のセネガル軍が、93年末以降にはOAUを通じてECOWAS非加盟の東アフリカ諸国からタンザニア・ウガンダ軍が合流し、組織内のナイジェリア・ガーナ色をうすめる努力がなされた。93年以降、国境地域へのたび重なる空爆事件をめぐってコートディヴォワール政府との関係が悪化した。また内戦後半期からは、ECOMOG軍兵士による強盗・略奪・麻薬取り引き・少女売春の斡旋・反NPFL武装ゲリラへの武器の横流しなど、軍規の乱れが国際世論の非難を浴びる局面もあった。だが、アブジャII合意後の97年には内戦各派の武装・動員解除を成功に導き、リベリアにおけるほぼ唯一の停戦監視軍として功績をのこした。内戦終結後も、停戦監視の目的でモンロヴィア在留期間を延長した。 |
| UNOMIL(国連リベリア停戦監視団:UN Observer Mission in Liberia) |
| 国連安保理決議により、1993年9月に創設された国際停戦監視団。約500名が想定された当初の人員構成は、兵力300の停戦監視軍と、約200名の民間人メンバーからなるものだった。リベリア内戦に対する国連の消極政策を反映し、国内では人員・活動内容ともに、微弱な影響力しかもちえなかった。 |
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