IV. リベリア内戦史資料


1-2. 難民・死傷者

*内戦勃発前の国内総人口=約251万人(90年世銀推計)、首都モンロヴィア市の人口=約33万2000人(88年推計)。
*数値を推計した発表機関名は【 】内に示した。
*コートディヴォワール共和国は”CI”と略記した。

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1989.12.末 国外難民:3万(CI2万、ギニア1万)【アムネスティ・インターナショナル】
1990.01.04 CIへの難民:1万
1990.01. 内戦による死者総計:200
1990.01. CIへの難民:4万
1990.02.06 国外難民:13万4000(CI5万4000、ギニア8万)【CI政府】
1990.02. 国外難民:14万3000(CI6万、ギニア8万3000)【UNHCR】
1990.03. 国外難民:14万4000(CI6万、ギニア8万4000)
1990.04. 内戦による死者総計:500【リベリア政府】
1990.04.. 内戦による死者総計:5000【NPFL】
1990.06. 国内難民+国外難民:25万以上【EIU】
1990.08.06 国外難民:40万、飢餓に瀕しているリベリア”国民愛国再建暫定議会”:75万【MSFベルギー】
1990.10.01 国外難民:49万(CI15万、ギニア28万、シエラレオネ6万)【ICRC】
1990.12. 内戦による死者総計:1万5000
1991.01. 国内難民:50万、国外難民:50万、餓死者:1000
1991.02. ECOMOGナイジェリア軍の戦死者総計:44
1991.02. 国外難民:80万【ICRC】
1991.02.11 国内難民+国外難民:128万【アメリカ上院】
1991.04. シエラレオネ国境部の騒乱で、1. 帰還したリベリア難民:1000、2. ギニアに流出したシエラレオネ難民+リベリア難民:6000
1991.04. 内戦勃発後、首都モンロヴィアで路上生活を余儀なくされている児童の85%が傷病・栄養不良に苦しみ、59%が飢餓状態にある。75%が放棄された建物や廃車の中で生活し、うち70%がこうした場所での生活を1か月以上続けている。また、50%弱が窃盗や略奪で生計を立て、20%が常時路上で争いをしている。60%以上が父親を失い、40%は最後に両親を見た記憶を失っている。【UNICEF】
1991.05. NPFLのシエラレオネ国境侵犯(4月〜5月)による死傷者:3000〜5000
1991.12. CIへの難民:24万人
1992.01. 国内難民+国外難民:120万
1992.08. モンロヴィア市の人口:75〜100万
1992.11. 国外難民:61万7000(CI19万5000、ギニア40万4000、シエラレオネ7000、ガーナ1万、ナイジェリア1300)【UNHCR】
1992.11. モンロヴィア市内の戦闘で、ECOMOG管轄地に避難した難民:15万、NPFLとULIMOの戦闘で、国内北部に移動した難民:5万【UNICEF】
1992.11.03 3週間におよぶモンロヴィア戦闘での死者総計:3000、負傷者:8000【WHO】
1992.11.03 モンロヴィア周辺の新たな難民:15万、国内北部のULIMOとNPFLの戦闘による新たな難民:5万【UNICEF】
1993.06. 国内難民+国外難民:100万以上【WFP】
1993.07. 内戦による死者総計:15万【EIU】
1993.08. 国内で緊急の人道的援助を必要としている住民:113万【NGO諸組織】
1993.10. ロファ州のリベリア難民:14万、ロファ州のシエラレオネ難民:4万【WFP】
1993.11. 国外難民:57万、難民帰還に必要な費用:8260万ドル【救援団体】
1993.11. 国内難民:30万、国外難民:35万、1日あたりの死亡児童:500【救援団体】
1993.12. ロファ州とその周辺の難民:25万【現地情報筋】
1993.12. グランドゲデ州とリヴァーセス州で援助を必要とする住民:4万5000【WFP】
1994.03. 国外難民:75万【EIU】
1994.10. 9月中旬から10月末にかけて新たに記録された国外難民:CI10万、ギニア6万強【UNHCR】
1994.10. モンロヴィア市内のコレラ感染者:8000
1994.11. 国外難民:90万以上
1994.12. 国内難民+国外難民:内戦前の国民総人口250万の8割【EIU】
1995.01. 1995年前半期のリベリア緊急援助に必要な資金:6300万ドル、緊急援助を必要とするリベリア国民:1800万、難民流入で異常膨張したモンロヴィア市の人口:1300万【国連】
1995.01. CIタブー地方への難民:23万、同難民における幼児死亡率:8%【EC】
1995.04. CIへの難民:36万【EIU】
1995.08. 国外難民:80万以上【EIU】
1995.09. ボン州とマージビ州における5歳以下の児童のうち、56%が深刻な栄養失調状態【MSF】
1995.10.30 リベリア国内のシエラレオネ難民が、過去4年間で1152名【UNHCR】
1996.01. 国民の4分の3が国内・国外で難民化。国外難民:70〜80万、難民帰還に必要な費用:4100万ドル【UNHCR】
1996.01. 国内の食糧生産が、内戦以前の9%にまで落ち込み、国内の児童のうち76%が深刻な栄養失調状態【国連】
1996.04. モンロヴィア騒乱による死者:240以上(うち70がBTC内で発生したコレラの感染死)【WHO】
1996.04. モンロヴィア騒乱により陸路から国外に脱出した難民:ギニア4000以上、シエラレオネ2000)
1996.05. 国外難民:73万8700(CI30万5000、ギニア41万、シエラレオネ4700、ガーナ1万5000、ナイジェリア4000)、国内難民:120〜150万【国連】
1996.06. モンロヴィア市における6月のコレラ感染死者6名、脳膜炎による死者2名
1996.07. 騒乱後のモンロヴィア市で、栄養失調状態にある5歳以下の児童数が7か月間で倍増。児童の15%が栄養失調状態、避難所にくらす難民児童については25%が栄養失調状態【UNICEF】
1996.07. 4〜5月のモンロヴィア騒乱で全救援組織が受けた被害額:数千万ドル【WFP】
1996.08. 国内南東部の餓死者・病死者:1日あたり10〜15【援助団体】
1996.08. タブマンバーグ市内の約8割の住民が、深刻な栄養失調状態。1日あたりの平均餓死者16名【援助団体】
1996.10. 国内北西部における民間の虐殺犠牲者・餓死者が、7月以降約2000名【現地教会関係者】
1996.12. 内戦による死者総計:25万以上、人道的援助を必要とする住民:150万【アメリカ国際開発局】
1996.12. 4〜5月のモンロヴィア騒乱における死者:5000【LNTG厚生省】
1997.03. 国外難民:65万1000(CI22万、ギニア40万、シエラレオネ1万2000、ガーナ1万5000、ナイジェリア4000)。難民帰還に必要な期間と費用:18か月、6000万ドル【UNHCR】
1997.08. すでに帰還した国外難民:4万、ギニアへの難民は週1000名の割合で帰還登録中。現在の国外難民:47万9000(CI21万、ギニア23万5000)【UNHCR】

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