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チベット族の歴史学者ゲンドゥンチュンペー略伝


段落に番号を振り,各段落の冒頭の文章の日本語訳を載せました

◆目次

チベット族の歴史学者ゲンドゥンチュンペー略伝(本文)

  中国社会科学院民族研究所 リイゥイ (チベット語訳 クンガ)
  1. ゲンドゥンチュンペー(1905-1951)は我が国のチベット族の中の愛国主義者で
  2. 彼の全生涯は並大抵のものではなく,旧弊に反旗を翻す性格を
  3. 1950年11月,革命の時代の影響のもと,摂政タクタは退陣せざるを得ず,
  4. 三年間の獄中生活のなか,彼は健康を害したけれども,政治思想の面では
  5. 筆者はゲンドゥンチュンペーからチベット語を学び,ラサでおよそ一年のあいだ親交を持ち,
  6. チベットが平和解放された後,敬愛する先生ともう一度お会いしたいと望んだが,
  7. ゲンドゥンチュンペーの最初の名前はアラドルタクといい,1905年,アムド,レプコンの
  8. その年,彼はレプコン寺に入門し,ゲンドゥンチュンペーと名付けられた。
  9. チベット仏教では仏教哲学の論争をすることを非常に重要視して
  10. 論争の才能だけでなく,彼の記憶力も人々を驚かせるほどで
  11. 彼はドルタク化身の転生者として認定されたけれども,ドルタク化身のラプランは非常に貧しく
  12. 当時彼は二十五歳になり,他の僧侶らと同様にラサに行って修行をしたいと考えていた。
  13. 一度,ミニャキョルプンが彼と仏教哲学の論争をしたいと申し出た。
  14. ゲンドゥンチュンペーがデプン寺にいたとき,他の僧侶たちと同じように経典の勉強には関心を持たず,
  15. 1934年の夏,ラフラというインドの学者がラサに,
  16. ゲンドゥンチュンペーがラサにいるあいだの状況は,一方では尊敬を受け,一方では嫉妬を
  17. シェーラプギャツォはダライラマ十三世の咎め立てを避けるため内地へ逃亡
  18. ゲンドゥンとラフラはロカを経由してインドへ向かった
  19. ゲンドゥンチュンペーはインドに到着すると,自分自身の目で見た新しいものを
  20. 彼はシッキム滞在中にキリスト教徒の女性と知り合い,その女性は彼を
  21. 彼はバラナシの唯識学派の学校で地域の人々の自然なことばを習得し,
  22. 有名な学者たちとの交流をおこなったので,ゲンドゥンチュンペーの知識はより一層広くなり,
  23. 十一年間という歳月をインドで過ごし,インドとネパールの聖地で
  24. 彼はセイロンに赴き,その地の人々の尊敬を集め,
  25. セイロンからインドへ戻るとすぐチベットへ帰るつもりであったが,アメリカに招待され
  26. 彼がインドに着いたころはインド独立運動が最高潮に達しており,
  27. 彼はチベットの僧侶たちの欲望の拠り所についての知識をもとに
  28. ゲンドゥンチュンペーがインドに滞在していた最後の一ヶ月はダージリンとカリンポンで
  29. 彼はインド滞在中に得た良き友人が何人かいる。ルーリッヒはロシアの
  30. ゲンドゥンはモン地方のタワンとツォナを経由してチベットに戻った。ツォナゾンに着くとすぐに
  31. 1947年はチベットの歴史上,かなり不安定な年で,その年の春,レティン事件が
  32. 当時,共産党の工作活動を展開する者がいるとの情報がラサに広まり,
  33. 内閣は彼と共産党の関係についての情報は何も入手できなかったが,
  34. チベットの政治権力者たちが彼にそれほどの嫌疑と危害を与えなければならなかった理由は

補記「チベット族の歴史学者ゲンドゥンチュンペー略伝」を読んで

  中国社会科学院民族研究所 li'u ya'o han(彝族) (チベット語訳 クンガ)
  1. 我が国の民族学であり,チベット学者,中国社会科学院民族研究所のリイゥイの論文
  2. ゲンドゥンチュンペーはチベット族であり,私は彝族なので,
  3. この論文が発表されるやいなや,私は彝族の若者たちに

◆テキストについて

date 1984
type 伝記
author li yi'u dbyi
(?中国社会科学院民族研究所の人)
paper title bod rigs kyi lo rgyus mkhas can dge 'dun chos 'phel gyi lo rgyus mdor bsdus/
(チベット族の歴史学者ゲンドゥンチュンペー略伝)
journal title bod ljongs zhib 'jug/
(西藏研究 藏文版)
journal volume 4
page 19-38
publisher 西藏研究出版部
comment 原文は漢語と思われる。翻訳はkun dga'(クンガ)