機織り機からパソコンへの道

 

 最近のコンピュータのめざましい発達のおかげで、チベット語をチベット文字で電子化する、ということも夢ではなくなりました。今この時代に「夢ではないんだ」などといったら笑われるかもしれませんが、10年ちょっと前までは、チベット文字といえば、まるで機織り機のような図体の専用タイプライターでどったんばったんと大きな音を立てながら一文字ずつ打ち込むしかなかったのですから、そのころのことを思えば「夢じゃない」という感慨もひとしおです。この機織り機をその見事な職人芸で使いこなしていたのはチベット語の研究者であり、私の母でもある星実千代だったのですが(白水社の『エクスプレス チベット語』のチベット文字は機織り機で打ち込んだものです)、10年ほど前に我が家でもパソコンを導入し、機織り機の時代は終わりを告げました。そうして一台、また一台と導入したパソコンを使って、ほそぼそとチベット語テキストの電子化を進めてきました。

 そして今から5年前の1995年の春、星実千代氏と私は、手に入れて間もないノートパソコンを携えて、知り合いのチベット人家族を訪ねてインドに出かけました。その家には当時86歳になったばかりのおばあちゃんがいました。このおばあちゃんはリンチェン・ドマ・タリンさんといって、自伝も書いている有名な人です。この自伝は『チベットの娘』(三浦順子訳 中公文庫)という題で日本語にも訳されているので、チベットに興味のある人なら、ご存じの方も多いと思います。私たちはこのおばあちゃんに、昔のチベットの年中行事についてお話ししてくれないかとお願いしました。さいわい快く引き受けてくれましたので、翌日から2週間余りの間、毎朝3時間、おばあちゃんを2台のノートパソコンで囲むようにして、聞き書きの作業をおこないました。おばあちゃんが毎月の年中行事についていろいろな話をし、それを星実千代氏がチベット文字でパソコンに打ち込み、私は発音記号で打ち込む、というという集中力を要する作業でした。おばあちゃんはさぞつらかったことだろうと思うのですが、仕事が終わった後で3人の中で一番元気だったのはおばあちゃんだったというのも楽しい思い出です。こうして12か月の年中行事の聞き取りと編集と電子化を同時におこなうことができたのですが、こんなことは機織り機の時代には想像を絶することだったでしょうね。

 今の私のメインの仕事はチベット語辞典の編纂ですが、コンピュータというのは実に辞典編纂に向いているものだと思います。こちらのアイディアをたちどころに実現してみせてくれます。ただ、何でもよくこなしてくれてほんとうにありがたいのですが、使う側にいいアイディアがなければ何にもなりません。便利になった分、次々と新しいアイディアを出すことが要求されるので(誰かに要求されるわけではないんですが)、それがしんどいところでもあります。

 
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