III. 仏領西アフリカの記憶


310. カントン長選挙II

 第二次大戦のころ、私はアビジャンにいた[…]PDCI-RDAが創設された後も、私はアビジャンの友人のところにいた。すると同郷の人々が使いをたてて、御しがたい首長に取って代わるべく私が帰郷するよう、私を探しにやってきたのだ[…]そこで私は1958年にこの土地へ帰ってきて、同じ年にカントン長に指名された。この土地を1930年に離れて以来、第二次大戦では兵役をつとめ、動員解除後はアビジャンへ戻っていて、そしてようやくこの土地へ帰ってきたのは58年のことだった[…]私がアビジャンにいた大戦後から、事態はすでに前進をみせはじめていた。ウェザン・クリバリは、1950年に失った代議員任期の更新を賭けた55年の第2回代議員選で、セクー・サノゴに勝ってみごとに任期を更新した。この選挙に際して私はダナネに派遣された。この私が当時の選挙キャンペーンを指揮したのだ。私はアビジャンを離れ、ダナネ地区で選挙キャンペーンをするために戻ってきた。そうしてキャンペーンをした結果、ウェザンの代議員任期はダナネの住民により更新されたのだ[…]そこで私は当局から、カントン長選挙に出馬するには適切な人材とされ、ダナネに送られた。住民の先頭に立った真の民主主義者としてダナネに送られた。そして私は、選挙で他の三人の候補に打ち勝ったのだ[…]御しがたいシェフとはドーのことだ。彼は他人の妻と通じることに恐れをもたない姦夫だった。住民に対する彼の行動もひどいものだった。当時の彼はたえず人々に罰金を科していた。つまり彼は植民者側のカントン長だったのだ[…]私が彼を姦夫というのは、たとえば植民者からの指令を伝えるために訪れた村で、自分の前を美しい女が通りすぎると、彼はその女を連れていって寝てしまったからだ[…]選挙の出馬要請をうけた私は、アビジャン在住のカントン出身者を集めて、私への支持をたのんだ。55年に私がアビジャンからダナネへ戻って代議員選のキャンペーンを行い、ドーを負かしたことを彼らは知っていたから、私ならカントン長選挙にも勝てるものと考えて全員が私の出馬に賛同してくれた[…]私がダナネに戻ると、地元の人々は「あいつがドーに取って代わろうというやつか」とささやいていた。当時のドーにはたいへんな権力があったからだ。彼には金もあればプランテーションもあった。しかも長老だ[…]人々が私に投票してくれたのは、もう植民者のやり方にはうんざりし、ウフエ=ボワニの主張に共鳴したからなのだ。

(Goowasa Alphonse/1994.11.27/ズアン=ウニアン市/フランス語)



語句・注記

PDCI-RDA:308語句参照
御しがたい首長:《chef recalcitrant》といういくぶん文語色のつよい形容は、当時の選挙キャンペーンにおけるRDA側の常套表現だったものと推測される
ドー:203参照
姦夫:203参照

※話者ゴーワサ氏は、先の309におけるロレ・カントン長選挙の当選者本人である。

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