| 1989.12.24 |
身元不明の武装勢力(兵力200)がコートディヴォワールから国境を越えてニンバ州ブトゥオ村に侵入し、州内の国軍基地などを襲撃する。(リベリア内戦の勃発) |
| 1989.12.30 |
ドーが、ニンバ州の反乱事件に初めて言及し、国軍2個中隊(兵力5000)のニンバ州投入を公表する。その後の声明で、反乱軍はすでに鎮圧されたと報じられる。 |
| 1990.01. |
反乱軍と国軍の戦闘がニンバ州の南方に向けて拡大する。 |
| 1990.01. |
ドーが、ニンバ州派遣の国軍指揮官をスミス大将(Edward SMITH)からクレイグ准将(Moses CRAIG)に代える。 |
| 1990.01.01 |
テイラーがBBCとの電話回線を通じて初の声明を発表し、自らの主導する武装勢力NPFLとの戦闘で国軍兵士250名が戦死したと発表する。 |
| 1990.01.02 |
ニンバ州に、夜間外出禁止令が発令される。 |
| 1990.01.02 |
ニンバ州出身のサッカー内務省(Edward SACKOR)がNPFL支援の疑いでドーに罷免される。 |
| 1990.01.04 |
ドーが、NPFL支援の疑いでコートディヴォワール政府を名指しで非難し、リベリア国軍がコートディヴォワール国境を侵犯する可能性を示唆する。さらに、NPFL捕虜の自白から得られた事実として、反乱軍の軍事訓練を支援したというブルキナファソ政府・リビア政府も非難する。 |
| 1990.01.04 |
ドー政権の批判者として知られていたフィリップス(Robert PHILLIPS)の惨殺死体が、モンロヴィア市内で発見される。 |
| 1990.01.01〜06 |
ニンバ州のギオ族・マノ族住民500名が、国軍兵士により処刑される(現地情報筋)。国軍は「反乱軍に虐殺された住民200名の死体をブトゥオ村で発見した」と発表する。 |
| 1990.01.09 |
「自軍兵力5000によるモンロヴィア侵攻」の計画を表明したテイラーに対し、政府はNPFLの兵力が多くとも200であると発表、同時にNPFLがすでに政府関係者16名をふくむ民間人200名を虐殺したと発表する。 |
| 1990.01.11 |
コートディヴォワール政府が、リベリア国軍によるニンバ州住民の虐殺を”genocide”と形容する。 |
| 1990.01.14 |
コートディヴォワール・リベリア二国間の外相会談が行われる(於ロメ)。 |
| 1990.01.18 |
ドーが、コートディヴォワール政府の非難声明をNPFL支援の隠蔽行為とみなし、国軍による住民虐殺の事実を否定する。 |
| 1990.01.22 |
コートディヴォワール政府が、ニンバ州の虐殺を”genocide”と形容した点についてリベリア政府に釈明する。 |
| 1990.01.30 |
マノ川同盟特別首脳会議(於モンロヴィア)。シエラレオネとギニアの政府首脳が、NPFLのニンバ州侵入を公式に非難、ドー政権への支援を確認する一方、コートディヴォワール政府とNPFLの関係については言及をひかえる。 |
| 1990.01.31 |
OAUが、リベリア紛争調査団を派遣する。 |
| 1990.02. |
国連がニンバ州への緊急援助としてドナー国に総額400万ドルの支援を要請する。 |
| 1990.02. |
ブルキナファソの外交使節団メンバー2名が、モンロヴィア市でスパイ・国家騒乱の容疑により拘束される。ブルキナファソ政府はこれを激しく非難。 |
| 1990.02. |
NPFL内部でテイラーとプリンス・ジョンソン(Prince JOHNSON)の不和が生じる。 |
| 1990.02.10 |
リベリア法相がコートディヴォワール政府に対し、テイラーやクィウォンバの兄弟などをふくむ”リベリア反乱分子”30名の本国送還を要求したため、両国関係がふたたび悪化する。 |
| 1990.02.22 |
フランス語で書かれていないという理由で、コートディヴォワール政府が”リベリア反乱分子”の本国送還要求書をリベリア政府にさし戻す。 |
| 1990.03. |
ニンバ州派遣の国軍指揮官がクレイグ准将からボウェン大佐(Heizekiah BOWEN)に交代する。 |
| 1990.03. |
ドーが内外の報道関係者に対し、ニンバ州の騒乱に関するいかなる記事も事前に情報省へ提出しなければならないと通告する。 |
| 1990.03. |
米国務省が「ドー政権下でリベリア国民の人権と報道の自由は無視されている」と発表する。 |
| 1990.03.13 |
ドーが、NPFL支援の容疑でニンバ州を非難するとともに、同州での反乱はほぼ終結したと発表する。 |
| 1990.03.21 |
ドーが米国務省の非難にこたえ、国内の全政治犯75名の釈放を発表する。 |
| 1990.03.28 |
ニンバ州のNPFL掌握地域で、アメリカ人宣教師夫妻の射殺死体が発見される。 |
| 1990.03.30 |
ドーが政府内に難民帰還委員会を設置する。 |
| 1990.03.31 |
アメリカ政府が、ニンバ州の在留アメリカ人に避難勧告を出す。 |
| 1990.04. |
ニンバ州駐在の国軍指揮官が、ボウェン大佐からジュルエ准将(Charles JULUE)に交代する。 |
| 1990.04. |
テイラーが、NPFL兵士に拘束されたジャーナリストと会見し、自軍兵力を1000と見積もる。 |
| 1990.04. |
ニンバ州駐在のイタリア人会社員2名が、NPFL兵士に一時身柄を拘束される。 |
| 1990.04. |
テイラーが「ドーはニンバ州にギニア軍まで投入するありさまだが、自軍NPFLはニンバ州の掌握地で追加兵力1500を目下養成中」と発言する。 |
| 1990.04. |
NPFLが、イェケパ・ブナキャン間の鉄道を襲撃する。 |
| 1990.04.03 |
内戦激化のため、WFPがリベリア国内の食料救援活動を停止する。 |
| 1990.04.05 |
モンロヴィア駐在ICRC代表が提案していたテイラーとの和平会談案を、ドーが拒絶する。 |
| 1990.04.05 |
国連の緊急援助物資が、ボン州の難民にとどけられる。 |
| 1990.04.06 |
リベリア在留アメリカ人1名が検問所の兵士に銃撃され、死亡する。 |
| 1990.04.15 |
NPFLがすでにニンバ州の4分の3を掌握し、拡大侵攻を開始する(一部報道)。 |
| 1990.04.17 |
バルンガ市に向かう途中の国連トラックが、リベリア警察から通行止めをうける。 |
| 1990.04.19 |
内戦の激化により、イェケパ鉄鉱山の操業が停止する。 |
| 1990.04.22 |
政府・難民帰還委員会が、ニンバ州の平和回復にむけ、現地の伝統的士同者もメンバーに入れた「ニンバ州和平委員会」の設置を提案する。 |
| 1990.04.25 |
ドーがNPFLに対し、2週間以内に降伏しなければ軍事的手段が下されるだろうと通告する。 |
| 1990.04.25 |
ブッシュ米大統領が「リベリアを途上国の優遇対象から除外する」と発言する。 |
| 1990.04.25 |
アメリカ政府が、モンロヴィア駐在アメリカ大使にヴォス氏(Jon de VOS)を起用する。 |
| 1990.04.26 |
イギリス政府が、リベリア在留邦人に国外避難命令をくだす。 |
| 1990.04.27 |
アメリカ政府とECが、リベリア国軍・NPFL双方による民間人の虐殺を非難し、ドーに平和的解決を要求する。 |
| 1990.04.27 |
リビア政府が、NPFLへの関与を公式に否定する。 |
| 1990.04.28 |
NPFLが「われわれは首都モンロヴィアまで2時間以内の地点に接近し、ロバーツフィールド国際空港の掌握が可能な情勢にある」と発表する。 |
| 1990.04.30 |
アメリカ政府がリベリア渡航自粛を発令し、モンロヴィア駐在アメリカ大使館の一般職員に国外避難命令をくだす。 |
| 1990.05. |
テイラーが、自軍司令官プリンス・ジョンソンとの確執を明らかにする。 |
| 1990.05. |
英国航空が、リベリア在留英連邦国民の国外脱出用チャーター便を準備する。 |
| 1990.05. |
政府関係者・野党代表者・実業家からなるリベリア国民代表団がワシントンを訪れ、アメリカ政府と数度の会合をもつ。 |
| 1990.05.02 |
ニンバ州和平委員会がNPFL兵士に向け、政府指定の”安全区域”まで投降に来るよう呼びかける。 |
| 1990.05.09 |
ドーが、NPFLの降伏猶予期間の延長を発表する。 |
| 1990.05.14 |
NPFLが、イェケパ鉱山をふくむニンバ州のほぼ全域を掌握したのち、モンロヴィアをめざしてボン州、グランドバッサ州への侵攻を始めたことが確認される。 |
| 1990.05.22 |
NPFLが、ブキャナン港を掌握する(リベリア政府発表)。 |
| 1990.05.22 |
ギオ族・マノ族出身者4名の惨殺死体がモンロヴィア市内で発見される。 |
| 1990.05.25 |
ドーが、アメリカに政府特別代表団を派遣する。 |
| 1990.05.28 |
ドーが、次回総選挙の繰り上げ実施を議会に打診するが、拒否される。 |
| 1990.05.28 |
カカタ市を掌握したNPFLが、モンロヴィア侵攻の開始を通告する。 |
| 1990.05.28 |
日本政府が、在モンロヴィア日本大使館員全員の国外避難を発表する。 |
| 1990.05.30 |
ECOWAS首脳会議(於バンジュル)。リベリア調停常任委員会設置が決議される。 |
| 1990.05.31 |
ギオ族・マノ族出身者に避難所を提供していた国連モンロヴィア事務所を国軍兵士が襲撃し、警備員1名が死亡、一般市民27名が”消息不明”となる。デクエヤル国連事務総長は、リベリア駐在の国連職員に即時撤退を命ずる。 |
| 1990.05.31 |
モンロヴィア在留アメリカ人(約1万人)が、上陸用舟艦による国外脱出に備える。 |
| 1990.05.31 |
NPFLが、ロバーツフィールド国際空港の職員に避難命令を出す。 |
| 1990.06. |
政府閣僚7名と警察庁長官が、すでに国外へ亡命していると報道される。 |
| 1990.06.01 |
NPFLがモンロヴィア東宝40キロまで接近、首都包囲体制をとりはじめる。 |
| 1990.06.01 |
ドーが、次回大統領選への不出馬を表明する。 |
| 1990.06.02 |
アメリカ政府が、在留邦人の安全確保にむけた海兵隊機動部隊のリベリア派遣を発表する。 |
| 1990.06.03 |
NPFLがバルンガ市を掌握する。 |
| 1990.06.05 |
NPFLが、ロバーツフィールド国際空港とハーベルのゴムプランテーションを掌握し、クラン族・マンディンゴ族出身者数百名を虐殺する。 |
| 1990.06.06 |
米国務省が、リベリア在留邦人の即時撤退を決定し、軍艦6隻と海兵隊2100名をリベリア沿岸に派遣する。 |
| 1990.06.07 |
モンロヴィアのアメリカ大使館が、在留邦人にチャーター便による国外避難を勧告する。 |
| 1990.06.08 |
NPFLがボン鉱山を掌握する。 |
| 1990.06.08 |
リベリア政府が、NPFL代表者との二者会談の意向を示唆する。 |
| 1990.06.09 |
テイラーが、NPFLには政府と停戦交渉をする用意があると発言する。 |
| 1990.06.11 |
モンロヴィア在留アメリカ人の一部(360名)が、チャーター便でアビジャンに脱出する。 |
| 1990.06.13 |
アメリカ政府とリベリア宗教団体(リベリアキリスト教会評議会・リベリアアイスラーム国民評議会)の仲介により、リベリア政府とNPFLの停戦交渉(於フリータウン・アメリカ大使館)が開かれる。 |
| 1990.06.14 |
モンロヴィアの教会関係者が主催したアメリカ大使館へのデモ行進で、一般住民約1000名が内戦終結に向けたアメリカの介入をうったえる。 |
| 1990.06.15 |
NPFLがハーベルのゴムプランテーションを完全に掌握する。
|
| 1990.06.16 |
モンロヴィア駐在アメリカ代理大使が、ドー大統領の辞任要求を示唆する。 |
| 1990.06.18 |
NPFLが停戦の第一条件としてドーの辞職を求めたため、フリータウン和平交渉が決裂する。 |
| 1990.06.19 |
ドーが、NPFLの全メンバーと1980年以後の反政府活動家に対する全面的特赦、および内閣改造を表明する。 |
| 1990.06.19 |
アフリカ担当米国務次官補が、ドー政権の崩壊はもはや避けられないとのコメントを発表する。 |
| 1990.06.21 |
OAU代表団がリベリアとシエラレオネを訪問し、リベリア和平協力への意向を表明する。 |
| 1990.06.25 |
フリータウンでの停戦交渉が再開されるが、NPFL側がふたたびドーの辞職を求めたため、物別れに終わる。 |
| 1990.06.28 |
ドーの辞任を要求して大統領官邸に向かっていたモンロヴィア一般住民のデモグループに、国軍兵士が発砲する。 |
| 1990.06.30 |
NPFL軍が首都モンロヴィアまで約20キロの地点に迫り、市内の電気・水道・電話が機能停止におちいる。 |
| 1990.07. |
モニバ副大統領(Harry MONIBA)がドーに辞任を進言する。 |
| 1990.07.02 |
NPFLがモンロヴィア市内に侵攻する。 |
| 1990.07.03 |
ドーが「故郷のグランドゲデ州までアメリカ軍に護衛され、国軍兵士100名を連れて安全に帰れるなら、大統領をすぐに辞任してもよい」と発言する。 |
| 1990.07.04 |
モンロヴィア駐在アメリカ大使がドーと緊急会談をもち、亡命援助を申し出るが拒否される。 |
| 1990.07.05 |
ECOWASUリベリア調停常任委員会会議(於フリータウン)。ドーの辞任、IGNU樹立、ECOMOG派遣などの構想が提出される。 |
| 1990.07.10 |
ECOWASリベリア停戦会議(於フリータウン)。和平調停案がNPFL代表の同意を得られず、交渉が決裂する。 |
| 1990.07.15 |
プリンス・ジョンソンが『ルモンド』紙に対し、自らを新たな武装勢力INPELの指導者と語り、テイラーへの敵意を表明する。 |
| 1990.07.20 |
NPFLとINPELが、モンロヴィア市の中心部をのぞくほぼ全域を掌握するなか、ドーが国軍親衛隊とともに大統領官邸内で籠城をはじめる。 |
| 1990.07.21 |
モンロヴィア市内で、国軍・NPFL・INPELによる戦闘が再開する。 |
| 1990.07.27 |
NPFLがモンロヴィア中心部の占拠をはじめる。テイラーがラジオ放送を通じ、ドー政権の崩壊と自らを議長とする新政権”国民愛国再建議会”(NPRA: National Patriotic Reconstruction Assembly)の樹立を発表する。 |
| 1990.07.28 |
テイラーが、新政権の閣僚を発表する。 |
| 1990.07.29 |
INPELと国軍が、モンロヴィア中心部の制圧をめぐり激しい攻防戦に入る。 |
| 1990.07.29 |
ギオ族・マノ族出身者約2000名が避難していたモンロヴィア市内のルーテル派教会を国軍兵士が襲撃し、女性や児童をふくむ約600〜800名を虐殺する。 |
| 1990.07.30 |
INPELが、マンバポイント地区を占領する。 |
| 1990.07.30 |
テイラーが「戦闘は10日以内に終わり、ドーもプリンス・ジョンソンも粉砕されるだろう」と発言する。 |
| 1990.08. |
ボン鉱山の操業が完全に停止する。 |
| 1990.08.05 |
アメリカ海兵隊ライフル部隊(兵力225)のリベリア派遣が決定する。 |
| 1990.08.06 |
INPELが、モンロヴィア在留外国人16名(うちイギリス人4名、アメリカ人1名、ドイツ人2名)を人質にとり、アメリカをはじめとする国際社会のリベリア介入を要求する。 |
| 1990.08.06〜07 |
ECOWASリベリア調停常任委員会・首脳会議(於バンジュル)。ナイジェリア・ガーナ・ギニア・シエラレオネ・ガンビアの合同によるECOMOGのリベリア派遣が決定。リベリア国民会議の開催からIGNU樹立までの和平プロセルも討議される。 |
| 1990.08.08 |
INPELが外国人の人質を解放する。 |
| 1990.08.09 |
NPFLが大統領官邸を攻撃する。 |
| 1990.08.12 |
ドーが、大統領職にあと一年とどまる意向をしめす。 |
| 1990.08.15 |
NPFLが、ECOMOG派遣支持国の国籍をもつモンロヴィア在留者を選んで、彼らの国外脱出の妨害をはかる。 |
| 1990.08.16 |
アメリカ亡命中のリベリア野党代表者らが、ECOWASのIGNU樹立に賛同の意志をつたえる。 |
| 1990.08.20 |
アメリカ海兵隊のヘリコプターで国外へ避難したモンロヴィア在留アメリカ人が、800名を超える。 |
| 1990.08.23 |
ドーとプリンス・ジョンソンが、ECOWASの仲介で停職に合意する。 |
| 1990.08.24 |
ECOMOG第一陣(兵力2500:うちナイジェリア900、ガーナ500)がフリゲート艦4隻とともにモンロヴィア自由港に到着する。ECOMOGを外来の侵略者とみなすNPFLに対し、APFとINPELはECOMOGへの協力姿勢をうちだす。 |
| 1990.08.27 |
ECOWAS首脳会議(於バンジュル)。リベリアの野党・宗教団体の代表者が出席する。 |
| 1990.08.31 |
NPFL兵士が、ECOMOG参加国のモンロヴィア在留者約200名を虐殺する。 |
| 1990.09. |
ガーナ政府が、リベリア派兵に関するECOWAS仏語圏諸国の消極性を批判する。 |
| 1990.09. |
船で国外脱出をはかるリベリア難民の動きがはじまる。 |
| 1990.09.01 |
ECOMOGが首都中心部を制圧する。 |
| 1990.09.02 |
バンジュルでのECOWAS首脳会議が終了する。 |
| 1990.09.03 |
バンジュル合意(1)。IGNUとTLA(全30議席)の設置が決議され、投票によりソーヤー首班などIGNUメンバー8名が指名される。出席予定者中、ECOMOGの国内権限を否認するテイラーのみが欠席する。 |
| 1990.09.08 |
NPFLがモンロヴィア自由港を攻撃する。 |
| 1990.09.09 |
ドーがINPEL兵士に拉致され、拷問を受ける。 |
| 1990.09.10 |
ホルマリン注射を打たれ、体の一部が切り落とされたドーの惨殺死体がモンロヴィア市内の病院中庭で発見される。プリンス・ジョンソンがリベリア暫定大統領を自称する。 |
| 1990.09.12 |
大統領官邸に籠城するAFL大将ニムレィ(David NIMLEY)が、ドーの護衛兵士約1000名の官邸退去に応じるが、自身は官邸内に残り、リベリア共和国暫定大統領を自称する。 |
| 1990.09.17〜22 |
アフリカ担当米国務次官補が、和平交渉の目的でリベリアを訪問する。 |
| 1990.09.22 |
モンロヴィア市内の占拠地をINPELに奪われつつあったテイラーの呼びかけで、首都が停戦状態になる。 |
| 1990.09.23 |
テイラーが翌月の総選挙案を一方的に発表する。 |
| 1990.09.23 |
ECOMOGの追加兵力(1200)が到着する。 |
| 1990.09.23 |
ECOMOG総司令官クァイヌー大将(Arnold QUAINOO)の要請で、ナイジェリア陸軍のドコニャロ少将(Joshua DOGONYARO)がECOMOG野戦司令官に任命される。 |
| 1990.09.28 |
AFLの隠匿していた武器をINPELが発見・押収したため、モンロヴィア市内の戦闘が再開する。 |
| 1990.10. |
ECOMOGの指揮をめぐりドコニャロ野戦司令官と対立していたクァイヌー総司令官が、自国ガーナ軍のリベリア撤収を示唆する。 |
| 1990.10. |
テイラーが、NPFLバルンガ本部における”国民愛国再建暫定議会”全24議席のメンバー就任、および同議会の主催による12か月以内の総選挙を一方的に告知する。 |
| 1990.10. |
シエラレオネ政府が、自国のリベリア難民はもはや不可能と発表する。 |
| 1990.10.01 |
ECOMOG軍の兵力が6000に達し、INPEL・AFLとの合同で積極的なNPFL撃退作戦を開始する。 |
| 1990.10.02 |
AFLとECOMOGの連合軍が、モンロヴィア北方のNPFL拠点を攻撃する。 |
| 1990.10.03 |
首都の掌握地を失いつつあるテイラーが、無条件で和平交渉に参加する意向を伝える。 |
| 1990.10.05 |
ECOMOGが、国際救援物資の搬入に関するモンロヴィア港湾地域の安全を保証する。 |
| 1990.10.10 |
ECOMOGがモンロヴィア市内の大半を制圧する。 |
| 1990.10.22 |
NPFLが、自軍掌握地の一部をECOMOGとINPELの連合軍に奪われたと発表する。 |
| 1990.10.24 |
ECOWASリベリア停戦会議(於バンジュル)。内閣三派(NPFL・INPEL・AFL)の代表が、次回ECOWAS臨時首脳会議(10月31日予定)での協定書調印を約束する。 |
| 1990.10.30 |
NPFLが、ECOMOG代表の参加をきらいECOWAS会議への欠席を発表したため、同会議が1か月延期される。 |
| 1990.11. |
ECOMOGが首都を制圧し、INPELとの協力で首都周辺20キロの安全も確保する。 |
| 1990.11. |
NPFLの侵攻以来モンロヴィア市内で遮断されていた水道と送電が復旧する。 |
| 1990.11. |
NPFLが国内北部に移動し、新たにロファ州を掌握する。 |
| 1990.11. |
テイラーが、”NPFL政府閣僚”3名を発表する。 |
| 1990.11. |
プリンス・ジョンソンが、旧ドー政権と関係していたIGNUメンバーの選出に不快感を示し、ECOMOG協力路線の修正をはじめる。 |
| 1990.11. |
FAOが、リベリア国外難民に3000万ドル相当の救援食料を送る。 |
| 1990.11.07 |
ECOMOGが、スプリッグズペイン空港の機能再開を発表する。 |
| 1990.11.13 |
第一次IGNUメンバーが、モンロヴィアに到着する。 |
| 1990.11.22 |
ソーヤーIGNU首班がモンロヴィアに到着し、第一次IGNU就任式典が行われる。 |
| 1990.11.26〜28 |
ECOWAS臨時首脳会議(於バマコ)。 |
| 1990.11.28 |
バマコ合意(2)。テイラー本人が出席し、内戦三派がECOMOG主導の全面停戦協力に調印する。 |
| 1990.11.30 |
NPFLバルンガ本部に、NPFL政府”厚生省”が開設する。 |
| 1990.12. |
ECOMOGがバマコ合意にもとづき、INPEL兵士、AFL兵士の武装解除をはじめるが、中途で頓挫する。 |
| 1990.12. |
モンロヴィア市内で、路上の小売り商いが再開する。 |
| 1990.12. |
モンロヴィア近郊の町で、NPFLによる略奪行為が報じられる。 |
| 1990.12. |
NPFLの一部兵力が、シエラレオネ領内に侵攻する。 |
| 1990.12.04 |
NPFL兵士約100名のECOMOG投降が報じられる。 |
| 1990.12.20〜21 |
ECOWASリベリア停戦会議(於バンジュル)。 |
| 1990.12.21 |
バンジュル合意(3)。バマコ合意の強化、全リベリア国民会議の60日以内召集、第二次IGNUの樹立などが内戦三派のあいだで確認される。 |
| 1991.01. |
ドー政権期の与党NPFLが、TLAの割り当てメンバー3名を発表する。 |
| 1991.01. |
モニバ元・副大統領が、亡命先のシエラレオネでリベリア大統領を自称し、第二共和国体制下でのIGNUの違憲性を主張する。 |
| 1991.01. |
アメリカが提供したリベリア難民の救援資金が、8000万ドルに達する。 |
| 1991.01. |
国連安保理がリベリア内戦について初の討議を行い、ECOWAS支持の議長声明を発表する。 |
| 1991.01.02 |
ソーヤーが、年頭の所信表明でINPELとの協力関係を確認する一方、NPFLの非協力的態度を非難する。 |
| 1991.01.07 |
ソーヤーが、NPFL兵士によるモンロヴィア近郊での略奪と停戦違反行為を非難する。 |
| 1991.01.07 |
ソーヤーが、第二次IGNU閣僚6名を指名する。TLA(各政党・団体・13州の代表者からなる全28議席)に立法権が付与される。 |
| 1991.01.09 |
NPFLが、自軍兵士による停戦違反行為の事実を否定する。 |
| 1991.01.09 |
ECOMOGガーナ軍の追加兵力850が、リベリアに到着する。 |
| 1991.01.18 |
プリンス・ジョンソンがBBCとの電話インタヴューで「ECOMOG主導のIGNU樹立に反対する点では、INPELとNPFLは今や近い関係にある」と発言する。 |
| 1991.01.21 |
内戦三派の会合。停戦と武装解除の具体的な方法について合意をみずに終わる。 |
| 1991.01.26 |
TLAの議席が、NPFLの割り当て議席をのぞいてすべて決定する。 |
| 1991.01.30 |
テイラーとプリンス・ジョンソンが直接会見し、相互に合意の可能性を探ったという情報が流れる。 |
| 1991.02. |
ECOMOG総司令官が、ドゴニャロ少将からポラティ少将(Rufus KUPOLATI)に交代する。 |
| 1991.02. |
ICRCなどの国際救援機関が、リベリア国外難民の救援費用430万ドルの提供をドナー国にうったえる。 |
| 1991.02.01 |
ソーヤーが、10月の総選挙案を発表する。 |
| 1991.02.12〜15 |
ECOWAS臨時首脳会議(於ロメ)。 |
| 1991.02.13 |
ロメ合意(4)。リベリア国民会議を3月15日に開き、第三次IGNUメンバーを選出することが決定する。 |
| 1991.02.19 |
ソーヤーが、IGNU首班の位置づけに関する合意事項(=いかなる武装勢力のリーダーもIGNU首班にはなりえず、IGNU首班に選出された者は以後の国民選挙で大統領に立候補する資格をうしなう)を再確認する。 |
| 1991.02.19 |
テイラーが、IGNU首班のポストを内戦三派のいずれにも認めないという合意条項を無視して、次回国民会議における第三次IGNU首班への立候補、および将来の総選挙における大統領選出馬の意志を表明する。 |
| 1991.02.28 |
アメリカがリベリア難民の救援に提供した資金が、総額1億3000万ドルに達する。 |
| 1991.03. |
北欧4か国がUNICEFの要請を受け、総額300万ドルのリベリア難民救援資金を提供する。 |
| 1991.03. |
旧ドー派のマンディンゴ系イスラーム組織が、モンロヴィア市内でテイラー処刑をうったえて騒乱をおこす。 |
| 1991.03. |
旧ドー派の武装ゲリラがコートディヴォワール領内の国境地域に集結し、グランドゲデ州への侵攻をはかっていると報じられる。 |
| 1991.03.01 |
ソーヤー、テイラー、プリンス・ジョンソンの三者が、IGNUへの協力を内容とする和平合意書に調印する(於ロメ)。 |
| 1991.03.12 |
マリ軍がECOMOGに合流する。 |
| 1991.03.13 |
第三次IGNUの首班候補者3名(テイラー、ソーヤー、モニバ)が決定する。 |
| 1991.03.15 |
リベリア国民会議(於モンロヴィア)が開催される。内戦三派指導者のうち、テイラーのみが欠席する。 |
| 1991.03.18 |
リベリア国民会議のフランシス議長(Michael FRANCIS)が、NPFL批判・テイラー批判の発言を展開する。 |
| 1991.03.20 |
テイラーがトーゴの外相を通じ、バルンガから電話とFAXで国民会議に参加する意向を伝える。 |
| 1991.03.23 |
RUFを自称する新たな武装勢力(約500名のNPFL系兵士)が、リベリアからシエラレオネ南東部に侵入し、住民14名を虐殺する(シエラレオネ政府発表)。 |
| 1991.03.24 |
リベリア国民会議が、IGNU機構策定委員会メンバー9名の投票を行う。 |
| 1991.03.25 |
WFPが、合計8万1000トンにおよぶリベリア難民救援食糧の調達を発表する。 |
| 1991.03.26 |
IGNU機構策定委員会が「国民統一評議会」(文民代表の議長1名、NPFL指名の副議長1名、INPEL指名の副議長1名)による暫定統治構想を国民会議に提出する。 |
| 1991.03.31 |
NPFLのシエラレオネ侵攻により死者19名が発生する。その後シエラレオネ国軍が国境地域に投入され、一部兵士がNPFLを追ってリベリア国境を侵犯したとの報道が流れる。 |
| 1991.04. |
シエラレオネ領内におけるNPFLとシエラレオネ国軍の戦闘が悪化する。RUFがNPFLと明白な協力体勢をとりはじめる。 |
| 1991.04. |
国際社会がリベリア難民対策に過去12か月で提供した救援費用が、総額3億ドルに達する。 |
| 1991.04.01 |
リベリア国民会議のNPFL代表がウォエウィユ(Thomas WOEWIYU)に交代し、IGNU新構想に対するNPFL側の不満が表明される。 |
| 1991.04.01 |
ECがリベリア緊急援助費として、520万ドルの追加支援を行う。 |
| 1991.04.02 |
シエラレオネ国軍司令官が、自軍兵力によるリベリア国境侵犯の報道を否定する。IGNU国防相も、シエラレオネ国軍の行動の正当性を追認する。 |
| 1991.04.12 |
シエラレオネ政府の要請により、ナイジェリアとギニアの合同軍(兵力700)が同国国境部に投入される。 |
| 1991.04.16 |
リベリア国民会議が「統一評議会」構想を断念したため、プリンス・ジョンソンが不満を表明する。 |
| 1991.04.16 |
ブルキナファソ軍がECOMOGに合流し、ECOMOG参加国が7か国となる。 |
| 1991.04.19 |
リベリア国民会議が、ソーヤーを第三次IGNU首班に再選して閉会する。 |
| 1991.04.19 |
内戦勃発以来シエラレオネ領内に避難していたリベリア難民約1000名が、国境地域の騒乱によりリベリア領内へ帰還したと報じられる。 |
| 1991.04.29 |
シエラレオネのラジオ放送局が、リベリア国境地域におけるナイジェリア・ギニア合同軍の勝利を報じる。 |
| 1991.05. |
アメリカ政府の仲介によるリベリア停戦交渉(於アビジャン)が開かれるが、失敗におわる。 |
| 1991.05. |
国境地域の騒乱により、シエラレオネからギニア領内に、あるいはグランドケイプマウント州やモンロヴィア市などに流出するリベリア難民の数が増大する。 |
| 1991.05. |
EUが、リベリアへの食糧・医療援助資金として新たに450万ドルの提供を決める。 |
| 1991.05. |
内戦亡命者の三団体がコナクリに集まり、ULIMOを結成する。 |
| 1991.06. |
新たな武装勢力ULIMOがシエラレオネの国境地域で台頭する。 |
| 1991.06. |
IGNUが、停戦に同意した武装兵士に手当を支給する構想を発表する。 |
| 1991.06.03〜05 |
第27回OAU首脳会議(於アブジャ)。NPFL代表は参加を拒否され、IGNU全面支持の採択がなされる。 |
| 1991.06.11 |
ULIMOが、テイラー打倒声明を発表する。 |
| 1991.06.21 |
ソーヤーがIGNUの内閣改造(第四次IGNU)を発表し、TLAに承認される。 |
| 1991.06.29〜30 |
ECOWAS調停会議(於ヤムスクロ) |
| 1991.06.30 |
ヤムスクロI合意(5)。ウフエ=ボワニ・コートディヴォワール大統領の仲介で、テイラーとソーヤーの和解が成立する。 |
| 1991.07. |
ナイジェリア外相がヤムスクロI合意を受け、ECOWAS外相会議の席上でリベリア内戦の終結を予示する。 |
| 1991.07. |
モンロヴィア市内で、ヤムスクロI合意後の総選挙をにらんだ複数の政党活動が確認される。 |
| 1991.07. |
INPEL内部における兵士4名の私刑事件が発覚し、TLAがプリンス・ジョンソンを殺人罪で起訴すると発表する。 |
| 1991.07. |
NDFを自称する小規模の武装勢力がグランドゲデ州でNPFL占拠地を攻撃し、数マイル四方の地域を掌握したとの情報が流れる。 |
| 1991.07. |
内戦勃発以来、国内の物価上昇率が460%以上になる(EIU統計)。 |
| 1991.07.04〜06 |
ECOWAS首脳会議(於アブジャ)。リベリアの民主的選挙を監視する選挙管理委員会の設置が決議される。 |
| 1991.07.08 |
テイラーが和平協定での合意事項をふたたび無視し、NPFL武装解除を拒絶する。 |
| 1991.07.10 |
ソーヤーが「NPFLと商取引をむすんだ複数の企業が欧米の法廷で告訴されつつある」と発言する。 |
| 1991.07.29〜30 |
ECOWAS選挙管理委員会会議(於ヤムスクロ)。テイラーとソーヤーも出席する。 |
| 1991.07.30 |
ヤムスクロII合意(6)。停戦にむけた具体事項での合意が物別れに終わり、1か月後の討議再開が約束される。 |
| 1991.08. |
ECによる内戦勃発以来のリベリア援助額が、ほぼ3375万ドルに達する。 |
| 1991.08.06 |
TLAから残虐な私刑行為を非難されていたプリンス・ジョンソンが、INPELメンバーのIGNU離脱を発表し、ナイゴゥ副首班(Peter NAIGOW)とメイソン国土・鉱山・エネルギー相(Jonathan MASON)を一方的に解任する。 |
| 1991.09. |
INPEL内部での残虐行為に関する報道が続出する。 |
| 1991.09. |
NPFLが、シエラレオネに自軍掌握地があることを初めて認める。 |
| 1991.09. |
シエラレオネ国軍とULIMO合同軍が、シエラレオネ国境の戦略拠点・マノ川橋を掌握し、NPFLの国境侵犯を封じる。 |
| 1991.09. |
ULIMOが、リベリア国内への侵攻を開始する。 |
| 1991.09. |
アメリカ政府が、ECOWASのリベリア調停関連国に総額375万ドルの資金を提供する。 |
| 1991.09. |
ソーヤーが、IGNUによる独自の選挙管理委員会と暫定最高裁の設置を発表する。 |
| 1991.09.16〜17 |
ECOWASリベリア調停会議(於ヤムスクロ)。IGNUを離脱したINPELの代表参加は拒否される。リベリアからECOMOGを撤収させ、国連軍に派遣要請をする提案がなされるが、討議のすえ棄却される。 |
| 1991.09.17 |
ヤムスクロIII合意(7)。ECOWAS5か国代表により、選挙管理委員会の設置が決まる。テイラーが、ECOMOGを正当な平和維持軍として承認し、自軍の武装解除に初めて応じる。 |
| 1991.09.26 |
プリンス・ジョンソンがヤムスクロIII合意への不参加を理由に、自軍の武装解除を拒絶する。 |
| 1991.09.28 |
ECOMOG参加国英語圏に偏っていると批判していたテイラーに対し、セネガル政府が自国兵力1500のECOMOG投入を発表する。 |
| 1991.10. |
武装解除の具体方法をめぐり、テイラーとソーヤーの対立が深まる。 |
| 1991.10.02 |
アメリカ政府が、ECOWAS支援に330万ドルを提供する。 |
| 1991.10.04 |
INPEL内部での私刑行為を非難していたIGNUが、プリンス・ジョンソンを禁足処分にする。 |
| 1991.10.08 |
プリンス・ジョンソンがIGNUの禁足命令を拒否し、新たな戦闘の開始を予告する。 |
| 1991.10.29〜30 |
ECOWAS首脳会議(於ヤムスクロ)。 |
| 1991.10.30 |
ヤムスクロIV合意(8)。ECOMOGがシエラレオネ国境地帯に軍事緩衝地帯を設置し、リベリアからのゲリラ勢力の侵入阻止をはかることが決まる。リベリア内戦各派の武装解除をめぐる合意が再確認される。 |
| 1991.11. |
プリンス・ジョンソンが、複数の閣僚ポストをINPELに割り当てるという条件付きで、IGNU復帰への意向を表明する。 |
| 1991.11.03 |
テイラーが、リベリア領内の3か村をULIMOが占拠したと発表する。 |
| 1991.11.05 |
ULIMOが、NPFLをリベリア国外へ撃退するまでの戦闘継続を宣言する。 |
| 1991.11.06 |
TLAが”役務不適格”の理由で、IGNU蔵相の指名承認を拒否する。 |
| 1991.11.11 |
ソーヤーが新勢力ULIMOに対し、これまでの和平交渉で内戦各派が合意してきた事項を追認するよう要請する。 |
| 1991.11.12 |
ULIMOがECOMOG総司令官の発表を否定し、ECOWASの和平プラン不支持を表明する。 |
| 1991.11.18 |
NPFL政府が声明で、ULIMOが台頭した現状では武装解除が不可能と発表する。 |
| 1991.11.19 |
ULIMOがフリータウンから声明を発表し、無条件の戦闘停止を宣言する。 |
| 1991.11.25 |
NPFLが声明で、自軍掌握地域にソーヤー政府が拠点を設置してもそれを徹底的に排除すると発表する。 |
| 1991.12. |
テイラーが、新政党NPPの結成と”NPFL最高裁”の設置を発表する。 |
| 1991.12. |
ブルキナファソのコンパオレ元首が、過去にNPFLを支援していた事実、およびNPFLに一時期約700名のブルキナファソ軍が同行していた事実を認める。 |
| 1991.12. |
リベリア駐在の国連職員1名が、国内南東部のNPFL掌握地域で襲撃される。国連は同地域での救援活動休止を決める。 |
| 1991.12. |
ICRCのリベリア代表3名が、ボミ州でNPFL兵士に3日間拘束される。 |
| 1991.12. |
ECが、シエラレオネのリベリア難民救援に32万1500ドルを提供する。 |
| 1992.01. |
フランス国有製鋼所の関連会社が、昨年3月以来7万トンの鉄鉱石をNPFLから高値で買い付けていることを『フィガロ』紙が報じ、フランスの現政権もリベリアにおけるテイラー政権の誕生を期待している、と論評する。 |
| 1992.01. |
ナイジェリア人記者2名がNPFL兵士に射殺され、テイラーが声明で陳謝する。 |
| 1992.01.02 |
テイラーが、NPFLバルンガ本部付近にECOMOG事務所を設置するよう要請する。 |
| 1992.01.03〜07 |
リベリア人記者2名がINPEL兵士に拘禁され、私刑を受ける。 |
| 1992.01.06 |
国立リベリア銀行総裁が、IGNUによる新紙幣の発行を発表し、国内で流通している現行紙幣が今月17日から無効になることを同時に発表する(用語集3-3参照)。 |
| 1992.01.07 |
INPELで、IGNU発行の新紙幣を所持していた司令官3名が処刑される。 |
| 1992.01.10 |
NPFLが路上防塞を撤去したため、モンロヴィアから内陸に向かう幹線道の一部が通行可能となる。 |
| 1992.01.13 |
ULIMOが11月の停戦宣言を撤回し、NPFLの国外撤退をめざした戦闘継続を再表明する。 |
| 1992.01.16 |
モンロヴィア・コールドウェル間の幹線が復旧する。 |
| 1992.02.01 |
IGNUがNPFLに対し、IGNU副首班をはじめとする閣内の主要ポスト、およびTLAの割り当て議席を提供すると発表する。 |
| 1992.02.01 |
NPFLの一部兵士が、ECOMOGに初の武器引き渡しを行ったと報じられる。 |
| 1992.02.09 |
ECOMOG総司令官が「ULIMOをふくむ国内武装各派の武器が月末までにすべて回収されるだろう」と発言する。 |
| 1992.02.11 |
ULIMO代表が、シエラレオネ国境地域におけるNPFLとの戦闘行為を認める。 |
| 1992.03. |
アメリカ陸軍司令官がフリータウンを訪問し、国境部の騒乱をめぐってシエラレオネ国軍への支援を約束する。 |
| 1992.03.16 |
IGNUとNPFLの同意により、暫定最高裁がモンロヴィアに設置される。 |
| 1992.04. |
国内西部におけるNPFLとULIMOの交戦が激化する。 |
| 1992.04. |
ソーヤーとテイラーが総選挙の運営費用としてそれぞれ25万ドルを提供する予定であると報じられる。 |
| 1992.04.03 |
米国務省が声明で、リベリア内戦各派にヤムスクロIV合意の順守を呼びかける。 |
| 1992.04.06〜07 |
ソーヤー、テイラー、セネガル・ブルギナファソ両国元首、およびナイジェリア副大統領がジュネーヴのウフエ=ボワニ私邸に招かれ、停戦協議を行う。 |
| 1992.04.07 |
ジュネーヴ合意(9)。ヤムスクロIV合意が再確認され、武装解除の完了予定日が6月末日に設定される。シエラレオネ国境地域におけるNPFL・ULIMO間の緩衝地帯の設定も確認される。 |
| 1992.04.09 |
ULIMO代表がジュネーヴ合意の決議事項に抗し、NPFLへの徹底攻撃を主張する。 |
| 1992.04.13 |
テイラーが「ジュネーヴ合意は強制されて署名したものだから無効」と発言する。 |
| 1992.04.13 |
プリンス・ジョンソンが、INPELはすでに武装解除を終えており、ECOMOG査察の用意ができていると虚偽の発表をする。 |
| 1992.04.16 |
米国務省が、ジュネーヴ合意を評価するコメントを発表する。 |
| 1992.04.17 |
IGNU情報相がコメントで、リベリア内戦に対するアメリカ政府の積極的な介入を要望する。 |
| 1992.04.22〜25 |
バルンガ本部のNPFL幹部会議で、ECOMOGによる武装解除活動への全面協力が決議される。 |
| 1992.04.27 |
ブッシュ米大統領が上下院による合同決議文に署名し、停戦後のリベリア総選挙に対するアメリカ政府の資金援助が可能となる。 |
| 1992.04.29 |
シエラレオネでストラッサー大尉による軍部クーデタが決行され、モモ政権が崩壊する。 |
| 1992.04.29 |
テイラーが「”NPFL政府”を解散して翌月15日までに自軍兵士を撤収させる」と発表する。 |
| 1992.04.30 |
テイラーの発表を受け、ECOMOGセネガル軍がシエラレオネ国境地域への移動を開始する。 |
| 1992.05. |
ECOMOGセネガル軍の兵力1500がシエラレオネ国境地域に配備され、NPFLが掌握していたマノ川橋を制圧し、ロファ州への進軍を開始する。 |
| 1992.05. |
ECOMOGガーナ軍の1個大隊が、沿岸の全港湾施設とロバーツフィールド国際空港を制圧するため、モンロヴィアの南東方面へ移動をはじめる。 |
| 1992.05. |
ULIMOの内部対立が激しくなり、組織指導者がセーキエ(Raleigh SEEKIE)からクロマー(Alhaji KROMAH)に交代したとの情報が流れる。 |
| 1992.05.03 |
リベリア選挙管理委員会の議長が、総選挙の延期を発表する。 |
| 1992.05.07 |
国連安保理がリベリア内戦各派に向け、ヤムスクロIV合意の順守を呼びかける。 |
| 1992.05.14 |
アフリカ但東米国務次官補がアメリカ政府首脳に対し、総額1億3000万ドルのリベリア追加支援を提案する。 |
| 1992.05.18 |
テイラーがNPFLのラジオ放送で、内戦三派(NPFL・INPEL・AFL)の会合を呼びかける。 |
| 1992.05.26 |
ソーヤーがNPFL幹部会議にメッセージを送り、IGNUと”NPFL政府”の統合を呼びかける。 |
| 1992.05.28 |
ヴァフンにおけるECOMOGとNPFLの戦闘でセネガル軍兵士3名が重傷を負い、6名がNPFL軍に捕らえられる。 |
| 1992.06. |
ULIMOが「政治派」と「軍事派」の二派に分裂する。 |
| 1992.06.02 |
ULIMO「軍事派」のナンバー2にあたるカルペー(Albert KARPEH)がフリータウンで他のULIMOメンバー2名に暗殺される。 |
| 1992.06.05 |
NPFLが「先月末のヴァフン戦闘では自軍兵士も10名が戦死した」と発表する。 |
| 1992.06.09 |
拘禁されていたセネガル軍兵士6名の遺体が、NPFL掌握地のブキャナン港からダカールに送致される。 |
| 1992.06.22 |
ECOWASリベリア調停会議(於ダカール)。ECOWAS全参加国にECOMOGへの人員派遣が要請される。NPFL掌握地域への経済制裁の構想が浮上する。 |
| 1992.06.26 |
ULIMOが「NPFLの攻撃のせいで自軍がふたたび戦闘態勢に入った」と発表する。 |
| 1992.06.29 |
ECOWAS首脳会議(於ダカール)。NPFLが2か月以内に武装解除を完了しなければ、ナイジェリア海軍がブキャナン港を封鎖することが決まる。 |
| 1992.07. |
ULIMOとNPFLの戦闘地域が、しだいに首都モンロヴィアへ接近する。 |
| 1992.07.06 |
ULIMOとNPFLが、グラントケイプマウント州で激しい砲撃を交わす。 |
| 1992.07.09 |
ECOWASがテイラーに対し、最後通牒として30日以内の武装解除を命ずる。 |
| 1992.07.10 |
NPFLが、一時ULIMOに掌握されていた自軍領土の奪還を発表する。 |
| 1992.08. |
ULIMOとNPFLの戦闘が激化の一途をたどる。 |
| 1992.08. |
ICRCの公用車がNPFL兵士に手榴弾を投げられ、リベリア人ボランティア1名が死亡、1名が重傷を負う。 |
| 1992.08.14 |
ULIMOが声明で、フリータウン本部における全体討議の結果ULIMO指導者にセーキエが復権し、組織が再統一されたと発表する。 |
| 1992.08.18 |
ECOWAS外相会議(於トコヌー)。和平交渉に初めて招かれていたULIMO代表の欠席により、会議が中止される。 |
| 1992.08.21 |
ULIMOが、タブマンバーグ市のNPFL軍を包囲する。 |
| 1992.08.22 |
ULIMOとNPFLの戦闘で、1500名以上の死者が発生する(NPFL発表)。 |
| 1992.08.31 |
ULIMOが、ボミ州とグランドケイプマウント州のほぼ全域をNPFLから奪う。 |
| 1992.09. |
首都戦争にそなえたNPFL軍の大規模な移動が、モンロヴィア周辺で確認される。 |
| 1992.09. |
NPFL兵士がNGO職員をULIMOのスパイとまちがえて襲撃する事件が相次いだため、国内各地のNGO職員全員にモンロヴィア帰還が命じられる。 |
| 1992.09.01 |
NPFLとINPELが、初の和解協定をむすぶ。 |
| 1992.09.07 |
ULIMOとNPFLの戦闘が首都に迫ってきたため、内陸で活動中のECOMOG全軍にモンロヴィア帰還命令がくだる。 |
| 1992.09.09 |
ULIMOが、コートディヴォワール政府をNPFLの支援国として公式に非難する。s |
| 1992.09.23 |
国内各地でNPFLの捕虜となっていたECOMOG兵士約400名が、モンロヴィアのECOMOG本部に引き渡される。 |
| 1992.09.29 |
コートディヴォワール、トーゴ、ガーナの各国政府代表がニューヨークを訪れ、国連平和維持軍のリベリア派遣を要請する。 |
| 1992.10. |
ECOMOGナイジェリア軍が、NPFLのバルンガ本部を空爆する。 |
| 1992.10. |
INPELの全兵士(約1000名)が武装解除を実行する。 |
| 1992.10. |
アメリカ政府が、ECOWASへの200万ドルの追加支援を決定する。 |
| 1992.10.02 |
ECOMOG総司令官が、バクット少将(Ishaya BAKUT)からオルリン大将(Adentuji OLURIN)に交代する。 |
| 1992.10.05 |
NPFLが、モンロヴィア北方30キロ地点の自軍拠点をULIMOに奪われる。 |
| 1992.10.07 |
ソーヤーが、NPFLとの合意のもとでゴムの生産と輸出を続けている日本ブリヂストン社、リベリア農業会社を激しく避難する。 |
| 1992.10.16 |
NPFLがペインズヴィルを48時間にわかり砲撃し、自らが”多方面作戦”(用語集3-3参照)と名づけたモンロヴィア再攻撃を開始する。 |
| 1992.10.19 |
モンロヴィア市内で、アメリカ人修道女5名が約300名の収容孤児とともに行方不明となる。 |
| 1992.10.20 |
ECOWASリベリア調停会議(於コトヌー)。ECOWAS9か国委員会が設置される。 |
| 1992.10.21 |
ECOMOGが、ULIMOとNPFLの双方に停戦への警告を発する。 |
| 1992.10.22 |
ECOMOGが、モンロヴィア郊外とバルンガ市のNPFL拠点を空爆する。 |
| 1992.10.24 |
ECOMOGナイジェリア軍のフリゲート艦が、ブキャナン港への砲撃をはじめる。 |
| 1992.10.26 |
NPFLが、スプリッグズペイン空港のECOMOG駐留地を砲撃する。 |
| 1992.10.29 |
NPFLが、アメリカ大使館付近に上陸したフリゲート艦を砲撃する。 |
| 1992.10.29 |
米国務省がECOWASの全武装解除に対し、即時停戦とECOWAS指導下の真剣な和平交渉を要求する。 |
| 1992.10.30 |
テイラーが修道女の失踪事件について「自分は何も知らないが、300名の孤児だけは”救出した”」と発表する。 |
| 1992.10.30 |
NPFLが、スプリッグズペイン空港に二度目の砲撃を行う。 |
| 1992.10.31 |
フランシス大司教が匿名の情報筋にもとづき「失踪したアメリカ人修道女5名、リベリア人修練女<4名はすでに殺害されている」と発表する。 |
| 1992.10.31 |
NPFLがコミュニケで「修道女5名と修練女4名の死亡はECOMOGナイジェリア軍の空爆によるものだった」と発表する。 |
| 1992.11. |
米国務次官の非公式発言「ECOMOGがNPFLへの攻撃をこのまま続行すれば、リベリア紛争における自らの中立性を失うだろう」の部分を誤って放送した件について、BBCが米国務次官に謝罪する。 |
| 1992.11. |
内戦勃発以来アメリカがリベリアに提供した援助資金が2億2800万ドルに達する。 |
| 1992.11.02 |
NPFLが、スプリッグズペイン空港に三度目の砲撃を行う。 |
| 1992.11.03 |
アメリカが、リベリア沖合に小型艦3隻を配備している事実を公表する。 |
| 1992.11.04 |
ナイジェリアとガーナが、ECOMOGに初の追加兵力(合計約1000)を派遣する。 |
| 1992.11.06 |
ECOMOGナイジェリア軍が、モンロヴィア近郊のNPFL砲撃地点と、バルンガのNPFL本部を空爆する。 |
| 1992.11.07 |
西アフリカ諸国首脳会議(於アブジャ)。4日以内の停戦要求、NPFL掌握地域への経済制裁の継続、ECOMOGへの追加兵力の要請、国連への緊急支援の要求などが発表される。 |
| 1992.11.10 |
テイラーが、アブジャ首脳会議における合意事項の順守を宣言する。 |
| 1992.11.11 |
NPFLが、モンロヴィア近郊のECOMOG拠点をふたたび砲撃する。 |
| 1992.11.15 |
ECOMOGが、モンロヴィア郊外のNPFL拠点に反撃をくわえる。 |
| 1992.11.19 |
国連安保理が、対リベリア武器禁輸(ECOMOGをのぞく)を決議する(決議案第788項)。 |
| 1992.11.20 |
国連が、リベリア特使にゴードン=ソマーズ(Trevor GORDON-SOMERS)を任命する。 |
| 1992.11.23 |
テイラーが「国連の要請であれば停戦に応ずる」と公表する。 |
| 1992.12. |
プリンス・ジョンソンがラゴスに亡命する。 |
| 1992.12. |
新たな武装勢力NRCがニンバ州に出現し、同州のNPFL掌握地域を攻撃する。 |
| 1992.12.06 |
国連リベリア特使がモンロヴィアに到着し、ECOMOG総司令官と会談する。 |
| 1992.12.07 |
テイラーが国連に対し、自軍掌握地への経済封鎖をECOMOGに中止させるよう要請する。 |
| 1992.12.14 |
国連リベリア特使が、ハーベルでテイラーと10時間の会談を行う。 |
| 1992.12.16 |
NPFLとECOMOGが、ボン鉱山周辺で激しい戦闘状態に入る。 |
| 1993.01. |
NPFLとECOMOGの戦闘が、モンロヴィア郊外で再燃する。 |
| 1993.01. |
国連リベリア特使が、西アフリカ諸国の首脳と会談する。 |
| 1993.01. |
ECOMOGセネガル軍(兵力1500)が自国に撤収し、変わってナイジェリア軍・ガーナ軍を主力とする兵力5000の増強がなされ、ECOMOG現有兵力が1万6000となる。 |
| 1993.01. |
ULIMO「政治派」のセーキエが、国連リベリア特使とULIMO「軍事派」クロマーの会談が自分の不在中に行われたことに不満を表明する。 |
| 1993.01.06 |
ECOMOGが、ロバーツフィールド国際空港をNPFLから奪う。 |
| 1993.01.14 |
国連リベリア特使がこれまでの視察結果をまとめ、国連はリベリアに平和維持軍を投入せず、ECOMOGを全面支援すべきと発表する。 |
| 1993.01.24 |
ECOMOGが、ハーベルとカカタのNPFL掌握地に進撃する。 |
| 1993.02. |
ULIMOが、シエラレオネ国軍との連合で同国東部のRUFとNPFLを攻撃、その後リベリア国内でもロファ州を掌握する。これにより、NPFLは国内北西部をすべてULIMOに奪われ、シエラレオネとの連絡回廊を遮断される。 |
| 1993.02. |
ECOMOG総司令官が、テイラーはニンバ州に軍事配置を戻そうとしており、彼がこの企てを放棄しないかぎりニンバ州への爆撃も辞さないと発表する。 |
| 1993.02.03 |
AFL兵士が、ロバーツフィールド国際空港付近でイギリス人1名を殺害する。 |
| 1993.02.25 |
NPFLが、複数の自軍戦略拠点を先月ECOMOGに奪われた事実を公式にみとめる。 |
| 1993.02.27 |
ECOMOGナイジェリア機4機がコートディヴォワール・ダナネ地方を空爆し、10名が負傷する。 |
| 1993.02.28 |
コートディヴォワール外相が、ダナネ空爆事件をめぐりECOMOGに強い不満を表明する。 |
| 1993.02.28 |
NPFLがラジオ放送で「前日空爆があった地域にはリベリア人兵士など一人もいなかった」と発表する。 |
| 1993.02.28 |
ニンバ州ロブアト村でNPFLとECOMOGの激しい戦闘が生じ、NPFL兵士10名が死亡、他の負傷兵士12名がコートディヴォワール領内へ逃亡する。 |
| 1993.03. |
ガリ国連事務総長が「リベリア内戦は近隣諸国のあいだで解決されるべきだ」と発言する。 |
| 1993.03. |
ULIMO兵士が、出身民族をもとに”NPFL協力者”と断定した一般住民をロファ州で処刑する。 |
| 1993.03.01 |
コートディヴォワールの外相、国防相、内務省、陸軍幕僚長がダナネ地方を緊急視察する。 |
| 1993.03.01 |
ECOMOG総司令官が、ダナネ空爆は誤爆だったと弁明し、コートディヴォワール政府に陳謝する。 |
| 1993.03.02 |
ババンギダ将軍がコートディヴォワール政府に対し、ダナネ空爆を陳謝する。 |
| 1993.03.05 |
ECOWAS首脳陣がアビジャンを訪問し、ダナネ空爆について直接の釈明を試みる。 |
| 1993.03.08 |
ULIMOが、バルンガのNPFL本部を攻撃する。 |
| 1993.03.13 |
ソーヤーが、ダナネ空爆問題でアビジャンを訪問する。 |
| 1993.03.17 |
ULIMOが、バルンガ包囲態勢に入る。 |
| 1993.04.06 |
ECOMOGがNPFLからブキャナン港を奪い、対NPFL海上封鎖を進展される。 |
| 1993.04.26 |
ウォエウィユのNPFL離脱が報じられる。 |
| 1993.04.30 |
NPFLが、1月以来ULIMOに奪われていたボン鉱山を再攻撃する。 |
| 1993.05. |
国連リベリア特使が、テイラーなど内戦各派の指導者と会談する。 |
| 1993.05. |
モンロヴィア北東部におけるNPFLの攻撃で、民間に数百名の死者が出る。 |
| 1993.05.09 |
ECOWAS首脳が”静穏回廊”(用語集3-3参照)の設置計画を発表する。 |
| 1993.05.10 |
ULIMOの内部対立がふたたび表面化し、クロマーがセーキエ更迭を要求する。 |
| 1993.05.12 |
テイラーがECOMOGの”静穏回廊”構想を非難する。 |
| 1993.05.18 |
NPFLがラジオ放送で、対ULIMO・ECOMOGの”敏速ゲリラ作戦SUGUMO”(用語集3-3参照)を発表する。 |
| 1993.05.21 |
ECOMOGが”静穏回廊”の確立を発表する。 |
| 1993.05.27 |
ECOMOGナイジェリア機が、コートディヴォワール・リベリア国境部を空爆する。 |
| 1993.05.27 |
NPFLがペインズヴィルの通信施設を占拠し、国内と海外の交信が一時とだえる。 |
| 1993.06. |
ECOMOGが、モンロヴィアからブキャナン市までの沿岸地域を制圧する。 |
| 1993.06.06 |
ハーベル虐殺事件(ハーベル市のカーター難民キャンプで、女性と児童を中心とする一般人567名の虐殺死体が発見される)。 |
| 1993.07. |
NPFLの占有領土が、リベリア国土の約50%にまで縮小する。 |
| 1993.07. |
内戦各派の合意により”静穏回廊”が機能をはじめる。 |
| 1993.07.08 |
IGNUが、ECOWAS非加盟のアフリカ諸国もECOMOG派兵を検討中と発表する。 |
| 1993.07.10〜17 |
ジュネーヴ会談(国連・OAU・ECOWASの仲介による)。 |
| 1993.07.17 |
ジュネーヴ合意(10)。メンバー5名からなるTCS設置案、LNTG設置案、停戦にいたる具体的なプロセス、ECOMOGナイジェリア軍の兵力削減などの点で合意をみる。 |
| 1993.07.24〜25 |
ECOWAS首脳会議(於コトヌー)。 |
| 1993.07.25 |
コトヌー合意(11)。国連とOAUの仲介によるジュネーヴ合意の批准。IGNU・NPFL・ULIMOの三者代表からなるTCS樹立、翌年2月の総選挙日程などが決議される。 |
| 1993.08. |
国連が、ハーベル虐殺事件の調査チーム(メンバー3名)を派遣する。 |
| 1993.08.01 |
NPFLとULIMOが、自軍兵士に武装解除の指令を発する。 |
| 1993.08.05 |
TCSメンバーのうち3名(クヨンBismarck KUYON、ムスレン=クーパーDorothy MUSULENG-COOPER、シェリフMohamed SHERIFF)が決定する。 |
| 1993.08.10 |
国連安保理が、UNOMILの派遣案を討議する。 |
| 1993.08.10 |
IGNUが、NPFLの停戦違反行為を非難する。 |
| 1993.08.16 |
TCSの全メンバーが確定し、議長ポストにクヨンが指名される。 |
| 1993.08.19 |
クヨン議長が、第一次LNTGの樹立日程を発表する。 |
| 1993.08.24 |
クヨン議長が、第一次LNTGの樹立延期を発表する。 |
| 1993.08.25 |
NPFL指名のムスレン=クーバーTCS副議長が、TCSの初の非公式会合に不参加の意向を表明する。 |
| 1993.09. |
ECOMOG総司令官がオルリン大将からシャガヤ少将(John SYAGAYA)に交代する。 |
| 1993.09. |
ECOMOGが封鎖していたダナネ経由のバルンガ救援ルートが再開する。 |
| 1993.09. |
IGNU外相が、LNTG体制への移行の遅れについて釈明する。 |
| 1993.09.04 |
新たな軍事勢力LPCが国内南東部で台頭し、コートディヴォワール国境地域が戦闘状態となったため、コートディヴォワール国軍がリベリア国境地域に特別配備される。 |
| 1993.09.06 |
ECOMOGナイジェリア軍撤収の憶測が広まり、モンロヴィア駐在ナイジェリア大使が同軍に駐留継続を要請する。 |
| 1993.09.08 |
NPFLが、ULIMO分派間の交戦状態を協定違反として非難する。 |
| 1993.09.15〜16 |
モンロヴィア市で、商品の価格急騰に抗議する暴動が発生する。 |
| 1993.09.17 |
国連ハーベル調査団が、ハーベル虐殺事件はAFLによるものと断定する。 |
| 1993.09.22 |
IGNUが、ハーベル虐殺事件に関与したAFL将校3名の逮捕を発表する。 |
| 1993.09.23 |
国連安保理が、UNOMIL(人員303名)のリベリア派遣を正式決定する(決議案第866項)。 |
| 1993.10. |
UNOMIL第一陣がリベリアに到着する。 |
| 1993.10. |
アメリカ政府が、LNTG樹立の遅れを非難する。 |
| 1993.10. |
クロマーが、LNTG樹立の遅れを理由に「ソーヤーは今や和平プロセスにとっての障害である」と発言する。 |
| 1993.10. |
ULIMOがヴォインジャマ市で民間人の無差別虐殺を行っていると報じられる。 |
| 1993.10. |
LPCが、国内南東部のNPFL掌握地域を激しく攻撃し、グランドゲデ州・シノエ州・グランドバッサ州の掌握をはじめる。 |
| 1993.10. |
コートディヴォワール外相が第48回国連総会の席上で、リベリアの救援ルート開設に向けた国際支援を要請する。 |
| 1993.10.01 |
IGNU・NPFL・ULIMOの三派それぞれが指名したTLA議員35名が確定する。 |
| 1993.10.03 |
ULIMO「軍事派」と「政治派」の代表が、組織の再統一に向けてフリータウン本部で会談する。 |
| 1993.10.04 |
NPFL・ULIMO・RUFが、ロファ州フォヤ地方でキシ族住民を大量虐殺したとの現地報道が入る。 |
| 1993.10.10 |
ECOMOG総司令官が、ナイジェリア軍撤退の憶測を否定するとともに、ザンビア・ウガンダ・タンザニアがECOMOG軍への派兵(総計4個大隊)に合意したと発表する。 |
| 1993.10.11 |
テイラーの兄ネルソン(Nelson TAYLOR)が、戦闘中のシノエ州でLPC兵士に殺害される。 |
| 1993.10.11 |
ハーベルのゴムプランテーションでNPFLの内紛が生じ、16名が死亡する。 |
| 1993.10.13 |
アメリカ政府が、ECOMOGに1980万ドルの追加支援を発表する。内戦勃発以来、アメリカがリベリア援助に供託した資金が総額2億7000万ドルに達する。 |
| 1993.10.19 |
NPFLが、自軍指名のTCS副議長更迭を一方的に発表する。 |
| 1993.11. |
ナイジェリアのアバチャ将軍が、ECOMOG自国軍の駐留継続を明言する。 |
| 1993.11.03〜06 |
ECOWAS主宰による内戦主要三派の会談がコトヌーで行われる。 |
| 1993.11.06 |
コトヌー三派会談が、第一次LNTGの閣僚人事で難航するなど、物別れに終わる。 |
| 1993.11.09 |
国連が、総額800万ドルのリベリア武装解除計画を発表する。 |
| 1993.11.09 |
内戦で破壊されていたロバーツフィールド国際空港の滑走路修復工事が完了する。 |
| 1993.11.13 |
IGNUが、TCS議長の更迭を発表する。 |
| 1993.11.22 |
IGNUが、バンクス(Phillip BANKS)の議長就任の手続きについて釈明する。 |
| 1993.12. |
アメリカ政府が、国連リベリア信託基金への3000万ドルの追加提供を発表する。 |
| 1993.12. |
新たな武装勢力LDFがロファ州でULIMOと交戦状態に入り、死者300名以上が発生する。 |
| 1993.12. |
ロファ州のUNHCR事務所がULIMO兵士に襲撃されたため、すべての救援団体が同州から撤退する。 |
| 1993.12. |
グランドゲデ州・リヴァーセス州・シノエ州でNPFLとLPCの交戦状態がつづく。グリーンヴィル市では、リベリア人宣教師9名が殺害される。 |
| 1993.12. |
NPFLとULIMOが、TCSの樹立期限を年内に設定するが、ソーヤーはこれを拒否する。 |
| 1993.12.21 |
一部報道が、グリーンヴィル事件の犯人をLPC兵士と断定する。 |
| 1993.12.21 |
タンザニア軍(兵力154)が、ECOMOGに合流する。 |
| 1994.01. |
タンザニア・ウガンダの合流兵力が約770に達する一方、ジンバブエからの派兵は資金不足を理由に見送られる。 |
| 1994.02. |
ECOMOGタンザニア・ウガンダ両軍の兵力が約2000に達する。 |
| 1994.02. |
ULIMO分派間の抗争が激化する。 |
| 1994.02. |
LPCがブキャナン市を攻撃する。 |
| 1994.02. |
国立リベリア銀行が、内戦勃発以来とだえていた季刊統計報告書を再刊する。 |
| 1994.03. |
ドイツ政府がECOMOGへの物資援助を発表する。アメリカとイギリスが、国連リベリア信託基金に合計3100万ドルを提供する。 |
| 1994.03. |
NPFLが、国内の幹線道に設置した検問所の撤去を発表する。 |
| 1994.03.06 |
TCS体制発足に向け、ソーヤーがIGNU首班を退任する。 |
| 1994.03.06 |
ULIMOのジョンソン司令官(Roosevelt JOHNSON)が、モンロヴィアで指導者クロマーの更迭を一方的に発表する。クロマーはただちにこれを否定し、ジョンソンを厳罰処分に下すと発表する(ULIMO-Jの台頭)。 |
| 1994.03.07 |
IGNUが解散し、リベリアの行政権がTCSに移管する。 |
| 1994.03.07 |
TCSが、モンロヴィア市内で流通するIGNU発行の紙幣と、NPFL掌握地域で流通する旧紙幣との国内互換性を保証する。 |
| 1994.03.08 |
UNOMILが、国内のほぼ半数の兵士を武装解除したと楽観的な発表をする。 |
| 1994.03.10 |
ECが、リベリア難民の人道的援助にむけ1100万ドル相当の資金提供を発表する。 |
| 1994.03.10 |
ULIMO-KとULIMO-Jが戦闘状態に入り、200名が死亡する。 |
| 1994.03.12 |
ジョンソンが、クロマーとの不和を解消したと発表し、ULIMOの結束をうながす。 |
| 1994.03.14 |
第一次LNTG組閣人事がNPFLの要求追加により難航し、内閣発足が延期される。 |
| 1994.04. |
内戦各派による武装解除が停滞をはじめる。 |
| 1994.04. |
第一次LNTGの組閣で最後まで難航していた外相人事が決着する。 |
| 1994.04. |
ロイズ船級協会が、昨年度の船籍登録トン数でパナマがリベリアを抜き世界第1位になったと発表する。 |
| 1994.04.20 |
国連安保理が、UNOMIL活動期間の6か月延期を決める。 |
| 1994.05. |
NPFL指名のLNTG情報相が、NPFLとLPCの間で和平合意が成立したと発表する。 |
| 1994.05. |
「武装解除をすでに終えた兵士は約3000名」との情報が流れる一方で、内戦各派による武装解除の動きがほぼ停止する。 |
| 1994.05. |
ULIMOの内部抗争、およびLPCとNPFLの抗争が、国内各地でふたたび激化する。 |
| 1994.05. |
NPFLが、ECOMOGナイジェリア軍のLPC支援を告発する。 |
| 1994.05. |
LPCがグランドバッサ州からボン州へと侵攻を拡大し、バルンガ市への攻撃を開始する。 |
| 1994.05. |
ULIMO-KとULIMO-Jが、ECOMOGの仲介で和解交渉にのりだす。 |
| 1994.05. |
ULIMO-Jが、タブマンバーグの旧ULIMO本部をULIMO-Kから奪う。 |
| 1994.05. |
LDFが、ギニア国境地域の奪還をめざしてULIMO-Kと激しい交戦状態に入る。 |
| 1994.05. |
国内各地からモンロヴィア市に流入する難民が増大をはじめる。 |
| 1994.05.12 |
第一次LNTGの全メンバーが確定指名される。 |
| 1994.05.13 |
第一次LNTGの初閣議がひらかれる。 |
| 1994.05.13 |
NPFLが、ULIMOの内部抗争とLPCの存在を理由に武装解除の中止を通告する。 |
| 1994.05.16 |
ECOMOGが、ハーベルのゴムプランテーションをAFLから奪還したと発表する。 |
| 1994.05.24 |
ナイジェリア政府が、ECOMOG自国兵力の漸次削減方針を発表する。 |
| 1994.06.03 |
LPCが、ECOMOGウガンダ軍の兵士9名を拉致する(ECOMOG発表)。 |
| 1994.06.08 |
アメリカ政府がLNTGに対し、武装解除の遅れによる経済援助の停止を警告する。 |
| 1994.06.08 |
ULIMO-Kが、ULIMO-Jに選挙されたタブマンバーグ本部の奪還計画を発表する。 |
| 1994.06.08 |
ナイジェリアがリベリアの平和維持活動にこれまで投入してきた費用が、40億ドルに達する(ナイジェリア政府発表)。 |
| 1994.06.13 |
OAU首脳会議(於チュニス)で、ECOMOGガーナ軍・タンザニア軍がリベリア撤収を考えているとの情報が流れる。 |
| 1994.06.26 |
NPFLが提案していた”暫定軍”構想を、他の武装勢力が拒否する。 |
| 1994.07.19 |
NPFL指名のウォエウィユLNTG公共事業相がモンロヴィア市内で記者会見を開き、テイラー批判を展開する。 |
| 1994.08. |
LPCによるバルンガ攻撃が続くなか、ULIMO-Jもバルンガへ接近をはじめる。 |
| 1994.08. |
NPFLがリヴァーセス州のLPC掌握地を攻撃し、同州への失地を回復する。 |
| 1994.08. |
ラゴス亡命中のプリンス・ジョンソンがウォエウィユと同盟の密約を結んだとの憶測が流れる。 |
| 1994.08. |
NPFLで、ゲイ将軍(Nixon GAYE)による反乱未遂騒動がおこる。 |
| 1994.08. |
ULIMO-JとLPCが、同じクラン系勢力として連合を結んだとの憶測が流れる。 |
| 1994.08.03 |
国連の仲介で、AFL・LPC・LDFの諸派をコトヌー合意の体制下にふくめる初の合意がなされる(於モンロヴィア)。LPC指導者ボレィ(George BOLEY)、LDF指導者ボウェン、NPFL指導者ウォエウィユが合意書に調印する。 |
| 1994.08.05 |
第17回ECOWAS首脳会議(於アブジャ)。ECOWAS新議長にローリングス大統領が就任する。リベリア問題の討議が継続する。 |
| 1994.08.16 |
ガリ国連事務総長が、UNOMILの期間延長を判断するためにリベリア事実調査団の派遣を決める。 |
| 1994.08.24 |
LNTG主催による「リベリア国民平和会議」(於モンロヴィア)が、内戦各派代表欠席のまま失敗に終わる。 |
| 1994.09. |
ナイジェリアがECOMOG自国軍に撤収を命じたとの情報が流れる。 |
| 1994.09. |
カーター元米大統領とローリングス大統領が会談し、アコソンボでのリベリア和平会議の開催を決める。 |
| 1994.09. |
テイラーがアコソンボ会議に出席中、武装連合軍(ULIMO-J、LDF、LPC、NPFL-CRC)の攻撃により、NPFLバルンガ本部が陥落する。以後、テイラーの所在が不明となる。 |
| 1994.09. |
UNOMILメンバー43名がNPFL兵士に拉致され、数日後にコートディヴォワール国内で解放される。 |
| 1994.09. |
国内難民の流入で首都の人口が急激に膨張する。モンロヴィア市内では、飲料水の汚染がからコレラが流行し、感染患者300名が病院に収容される。 |
| 1994.09. |
EUがモンロヴィア市のコレラ対策に、26万ドル相当の救援資金を提供する。内戦勃発以来、EUがリベリアへの人道的援助に供与した資金が、総額600万エキュに達する。 |
| 1994.09.01 |
バルンガでの戦闘激化にともない、国内各地のWEP職員にモンロヴィア帰還命令が下る。 |
| 1994.09.07 |
コトヌー合意で設定された総選挙予定日が、空白のまま過ぎる。 |
| 1994.09.08〜11 |
アコソンボ会議。 |
| 1994.09.12 |
アコソンボ合意(12)。LPCなどの新勢力をまじえて、コトヌー合意の確認と修正がなされ、TCSに代わる新体制CSの樹立と、翌年10月の総選挙日程についての討議がなされる。 |
| 1994.09.15 |
モンロヴィア市で、AFL中将ジュルエによるクーデタ未遂事件がおきる。 |
| 1994.10. |
バルンガ市がゴーストタウン化し、テイラー邸が焼け落ちているとの現地情報が入る。バルンガ近郊の病院に避難していた一般住民約85名が武装勢力に虐殺される。 |
| 1994.10. |
LPCが国内南東部の大半をNPFLから奪い、グリーンウィル港、グランドセス港、ハーパー港を掌握して、NPFLの物資調達ルートを遮断する。ハーパーからの避難民が、LPC兵士による現地での無差別虐殺をつたえる。 |
| 1994.10. |
NPFLがLPCからハーパーを奪還し、LPC兵士130名がコートディヴォワールに逃亡する。NPFL兵士がハーパーで一般住民を処刑しているとの情報が入る。 |
| 1994.10. |
シエラレオネ政府が、自国反乱軍との結託を理由にULIMO-Kを非難する。その後クロマーがフリータウンを訪問し、事実関係について釈明する。 |
| 1994.10. |
LNTGが、AFL最高司令官ボゥエンの幕僚長更迭を断行し、同時にAFLにおけるクラン族偏重の傾向を是正するため、AFL幹部の改造人事を発表する。ボウェンはこれを拒否してBTC(用語集3-1参照)に立てこもる。LNTGから新幕僚長に指名されたカマー大将(Philip KAMAH)も、就任要請を拒否する。 |
| 1994.10. |
UNOMILの人員が368名から90名に縮小される。 |
| 1994.10.18 |
UNICEFが、トトタ市内の難民児童約500名を飛行機で救出する計画を内戦各派に通告し、協力を要請する(数日後に児童50名のみが救出される)。 |
| 1994.10.20 |
ECOMOGが、財政上の理由による兵力削減の予定を発表する。 |
| 1994.11. |
ECOMOGナイジェリア軍の一部撤収がはじまり、モンロヴィアからブキャナン港までの幹線防塞が、ガーナ・ギニア・シエラレオネ軍の管轄に代わる。 |
| 1994.11. |
モンロヴィア北方のロファ川・ダイアモンド産出地帯をめぐり、ULIMO-KとULIMO-Jが交戦状態に入る。 |
| 1994.11.21〜29 |
ローリングスECOWAS議長の仲介による内戦各派の和平交渉(於アクラ)。CSメンバーの割り当てをめぐる内戦各派の交渉が決裂する。 |
| 1994.12. |
テイラーがバルンガのNPFL本部陥落後にガンタへ移動していたことが判明する。 |
| 1994.12. |
NPFLが、自軍の主要拠点を奪還するための”軽快移動攻撃作戦”(用語集3-3参照)を開始する。 |
| 1994.12. |
国連リベリア特使が、ゴードン=ソマーズからニャキィ(Anthony NYAKYI)に交代する。 |
| 1994.12.06 |
AFL兵士12名による9月のクーデタ未遂事件が軍法会議にかけられる(於フェンデル)。 |
| 1994.12.13 |
AFLの一部兵士がジュルエ中将の解放をもくろみ、フェンデルのECOMOG拠点を攻撃する。ジュルエ中将は、モンロヴィア市に移送される。 |
| 1994.12.15 |
ジュルエ中将を信奉するAFL兵士が、ペインズウィルで住民68名を無差別虐殺する。 |
| 1994.12.20〜21 |
リベリア和平会議(於アクラ)。 |
| 1994.12.21 |
アクラ合意(13)。。ローリングス大統領の仲介により、アコソンボ会議の合意事項に進展がみられ、内戦7派によるCSメンバーの割り当てが決定する。7日後の停戦実施が約束される。 |
| 1994.12.30 |
国内南東部のNPFLとLPC、国内中央部のNPFLとULIMO-Jのあいだで停戦違反行為が報告される。 |
| 1995.01. |
ナイジェリア政府が、NPFL支援を理由にブルギナファソ政府を非難する。 |
| 1995.01. |
グランドバッサ州でNPFLとLPCが交戦状態に入り、約3万5000人の一般住民がECOMOG管轄下のブキャナン港湾地区に避難する。 |
| 1995.01. |
NPFL兵士がギニア国境を侵犯し、同国内で死者2名が生じる(ギニア政府発表)。 |
| 1995.01.02 |
ボン州での戦闘をめぐり、NPFLとULIMO-Kが互いの停戦違反行為を非難する。 |
| 1995.01.05 |
NPFLがバルンガ本部を奪還する(国連発表)。 |
| 1995.01.12 |
リベリア和平会議(於アクラ)。CSメンバーの人選をめぐり交渉が決裂する。 |
| 1995.01.13 |
国連安保理が、UNOMIL活動期間の3か月延長を決議し、対リベリア武器禁輸の合意条項を再確認する。 |
| 1995.01.14 |
アクラ会議の交渉決裂に抗議するモンロヴィア市民が暴動をおこし、10名が死亡する。ボレィLPC代表とマサクォワLDF代表が、ECOMOGにより暴動から救出される。 |
| 1995.01.16 |
モンロヴィア市でふたたび一般住民の暴動がおきる。 |
| 1995.01.23〜31 |
リベリア和平会議およびECOWAS首脳会議(於アクラ)。内戦各派が、CSメンバーの割り当てと議長・副議長ポストの人選をめぐってふたたび決裂する。 |
| 1995.02. |
米国務省のスミス西アフリカ局長(Dane SMITH)が、米リベリア特使に任命される。 |
| 1995.02. |
LNTGが内戦各派による密貿易を封鎖する目的で、ゴムの輸出禁止を発表する。 |
| 1995.02.02 |
テイラーが「CSメンバーの人選について、NPFL・ULIMO-K・AFLの三派だけで合意が得られた」と一方的に発表する。 |
| 1995.02.10 |
NPFLが、ロファ州のULIMO-K掌握地を攻撃する。(NPFL機関紙報道)。 |
| 1995.02.27 |
ガリ国連事務総長が「今回のUNOMIL活動期間中に和平への進展がみられない場合はUNOMILを撤退させる」と発表する。 |
| 1995.03. |
ULIMO-Jが「ボン鉱山付近の自軍掌握地をNPFLが攻撃した」と発表する。 |
| 1995.03. |
アメリカ政府が、リベリア問題に関するローリングスECOWAS議長への支援を約束する。 |
| 1995.03. |
TCSのポーマポー議長(David KPORMAKPOR)とタンバ・テイラー(Tamba TAILOR)がガーナを訪問し、アメリカのECOWAS支援の詳細について情報を収集する。 |
| 1995.03. |
タンザニア政府が、ECOMOG自国軍(兵力800)の月末撤収を発表する。 |
| 1995.03. |
モンロヴィアに到着したガーナ船籍の船とナイジェリア旅客機から、合計約5.5トンのマリファナが発見され、リベリア警察に押収される。 |
| 1995.03.05 |
内戦の即時終結を求める一般住民数百名が、ブキャナン市で抗議デモを展開する。 |
| 1995.03.09 |
キリスト教・イスラム教団体の呼びかけで、数千名のモンロヴィア市民が店鋪を閉め、内戦終結を求める在宅ストライキを決行する。 |
| 1995.04. |
国内西部でのULIMO-JとULIMO-Kの戦闘、南東部でのNPFLとLPCの戦闘、ボン鉱山付近のNPFLとULIMO-Jの戦闘がふたたび激化し、停戦合意が公然と無視される。 |
| 1995.04. |
シエラレオネ難民約2000名を収容するグランドケイプマウント州の難民キャンプが、ULIMO-K兵士に襲撃される(死傷者数は不明)。 |
| 1995.04. |
ECOMOGがタブマンバーグのULIMO-J本部に進撃し、ボミ州とグランドケイプマウント州の幹線道路を確保する。 |
| 1995.04. |
モンロヴィア近郊のキャンプに避難するシエラレオネ難民数百名が、配給食糧の不足に抗議してUNHCR事務所を襲撃する。 |
| 1995.04. |
コートディヴォワール・タブー地方で、リベリア難民がUNHCRの人口調査をボイコットする。国連は報復措置として、同地域への食糧供給を6月まで停止する。 |
| 1995.04. |
フリータウン郊外のキャンプに避難していたリベリア難民430名以上が、同地域での戦闘激化のため船で脱出し、モンロヴィア自由港に到着する。 |
| 1995.04. |
「ダナネ県のリベリア難民15名がコートディヴォワール当局に身柄を拘束され、NPFLに引き渡されて処刑された」との報道が、リベリアで流れる。 |
| 1995.04. |
LPC兵士が国境からコートディヴォワール領内に砲撃を発射し、タブー地方のプロロ村が被害を受ける(イヴォワール通信社報道)。 |
| 1995.04.07 |
LNTGがダナネ事件調査のため、アビジャン駐在リベリア代理大使を本国に召還する。 |
| 1995.04.09 |
ブキャナン市近郊の町で、女性や児童を中心とする一般住民60名以上が所属不明の兵士に虐殺される(UNICEF発表)。 |
| 1995.04.13 |
国連安保理が、対リベリア武器禁輸監視団の設置を決議する。また、UNOMILの人員を20名削減し、活動期間を2か月延長する。 |
| 1995.05. |
OAUが、リベリアと周辺関係国に特使を派遣する。 |
| 1995.05. |
ECOMOGが、ULIMO-Kに掌握されていたモンロヴィア北方25キロ地点までの地域を”安全区域”として確保したと発表する。 |
| 1995.05. |
タブマンバーグの攻防をめぐり、ECOMOG・ULIMO-J・ULIMO-Kが三つどもえの交戦状態に入る。 |
| 1995.05. |
西アフリカ諸国外相会議(於アブジャ)。ECOMOGの兵力不足が問題とされる。 |
| 1995.05. |
テイラーが、ブルギナファソ、コートディヴォワール、トーゴを訪問し、各国首脳と会談する。テイラーは、会見後「内戦終結の最善の方法は、自分とナイジェリア元首との二者会談だ」と発表する。 |
| 1995.05.02 |
ナイジェリア外相が、自国軍のリベリア早期撤収に関する憶測を否定する。 |
| 1995.05.08 |
ECOMOGタンザニア軍の兵力撤収が完了する。 |
| 1995.05.17〜20 |
ECOWAS9か国委員会首脳会議(於アブジャ)。内戦各派指導者のうち、テイラーのみが欠席する。内戦各派が、CSのメンバー数とCS議長の人選をめぐりふたたび決裂する。 |
| 1995.05.24 |
UNOMIL指揮官が交代する。 |
| 1995.06. |
クロマーが、コートディヴォワールとブルギナファソを訪問する。 |
| 1995.06. |
コートディヴォワール国防相が「リベリア国境地域の村落住民はリベリア陣がゲリラと共謀している」と発言する。 |
| 1995.06. |
LNTGが「コートディヴォワール政府は数百名のリベリア難民に国外退去を命じている」と告発する。 |
| 1995.06. |
コートディヴォワール政府が、国内ギグロ市近郊に初のリベリア難民キャンプ(5000人収容)を設置する。 |
| 1995.06. |
ブキャナン市で衛生状態の悪化から悪性の下痢が蔓延し、難民37名が死亡する。 |
| 1995.06.01 |
テイラーが、内戦勃発以来はじめてナイジェリアを訪問する。 |
| 1995.06.02 |
テイラーとアバチャ将軍の二者会談が実現する。 |
| 1995.06.13 |
LPCと交戦中のNPFL兵士が国境を越えてコートディヴォワール・タイ地方の村落部に侵入し、警察、国境税関詰所、軍の宿営地などを襲撃する。イヴォワール人10名をふくむ32名の死者が発生する(コートディヴォワール政府発表)。 |
| 1995.06.15 |
UNOMIL活動期間が、3か月延長される。 |
| 1995.06.30 |
国連安保理が、リベリアで停戦合意が無視された場合のUNOMIL撤収を決議する。 |
| 1995.06.30 |
モンロヴィア市の夜間外出禁止時間が、午後7時〜午前7時(1992年以来)から午後10時〜午前6時に短縮される。 |
| 1995.07. |
ECOMOGウガンダ軍の兵力800が、自国に撤収する。 |
| 1995.07. |
リベリア和平会議(於モンロヴィア)。CSの運営方法が討議されるが、テイラーとクロマーの欠席により結論が出ずに終わる。 |
| 1995.07. |
NPFLとULIMO-Jが、国内主要幹線道路の地雷撤去に合意する。 |
| 1995.07. |
ULIMO-J兵士約40名が、首都における自軍幹部の豪奢な生活スタイルに抗議して、ジョンソン邸、ユロ(Armah YOULO)邸を襲撃する。 |
| 1995.07. |
コートディヴォワール政府が、タイ地方のリベリア国境部に国軍を配備する。 |
| 1995.07. |
ロファ州ファサマ地方でコレラと悪性の下痢が蔓延し、6月以来700名以上の死者が発生する。 |
| 1995.07.02〜03 |
NPFLがギニア国境を侵犯し、応戦したギニア国軍との戦闘で12名の死者が発生する(ギニア政府発表)。 |
| 1995.07.06 |
NPFL兵士がふたたびギニア国境を越え、国境部の村民が殺害される。 |
| 1995.07.08 |
ULIMO-Kが、トトタ市をNPFLから奪取したと発表する。 |
| 1995.07.11 |
AFL兵士によるクーデタ未遂事件の軍法会議が結審し、ジュルエ中将に懲役11年の判決がくだる。 |
| 1995.07.26 |
LNTGが、ゴムの輸出禁止令を解除する。 |
| 1995.07.29〜30 |
ECOWAS首脳会議(於アブジャ)。テイラーとアパチャ将軍はこの間にアブジャで密談を行う。 |
| 1995.08. |
ECOMOGが、国内中央部および南東部への漸次進軍予定を発表する。 |
| 1995.08. |
モンロヴィア市で悪性の下痢が流行し、数千人の感染者(死者13名)が発生する(LNTG発表)。 |
| 1995.08.16〜19 |
リベリア和平会議(於アブジャ)。 |
| 1995.08.19 |
アブジャI合意(14)。内戦各派が、サンカウロ議長(Wilton SANKAWULO)をふくむCSメンバー6名の人選に合意する。暫定政府メンバー(議長をのぞく)に選出された者も将来の大統領選に出馬できるという条項が、今回の和平合意で初めて付加される。 |
| 1995.08.26 |
アブジャI合意による全面停戦協定が発効する。 |
| 1995.09. |
ECOWAS代表団が国連・EU本部・西側諸国を歴訪し、リベリア和平への協力を要請する。 |
| 1995.09. |
ULIMO-JとULIMO-Kが、タブマンバーグの攻防をめぐり再び交戦状態に入る。 |
| 1995.09. |
タブマンバーグ市で流行する悪性の下痢で、死者約20名が発生する。 |
| 1995.09. |
ボン州とマージビ州の難民が深刻な食糧危機にみまわれていることが判明し、MSF・WFPが援助物資の緊急調達をはじめる。 |
| 1995.09. |
WHOとUNICEFの車両がNPFL兵士に略奪され、ボン州・ニンバ州の難民実態調査が中止される。 |
| 1995.09. |
選挙管理委員会がアブジャI合意にもとづき、次回総選挙を翌年8月12日に設定する。 |
| 1995.09.01 |
モンロヴィアでCSメンバーの就任式典がなされ、TCS体制がCS体制に移行する。内戦勃発以来はじめて首都モンロヴィアを訪れたテイラーは、式典後に大統領選出馬への意志を表明する。 |
| 1995.09.01 |
ギニア領内から自発的に帰還したリベリア難民が1万2000名を超える(国連発表)。 |
| 1995.09.04〜05 |
ECOWAS参謀長会議(於アクラ)でリベリア問題が討議される。 |
| 1995.09.14 |
UNOMILの活動期間が4か月半延長される。 |
| 1995.10 |
バルンガでNPFLの内紛と思われる戦闘が発生する。 |
| 1995.10 |
NPFL兵士が、タペタ市の一般住民約100名を虐殺する。NPFLは、関係者を自軍の軍法会議にかけると発表する。 |
| 1995.10 |
NPFLのゲリラ活動により、国内中央部におけるWFPの救援活動が停止する。 |
| 1995.10 |
ULIMO-K兵士が警察庁本部を襲撃し、文書偽造罪で拘留中の自軍兵士3名の奪還をはかる。 |
| 1995.10 |
テイラーが参画するCSに対し、リビア政府が国内のプラント再建費用数千ドルの提供を申し出る。 |
| 1995.10.09〜10 |
ECOWAS参謀長緊急会議。ECOMOG兵力を1万2000に回復するための増派(約4700)担当国が決まる。ナイジェリアとガーナが追加派兵を決めたほか、コートディヴォワールとブルギナファソも、ECOMOG初参加の仮決定をくだす。 |
| 1995.10.27 |
国連リベリア援助会議(於ニューヨーク)、ドナー国が和平プロセスの進展に向けて総額1億4570万ドルの追加支援を決める(アメリカ:7500万ドル、イギリス:770万ドル、フランス:300万ドル、EC:6000万ドル)。 |
| 1995.11. |
NPFL・ULIMO-K・LPCの三者会談が行われる。国内南東部の幹線道を解放し、停戦違反行為の調査委員会を設置する点では合意をみる。 |
| 1995.11. |
NPFLとULIMO-Kが、ボン州、ロファ州間に”緩衝地帯”を設けることで合意する。 |
| 1995.11. |
NPFLのテイラー護衛兵が、テイラーの新居付近での駐留を望んで、モンロヴィア郊外コンゴタウンの住民宅を襲撃する。クロマーの護衛兵も、リベリアメソディスト派教会を同じ目的で襲撃する。 |
| 1995.11. |
バルンガにおけるNPFL内紛の首謀者(通称”叛徒ジャック”)が、テイラー側近の兵士に処刑される。 |
| 1995.11. |
LPCが「民間人に残虐行為をはたらいた自軍兵士7名を軍法会議で死刑に処した」と発表する。 |
| 1995.11. |
西アフリカ諸国を訪問したガリ国連事務総長が、ECOMOG資金不足への「重大な関心」を表明する。 |
| 1995.11. |
国連安保理がガリ事務総長の要請により、1月末までにUNOMIL人員を160に増員することを決める。 |
| 1995.11. |
翌年8月の総選挙をめざしてRAPとNPPの二政党が登録され、NPP党首のテイラーが大統領選への出馬を表明する。 |
| 1995.11. |
UNHCRの監督下で、ギニア国内のリベリア難民約500名が帰還する。 |
| 1995.11. |
ブキャナン市でコレラ感染者350名(うち23名以上が死亡)が確認され、EUの医療援助(総額91万7000ドル)による接種キャンペーンが開始される。人口が通常の倍に膨張した首都モンロヴィアにも、コレラ撲滅資金(総額20万エキュ)の提供が約束される。 |
| 1995.11. |
モンロヴィア市内の小売り承認数千名が、自由小売り行為の禁止に抗議してデモを行う。 |
| 1995.11.08 |
モンロヴィア市内の教職員が、給与支払いの遅滞などに抗議してストライキを決行する。 |
| 1995.12. |
UNOMIL指揮官が、オパンデ少将(Daniel OPANDE)からタラー少将(Mahmud TALAH)に交代する。 |
| 1995.12. |
ECOMOGとUNOMILが武装解除の促進にむけ、バルンガをはじめとする国内各地に平和維持活動の拠点設置をはじめる。 |
| 1995.12. |
ECOMOGと国内武装各派が、武装解除の正式開始日を1月15日とすることで合意する。 |
| 1995.12. |
ULIMO-J兵士が、タブマンバーグ市でECOMOGの武器弾薬を略奪する。 |
| 1995.12. |
国内南東部でエボラ熱の発症例が確認され、WHOとパストゥール研究所が調査を開始する。 |
| 1995.12. |
黄熱病感染者が、11月以降356名(うち死者9名)に達する(国連発表)。 |
| 1995.12.01 |
NPFL・ULIMO-K間の緩衝地帯がボン州バラトゥアからロファ州ガトロタまで及んだことが確認される(LNTG発表)。 |
| 1995.12.27 |
NPFLが「1月15日までに武装解除を行う」と発表する。 |
| 1995.12.28〜31 |
ULIMO-J・ULIMO-K・ECOMOG三者間の戦闘が激化し、ULIMO-Jがボン鉱山付近でECOMOG兵士約130名を捕虜にする。 |
| 1996.01. |
ULIMO-Jがロバーツポート市で一般住民を虐殺する。ECOMOGは、避難住民約400名を、モンロヴィアまで船で護送する。 |
| 1996.01. |
NPFL指名のテイト警察庁長官(Joe TATE)が、複数の新聞編集者を逮捕する。サンカウロCS議長と海外の人権活動グループがこの逮捕に抗議声明を発表する。 |
| 1996.01. |
国連安保理がUNOMIL活動期間を4か月延長する。 |
| 1996.01.03〜07 |
ジョンソンが「自軍兵士に停戦を命じた」と発表する一方、ULIMO-JとECOMOGの戦闘がモンロヴィア方面に拡大、ECOMOG兵士60名以上が死亡したと報じられる。 |
| 1996.01.10 |
ULIMO-Jが、自軍指名の国立リベリア銀行総裁セーキエを更迭する。 |
| 1996.01.12 |
ULIMO-Jが、ECOMOGに自軍捕虜12名の釈放を要求してタブマンバーグ市を封鎖する。 |
| 1996.01.15 |
ECOMOGが、国内13拠点で武装解除の推進活動をはじめる。 |
| 1996.01.16 |
ULIMO-Jがモンロヴィア近郊でECOMOGを攻撃し、北部郊外の難民キャンプでは一般住民も虐殺する。 |
| 1996.01.16 |
シエラレオネで無血クーデタが発生し、国民暫定統治評議会のストラッサー議長がビオ副議長に更迭される。 |
| 1996.01.17 |
アメリカ国連大使がモンロヴィアを訪問する。 |
| 1996.02. |
テイラーが「自国の安全保証を考慮するなら、完全な武装解除には応じられない」と発言する。 |
| 1996.02. |
アメリカのヘリコプター1機が、バルンガのNPFL兵士に奪われる。 |
| 1996.02. |
UNOMILの車両1台が、タブマンバーグ市で襲撃される。 |
| 1996.02. |
LPCとNPFLがサスタウン市で交戦状態に入り、数千名の難民が発生する。 |
| 1996.02. |
MSFのフランス職員4名をふくむ援助活動家7名が、LPC兵士に3日間拘禁される。 |
| 1996.02. |
LPCと思われる武装グループがコートディヴォワール国境を侵犯し、死傷者12名(うちイヴォワール人の死者4名)が発生する。 |
| 1996.02. |
選挙管理委員会委員長が声明で「8月の総選挙実施は政府の資金不足により危ぶまれている」と発言する。テイラーは「総選挙は何としても予定通り実施されねばならない」と発言する。 |
| 1996.02. |
黄熱病対策キャンペーンによる国内ワクチン非接種者が、100万人に達する。 |
| 1996.02.15 |
和平プロセスの遅れに抗議する宗教指導者・政党・女性活動グループが、モンロヴィア市でゼネストを決行する。 |
| 1996.03. |
ブルギナファソ政府が、財政上の理由から自国のECOMOG参加は不可能と発表する。 |
| 1996.03. |
NPFLの告発記事を掲載した新聞社の幹部が、テイト警察庁長官に逮捕される。 |
| 1996.03. |
CSが全武装勢力に対し、国内の防塞撤去を月末までに完了するよう命ずる。 |
| 1996.03.01 |
ULIMO-Jの内紛が表面化し、一部幹部がジョンソンの更迭、カリエー(William KARYEE)の新指導者就任を発表する。 |
| 1996.03.05 |
CSがULIMO-J指導者の更迭発表を受け、ジョンソン地方開発相とクレィ国立リベリア銀行総裁(Ignatius CLAY)を解任し、殺人容疑でジョンソンの拘禁と家宅捜索を指令する。 |
| 1996.03.06 |
ECOMOG軍がモンロヴィアのジョンソン宅を包囲する。 |
| 1996.03.07 |
ジョンソン支持派のULIMO-J兵士がジョンソン拘禁に抗議して、カカタ市でUNOMILメンバー1名をふくむ3名の外国人を一時拘束する。 |
| 1996.03.08 |
ジョンソン支持派のULIMO-J兵士がカカタ市でNPFLと交戦し、UNOMIL駐留メンバー11名が救援機でカカタを脱出する。 |
| 1996.03.29 |
シエラレオネでカバーが新大統領に就任し、民政移管が達成される。 |
| 1996.04. |
ナイジェリア外相が「西側ドナー国の財政支援が継続しないかぎりECOMOGのリベリア撤収は避けられない」と発言する。 |
| 1996.04.06 |
ジョンソンが殺人容疑の逮捕を逃れ、一部兵士とBTC敷地内に立てこもる。 |
| 1996.04.06〜08 |
モンロヴィア騒乱が始まる(ULIMO-J・AFL・LPCなどのクラン系武装勢力が約5万人のクラン系難民とBTC内に集結し、ECOMOGの捕虜やモンロヴィア在住のレバノン人など数百名の人質をとって籠城する。NPFLとULIMO-Kの”CS政府軍”(用語集3-3参照)がBTCを包囲攻撃する間に、ULIMO-J兵士がモンロヴィア市街で暴徒化、1万5000〜2万人の住民がアメリカ大使館敷地内などに避難する。国連事務所・CS政府施設・UNOMIL本部・新聞社・ラジオ局なども略奪の被害をうける。ULIMO-Jのモンロヴィア暴動により、国際救援活動は完全に停止し、モンロヴィア自由港や、これまで唯一機能していたスプリッグズペイン空港が閉鎖される。救援組織・各国大使館の関係者は船でモンロヴィアを脱出し、フリータウンに避難する)。 |
| 1996.04.09 |
モンロヴィア騒乱をめぐる内戦各派の24時間休戦合意が成立し、ECOMOG捕虜数名がBTCから解放される。 |
| 1996.04.12 |
二度目の停戦合意が発表されるが、市街では暴徒による略奪がつづく。テイラーはジョンソンに対し、UNOMIL本部もしくはアメリカ大使館への投降を呼びかける。 |
| 1996.04.15 |
NPFLとULIMO-Kの”CS政府軍”がBTCへの砲撃を再開する。 |
| 1996.04.15 |
アメリカが、自国軍のモンロヴィアへ威力を1200から5000に増強すると発表する。 |
| 1996.04.17 |
アメリカ軍が9日からヘリコプターによる救出活動を開始し、アメリカ大使館に避難していた1933名の在留外国人(うちアメリカ人341名)をフリータウンへ緊急護送する。 |
| 1996.04.17 |
ガーナ政府代表団がモンロヴィアを訪れ、首都の騒乱問題でテイラーと会談する。 |
| 1996.04.19 |
国連・ECOWAS・アメリカ政府の仲介により、三度目のモンロヴィア停戦合意がなされる。 |
| 1996.04.20 |
BTCの人質のうち、78名(レバノン人75名、パキスタン人3名)が解放される。 |
| 1996.04.21 |
BTCの人質(大半が西アフリカ諸国の民間人)が、さらに203名解放される。 |
| 1996.04.28 |
大統領官邸付近で、NPFLとULIMO-Jの間に激しい銃撃戦が展開する。 |
| 1996.04.28 |
BTC周辺で砲撃がはじまる。 |
| 1996.04.30 |
BTC周辺で、ふたたび砲撃がおきる。 |
| 1996.04.30 |
アフリカ担当米国務次官補がモンロヴィアを訪問し、ジョンソンと会談する。国務次官補の滞在中、所属不明の兵士5名がアメリカ大使館敷地内への攻撃をはかり、アメリカ海軍兵士に射殺される。 |
| 1996.05. |
ナイジェリア政府が、ECOMOG早期撤収の憶測を公式に否定する。 |
| 1996.05. |
ガーナの国会議員数名が、7月までにリベリア和平プロセスが進展しない場合のECOMOG撤収を主張する。 |
| 1996.05. |
国連リベリア特使が「ダイアモンドと木材の利権をねらってリベリアに武器輸出をしている国がヨーロッパに存在する」と発言する。 |
| 1996.05. |
NPFLが、LPCからブキャナン市とズウェドル市を奪還したほか、ULIMO-Kからはボン鉱山を一時奪還する。 |
| 1996.05. |
NPFL兵士がギニア国境を侵犯し、同国内で一般住民2名を殺害する(ギニア通信社発表)。 |
| 1996.05.01 |
ペインズウェル市のNPFL拠点で戦闘が激化し、数千人の住民が難民化する。 |
| 1996.05.01 |
アメリカの軍艦3席がリベリア沖合に配備される。 |
| 1996.05.02 |
アメリカ大使館地区を監視していたアメリカのガンシップ3機が、攻撃目標をモンロヴィア東部郊外に移動させる。 |
| 1996.05.02 |
クロマーが、多数のULIMO-K兵士とともにモンロヴィアを脱出する。 |
| 1996.05.03 |
国連・ECOWAS・アメリカ政府の停戦交渉団が、クラン系武装勢力の指導者と会談するが、テイラーとクロマーはジョンソンの投降を要求して交渉への参加を拒否する。 |
| 1996.05.03 |
ジョンソン、サンカウロCS議長、タンバ・テイラーCSメンバーが、ECOWAS会議出席のため、アメリカの軍用ヘリコプターでモンロヴィアを離れる。 |
| 1996.05.04 |
NPFLがジョンソン不在の隙をつき、クラン系兵士の拠点となっているモンロヴィア市内各地の旧国軍兵舎を急襲する。 |
| 1996.05.05 |
モンロヴィア難民2000〜4000名が、ナイジェリアの貨物船”バルクチャレンジ”号に乗船し、国外脱出をはかる。 |
| 1996.05.05 |
NPFLとULIMO-Jの戦闘がmBTC周辺でふたたび激化する。 |
| 1996.05.05 |
アメリカ大使館敷地内のモンロヴィア難民数百万人が見守るなか、NPFL兵士5名がULIMO-J兵士により公開処刑される。 |
| 1996.05.06 |
テイラーがBBCを通じ、一方的に休戦を発表する。 |
| 1996.05.06 |
バルクチャレンジ号が緊急修理のためサンペドロ港へ寄港するが、コートディヴォワール当局は児童5名と老女1名をのぞく全リベリア難民の入国を拒否する。 |
| 1996.05.07 |
ECOWAS9か国委員会外相会議(於アクラ)。CSメンバー4名は欠席する(テイラーは出席拒否、クロマーはアブジャでアバチャ将軍と会談、ボレィはブリュッセル訪問中、クゥイアー(Oscar QUIAH)はガーナで病気療養中)。ジョンソンがガーナ・ナイジェリアへの亡命を勧められるが、これを拒否する。 |
| 1996.05.14 |
バルクチャレンジ号の漂流難民が報道を通じて国際社会の関心を集めたため、ガーナ・タコラディ港で同号の入港が認められる。 |
| 1996.05.17 |
テイラーが、CSメンバーとして、船によるリベリア難民の国外脱出を禁止する。 |
| 1996.05.19 |
ECOMOGが、モンロヴィア市内の主要拠点奪還をはかる。 |
| 1996.05.26 |
CSが”政府軍”の全兵士に対し、モンロヴィア市内からの撤収を命ずる。 |
| 1996.05.29 |
ECOMOGが、モンロヴィア市内を完全に制圧したと発表する。 |
| 1996.05.31 |
国連安保理で、UNOMIL活動期間が3か月延長される。 |
| 1996.06. |
ULIMO-Kと思われる武装グループがギニア国境を侵犯し、同国国境部の村落で一般住民十数名に重傷を負わせる(ギニア政府発表)。 |
| 1996.06. |
ULIMO-KとULIMO-Jの戦闘がボミ州とグランドケイプマウント州で激化し、地域住民約8000名がモンロヴィア方面へ避難する。 |
| 1996.06. |
マラリア、呼吸器疾患、下痢が流行するロファ州に、WFPが救援食糧380トンを輸送する。 |
| 1996.06. |
CDFを名のる新たな武装勢力が、タブマンバーグ市周辺でULIMO-Jと交戦状態に入る(現地情報筋)。 |
| 1996.06. |
UNOMILがモンロヴィア市内の停戦監視活動をはじめる。 |
| 1996.06. |
騒乱後のモンロヴィア市内で、食料品価格が約2倍、ガソリン価格が約6倍に上昇する。 |
| 1996.06. |
CSが国境地域の担当官に対し、モンロヴィア騒乱による略奪品流出の監視強化を命ずる。 |
| 1996.06. |
ECOMOGが、武装グループからこの1か月間にライフル1万500丁以上、手榴弾168個、ピストルとマシンガン各数十丁、ロケット手榴弾十個を押収したと発表する。 |
| 1996.06. |
アフリカ担当米国務次官補が、内戦各派による国内天然資源(ダイアモンド・金・鉄・ゴム・木材)不法輸出の合計試算額を発表する。「テイラーは年間あたり7500万ドルを手にすることができた」との発言を、テイラー本人は否定する。 |
| 1996.06. |
ナイジェリア外相が、ECOWAS9か国委員会による7月のアブジャ調停会議案を発表する。 |
| 1996.06.08 |
ガーナ政府代表団がリベリアを訪問する。 |
| 1996.06.13 |
外来商船がモンロヴィアへの入港を再開する。 |
| 1996.06.13 |
BTCで4月以来籠城を続けていたクラン系兵士約400名が、ECOMOGに投降する。 |
| 1996.06.18 |
スプリッグズペイン空港が、機能を回復する。 |
| 1996.06.18 |
モンロヴィア難民約450名を乗せた船が、3週間の航海の末にモンロヴィア自由港へ帰還する。 |
| 1996.07. |
ULIMO-KとULIMO-Jが、ボミ州・グランドケイプマウント州での人道的援助を円滑にする目的で、停戦協定をむすぶ。 |
| 1996.07. |
ULIMO-Jが、新勢力CDFによる戦闘行為を非難する。 |
| 1996.07. |
モンロヴィア騒乱の渦中でULIMO-J兵士に解放されていたジュルエ中将らクーデタ未遂のAFL将校7名が、CSから正式な特赦を受ける。 |
| 1996.07. |
ULIMO-Kが海外援助物資の流用をねらい、劣悪な状態にある難民数百名を収容させていた難民キャンプが、モンロヴィア北方で発見される(MSF発表)。 |
| 1996.07. |
WFPが、モンロヴィア騒乱以後の略奪で国内の食糧救援活動が減退しつつあると発表する。 |
| 1996.07. |
コートディヴォワール政府が、リベリア国境地域を”軍事作戦地域”に設定する。 |
| 1996.07. |
NPFL指名のLNTG外相が、リベリアの内戦当事者という理由からアメリカと当局に入国を拒否される。 |
| 1996.07. |
NPFLが、LCNラジオ局(用語集3-3参照)を開設する。 |
| 1996.07.06 |
国内西部におけるULIMO-JとULIMO-Kの停戦が発効する。 |
| 1996.07.08 |
モンロヴィア市内の銀行が営業を再開するが、一般住民が預金引き下ろしに殺到したため、引き出し額と営業時間い制限がもうけられる(国立リベリア銀行はいまだ業務を再開しない)。 |
| 1996.07.12 |
CSがモンロヴィア騒乱後初の会合を開き、武装解除の完了期日を年末に設定する。 |
| 1996.07.17 |
ガーナ政府代表団が、国連の援助機関代表者と会談する。 |
| 1996.07.26〜27 |
ECOWAS首脳会議(於アブジャ)。和平プロセスを乱す武装勢力指導者への制裁について全16か国の首脳が合意する。ULIMO-J代表のジョンソンは欠席する。 |
| 1996.08. |
ECOMOG総司令官が、マル(Victor MALU)に交代する。 |
| 1996.08. |
テイラーが、NPFLの動員解除を9月末までに完了させると宣言する。クロマーもULIMO-K兵士が武装解除を行うための国内24地点を指定する。 |
| 1996.08. |
NPFLとULIMO-Kが、自軍検問所の撤去をはじめる。 |
| 1996.08. |
テイラーが、NPFL掌握地域におけるECOMOGの自由通行を約束するとともに、自軍兵士500名の武装解除、3000名の動員解除、国連所有物の返却などを幹部に命ずる。 |
| 1996.08. |
管制塔とターミナルが内戦勃発以来破壊されているロバーツフィールド国際空港機能再開にむけ、テイラーが空港の浄化キャンペーンを発表する。 |
| 1996.08. |
NPFLが、自軍指名のLNTG閣僚2名を更迭する。 |
| 1996.08.07 |
モンロヴィア市内で、日刊紙の発行が再開する。 |
| 1996.08.11 |
モンロヴィア市でULIMO-J兵士による銃撃事件が発生する。 |
| 1996.08.17〜18 |
ECOWAS9か国委員会首脳会議(於アブジャ)。全武装勢力の代表が出席する。 |
| 1996.08.18 |
アブジャII合意(15)。I. 動員解除・武装解除の完了期日を翌年1月末日とし、大統領・国民議会選挙を5月30日、新政府樹立を6月15日にする合意、II. 和平プロセスを侵害した軍事指導者は被選挙権を失うという罰則規定の合意、III. 総選挙への出馬予定者は、2月末日までにCSメンバーを辞任するという合意、IV. ECOMOGが総選挙6か月後までリベリアに駐留するという合意、V. サンカウロCS議長を解任し、ペリィ夫人(Ruth PERRY)を新議長とする合意、VI. ジョンソンを地方開発相に復職させる合意、VII. ECOMOGを兵力1万8000まで増強する合意、などが達成される。 |
| 1996.08.31 |
国連安保理が、UNOMILの人員増加とともに、活動期間の3か月延長を決める。 |
| 1996.09. |
ジョンソンが、ULIMO-Kとの停戦に合意し、ボミ州・グランドケイプマウント州の自軍兵士に戦闘休止を命ずる。 |
| 1996.09. |
ECOMOGがグランドケイプマウント州に進軍し、救援物資の調達経路を確保する。 |
| 1996.09. |
シンジェ村虐殺事件(WFPの救援物資が届いたばかりのグランドケイプマウント州シンジェ村がULIMO系の兵士に襲撃・略奪され、女性や児童を中心とする一般住民25〜70名が虐殺される)。 |
| 1996.09. |
先年10月の国連リベリア会議で決定した西側諸国の援助金が、リベリア政府に届きはじめる。 |
| 1996.09. |
ULIMOへのジョンソンとクレィが、それぞれ運輸相、国立リベリア銀行総裁としてLNTGに復帰する。 |
| 1996.09. |
NPFLが、自軍指名のLNTG法相を更迭する。 |
| 1996.09.03 |
ペリィ夫人のCS新議長就任式が行われる(アフリカ初の女性国家元首の誕生)。 |
| 1996.09.03 |
テイラーがリビアを訪問し、カダフィ体制発足27周年の記念式典に参加する。 |
| 1996.09.07 |
ヴォインジャマ市内のULIMO-K兵士が武装解除を実行し、ECOMOGに大量の武器を供出する。 |
| 1996.09.09 |
タブマンバーグ市に8か月ぶりの援助物資がとどく。 |
| 1996.09.17 |
国内南東部でECOMOGやUNOMILと協力して停戦監視活動をしていたNPFL将校2名を、LPC兵士が拘禁する。 |
| 1996.09.18 |
LPCに拘禁されていたNPFL将校2名が解放され、ボレィが公式に陳謝する。 |
| 1996.09.31 |
モンロヴィアのCS本部で銃撃戦が生じ、数十名が死亡する。 |
| 1996.10. |
NPFLとULIMO-Kが、バルンガ・ヴォインジャマ間の幹線道路の解放を発表する。 |
| 1996.10. |
NPFLをはじめとする約1000名の武装兵士がバルンガ市近郊で救援物資を略奪したため、救援諸団体が国内中央部へのトラック輸送を中止する。 |
| 1996.10. |
ECOMOGがグリーンヴィル市内に進軍し、自軍兵力800を駐留させる。 |
| 1996.10. |
国連安保理がシンジェ村虐殺事件などを対象に、アブジャII合意の罰則規定の適用を検討する。 |
| 1996.10. |
ペリィCS議長がアメリカに入国を許可され、国連関係者と会談する。 |
| 1996.10. |
ECOMOGが、EUの援助いよるロバーツフィールド国際空港の復旧計画を発表する(LCNラジオ報道)。 |
| 1996.10.07 |
タブマンバーグ、グランドケイプマウント方面の幹線防塞を撤去しないULIMO-Jに対し、ECOMOGが2日間の最後通牒を宣告する。 |
| 1996.10.31 |
モンロヴィア官邸内でテイラー暗殺未遂事件が発生し、テイラーのボディガード1名をふくむ3名が死亡する。テイラーは事件直後にラジオで声明を発表し、事件の首謀者をLPC代表ボレィ、ULIMO-J代表ジョンソン、クラン族出身のクィアーCSメンバーと断定する。LPC兵士など容疑者20名が、ECOMOGに逮捕される。 |
| 1996.11. |
ECOWAS9か国委員会参謀長・外相会議(於モンロヴィア)。アブジャII合意の罰則規定の適用が検討される。 |
| 1996.11. |
LCNラジオが、テイラー暗殺に関するさまざまな疑惑情報を連日放送する。 |
| 1996.11. |
新たな選挙管理委員会委員長にスコットLNTG法相(Gloria SCOTT)が指名される。 |
| 1996.11. |
アメリカとEUが、リベリア内戦にかかわる入国禁止者29名のリストを共同で作成する。同リストには、リベリア全武装勢力の指導者とともに元CS議長サンカウロの名があると報じられる。 |
| 1996.11. |
新政党FDP、RAP、NPRが、選挙管理委員会に登録される。 |
| 1996.11.11 |
クロマーが、自軍ULIMO-Kを新政党ALCOPに組織変革すると発表する。 |
| 1996.11.18 |
ULIMO-K兵士が、リベリア領内に逃亡してきたRUF兵士約200名を逮捕する。 |
| 1996.11.19 |
暗殺未遂事件は官邸に来なくなったテイラーが「自分の不在時にCSが決定した事項はいずれも無効である」と宣言する。 |
| 1996.11.21 |
ECOMOGが、国内11か所の武装解除拠点を発表する。 |
| 1996.11.22 |
アブジャII合意にもとづく武装解除期間がはじまるが、初日の武装解除者は459名にとどまる(国連発表)。 |
| 1996.11.23 |
ECOMOGが、NPFL・LPC間の緩衝地帯をタペタ市に設置すると発表する。 |
| 1996.11.25 |
オランダ政府が、リベリア武装解除に300万ドルの追加支援を決定する。 |
| 1996.11.25 |
LPC兵士が、国内南東部ナマポタウンで住民400名を虐殺する(LCNラジオ報道)。 |
| 1996.11.30 |
UNOMIL活動期間が、4か月延長される。 |
| 1996.12. |
国連の選挙監視専門家チーム3名がリベリアに到着、総選挙の支援活動をはじめる。 |
| 1996.12. |
国連がリベリアの緊急援助・国家再建に向け、ドナー国に9200万ドルの追加支援を求める。 |
| 1996.12. |
クロマーが北京を訪問する。 |
| 1996.12.02 |
国内の武装解除者数が、2236名(うち児童518名)に達する(国連発表)。 |
| 1996.12.09 |
ECOMOGが、ULIMO-K・ULIMO-J間の緩衝地帯をロファブリッジに設置すると発表する。 |
| 1996.12.11 |
NPFL将校2名がタペタ方面・ズウェドル方面の幹線上でECOMOGを攻撃した事件について、テイラーがLCNラジオで陳謝する。 |
| 1996.12.12 |
国内の武装解除者数が、4100名(うち児童800名)に達する。 |
| 1997.01. |
内戦各派の代表からなる「武装解除・動員解除国民委員会」が、国内武装兵士の総数を2万3416名と推計し、これまで一般的に流布してきた数値6万名(1995年UNOMIL推計)を修正する。 |
| 1997.01. |
モンロヴィア・タブマンバーグ間の幹線で、所属不明の武装兵士が民間人9名を殺害する。 |
| 1997.01. |
文民系の政党代表者(ただしLPC系のNPFLふくむ)が、大統領選の統一候補擁立に向けて7党を結成する。 |
| 1997.01.01 |
国内の武装解除者数が、6000名に達する。 |
| 1997.01.015 |
国内の武装解除者数が、7000名(うち児童2000名)に達する。 |
| 1997.01.28 |
国内の武装解除者数が、1万2500名に達する。 |
| 1997.01.28 |
テイラーが、バルンガ市のメソディスト系教会でハワード(Jewel HOWARD)と再婚する。 |
| 1997.01.29 |
国内の武装解除者数が、1万3799名(うち児童3149名、女性101名)に達する。 |
| 1997.01.31 |
武装解除の完了期日となるが、ECOMOGがさらに一週間の完全猶予を設定する。 |
| 1997.01.31 |
各武装勢力が、正式解散に向かう。 |
| 1997.02. |
ECOWAS外相会議で、リベリア総選挙の具体事項が最終決定する(I. 総選挙は予定通り5月30日に実施される、II. 現行の選挙管理委員会に代えて、中立メンバー7名からなる選挙管理委員会を新設する、III. 中立メンバーの加入により最高裁のスタッフを再編成する、IV. 総選挙では大統領1名、副大統領1名、および下院64名、上院26名からなる二院制国民議会メンバーが選出される、V. 国民議会の議席は比例代表制で配分される、VI. 国外難民を可能なかぎり帰還させたうえで、すべての投票をリベリア国内で実施する)。 |
| 1997.02. |
アブジャII合意にもとづくECOMOGの兵力増強がはじまる(ガーナ500、マリ637、コートディヴォワール90)。 |
| 1997.02. |
テイラーが台湾に”大使”を派遣し、自らも台湾を公式訪問して同国首脳と会談する。ペリィCS議長はリベリアの従来からの国交関係を再確認し、テイラーの外交活動を否認する(ドー政権は台湾を認知していたが、IGNUが93年に台湾と国交を断絶して以来、リベリアは中国との国交を維持してきた)。 |
| 1997.02. |
NPFL指名のブル最高裁長官(James BULL)が”職務不適格”の申し立てを受け、亡命先のアメリカから辞職状を提出する。 |
| 1997.02. |
ハーベルのゴムプランテーションが、合法的な輸出活動を再開する。 |
| 1997.02.01 |
ECOMOGが、武装解除以前の国内の武装兵士総数を3万〜3万5000と算定しながら、このうちすでに71%が解除に応じたものと発表する。 |
| 1997.02.07 |
国内の武装解除者数が、2万名に達し(国連発表)、全兵士の91%が武装解除を終える(ECOMOG推計)。 |
| 1997.02.28 |
大統領選の出馬に向け、テイラー、クロマー、ボレィの3名がCSを離脱する。 |
| 1997.03. |
武装解除の期日がすぎたため、ECOMOGが武器不法所持の捜索に乗りだし、数十名を逮捕する。 |
| 1997.03. |
モンロヴィア市のクロマー宅で大量の武器弾薬が発見され、クロマーほかULIMO-K兵士75名以上が拘留される。テイラー宅、ボレィ宅でも少量の武器が発見される。 |
| 1997.03. |
ヴォインジャマ市のクロマー宅で武器が押収されるが、クロマーが正式に謝罪したため拘留を解かれる。 |
| 1997.03. |
選挙管理委員会・委員長の人選をめぐり、ペリィCS議長とテイラーの間に確執が生じる。 |
| 1997.03. |
7党連合の代表が、大統領選の統一候補として一時ウォーターソン(LAP指名、Cletus WOTORSON)を選出するが、投票手続きに異義が唱えられるなど、最終的には決裂する。 |
| 1997.03.27 |
UNOMIL活動期間が、総選挙予定日後の6月末まで延長される。 |
| 1997.04. |
ECOMOGの兵力が1万に達する(ニジェール500、ブルギナファソ320)。 |
| 1997.04. |
LPPとUPPの離脱により、7党連合が瓦解する。 |
| 1997.04. |
国連リベリア特使が交代する。 |
| 1997.04. |
ニンバ州のNPFL拠点で高射砲やロケット弾などの武器貯蔵所2か所が発見される。テイラーは武器との関与を否定する。 |
| 1997.04.02 |
新選挙管理委員会が発足する。 |
| 1997.04.07 |
UNHCRとコートディヴォワール政府が、リベリア難民の帰還プロセスについて二者間協定をむすぶ。 |
| 1997.04.07 |
人事刷新がなされた最高裁メンバーが、就任宣誓を行う。 |
| 1997.04.07 |
プリンス・ジョンソンが亡命先のらラゴスで「自分はこれからキリスト教の説教師になる」と発表する。 |
| 1997.04.15 |
総選挙の登録政党が11に達する。 |
| 1997.04.30 |
総選挙の登録政党が16に達し、大統領選立候補者が10名に達する。 |
| 1997.05. |
ECOMOGの増強が完了し、兵力1万3000となる。 |
| 1997.05. |
CSが、リベリアのインフラ再建費用を少なくとも7100万ドルと試算する。 |
| 1997.05. |
元NPFL兵士19名がバルンガ市内のモスクに乱入し、クロマー支持のマンディンゴ系住民を襲撃する。 |
| 1997.05.16 |
全政党の代表者をまじえた会議(於アブジャ)で総選挙の日程が討議され、新たに7月案が提示される。 |
| 1997.05.21〜22 |
ECOWAS9か国委員会首脳会議(於アブジャ)。総選挙の日程が7月19日に延期され、新大統領が一次投票で決まれば8月2日、二次の決戦投票で決まれば8月16日に新政府樹立という日程が確認される。 |
| 1997.05.25 |
シエラレオネで軍部クーデタが決行され、カバー大統領がギニアに亡命する。 |
| 1997.05.26 |
ECOMOGがシエラレオネの軍部クーデタを受け、リベリア西部国境線の封鎖を発表する。 |
| 1997.06. |
ガンタ市で、テイラー支持者とクロマー支持者のあいだに紛争が発生する。 |
| 1997.06.16 |
大統領選立候補者12名により、選挙戦が開始される。テイラーとジョンソン=サリフ(Ellen JOHNSON-SIRLEAF)は、ニンバ州で遊説初日をむかえる。 |
| 1997.06.24 |
10日間の選挙者登録期間が始まる。 |
| 1997.07. |
ECOMOGが、テイラー暗殺未遂の容疑でウィオン(Madison WION)ら3名を逮捕する。 |
| 1997.07. |
フランス系NGO組織の支援により、選挙戦の中立的な情報提供をめざうラジオ局”スターラジオ”(用語集3-3参照)が開設する。 |
| 1997.07.19 |
リベリア大統領選・国民議会選の投票がなされる(午前7時〜午後4時)。投票所には午前4時から一般住民の行列ができる。登録選挙者の総数は約70万人、投票率約90%、各国派遣の投票監視団メンバー約500名。モンロヴィア市にて統一集計が行われる。 |
| 1997.07.24 |
選挙結果が発表され、テイラーが圧勝する(テイラー75.3%、ジョンソン=サリフ9.6%)。国民議会選でもNPPが圧勝し、上院26議席中21、下院64議席中49を勝ちとる。 |
| 1997.08.02 |
テイラーが、第22代リベリア共和国大統領の就任宣誓を行う。挙国一致内閣が発足する(リベリア内戦の終結)。 |