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著者略伝


分からないところに?をしてあります。誰か助けて!翻訳の文責:星泉 2004.4.2

◆本文

大学者ゲンドゥンチュンペーは,チベット暦第十五ラプチュンの癸卯の年,1903年に豊かな家系の,アムドはレプコン,ショホンシェ,またはセルマジョンというところに密教行者の家系のガクチュンドルジ,またの名をギェーボ・ラマというニンマ派の密教行者の父と,ウェンマ(ペマ)という母の息子として生まれた。この大学者の出生の時期については,伝記を書いた人の間でも一致した見解がないが,先生ご自身の著作『世界知識行 黄金の平原[gser gyi thang ma]?』の中に,ご自身が三十二歳になったのは第十六ラプチュンの甲戌の年,1934年であったと名言していることから,これで疑念の網は全て断ち切られ,癸卯ということになる。しかし,インドで出版された『黄金の平原?』の縮刷版に,サムドン活仏が第十五ラプチュンの壬寅の年,1902年であることが明らかになったと書いていることについては,彼が誤解した原因は分からないけれども,もし生まれた月日との不一致があったとすると?[gal te 'khrungs pa' zla tshes dang mi 'grig pa byung yod na],癸卯の年に両親がラサから戻って来たとき,レプコンに到着する前にツォンカキャリで,チベット暦八月にお生まれになり,名前はリンジンナムギェーと名付けられ,後にアラ・リクロと呼ばれ,ドルタクの化身であるとも言われた。生まれて四年目に読み書きを学び,少し教わるだけで苦もなく覚えた。七歳のとき,ヤマ・タシキルに入門し,父に文法と正書法,修辞学を聞きならった。九歳のときパンデン・ラマに師事し,詩の作品が美的水準に達するまで習熟した?[snyan ngag dper brjod mdzad pa snyan pa'i tshad du 'dzin]。十四歳のころ,カギャ?[kha brgya]の埋蔵師のもとで学び[thos bsam mdzad],シャマル・パンディタの寺,ディツァ寺で論理学の経典などについて三,四年のあいだ修養を積み,戒名をゲンドゥンチュンペーと名付けられた。その後ラプラン・タシキルで(仏教基礎学,精神認証学,証因論理学,波羅密多学の初段階まで)修めた。そのころ,アラ・ディツァとして,秀才の名声が各方面に広まった。二十五歳のときウー地方に赴いた。パンデン・デプン大僧院のゴマン学堂のルンブム学寮に入門した。ゲシェ・シェーラプギャツォは全学堂の指導者であったが,ご自身の先生としても師事した。問答場に入ると,その名声はあまねく広まることとなった。しかしながらデプンには七年ほどしかおらず,三十二歳になった1934年,甲戌の年,インドのパンディタ・ラーフラという方の招きでインドに行くことを決めた。出発する前に,ペンボ,レティンなど,カダム派のゲシェの寺院をいくつか巡拝した。インドに向かう道中ではかなり多くの視察もおこない,『世界知識行 黄金の平原?』の編纂を開始された。それと同時にパンディタ・ラーフラに同行していたので,同時にサンスクリットの学習も開始された。マガダ?,スリランカ,インドの各地に滞在中,1938年,戊寅の年,パンディタと他のインド人二人とともにサキャ,シャルなどへ二度目の訪問をし,(ラサに)戻った。合計して十二年ほどインドに滞在する間に,聞き,思考し,習うことに常に励み,話し,議論し,書くという学問の仕事に集中された結果である全ての著作が残っている。その後,チベットに戻って,白史を執筆されたが,濡れ衣の汚名を着せられるという不幸のため,三年のあいだ投獄生活を送らざるを得なかった。そうしたなか,インドから帰国して六年ほどのあいだ,親しく教えを受ける機会が少なからずあった。 仏教の教えと衆生の利益になるお仕事を凡夫の想像をはるかに超えるほどなさり,その最期は御年四十九歳におなりになった第十六ラプチュンの辛卯(西暦1951年)チベット暦八月十四日の晩,ラサ時間の四時頃,ラサ市のガルシャーの二階でお亡くなりになった。先生が亡くなった日付や時間はまた,私には物忘れをなくす真言はないので,今その日付と時間を思い出すのは難しいけれども,当時の未整理の書類の断片を地区委員会が保管していたのが戻ってきて,その中から見つかったメモにはっきりと記されていた。さらに付け加えると,キルティ活仏が編纂した(伝記の)中に,カリンポンの新聞(チベットミラー)にタルチンがラジオを通じて八月十五日に知らせを聞いたと書かれているとあり,これが誰もが信頼できる証拠となったところで簡略な伝記とする。

ホルカン・ソナムペンバー
1989年6月1日執筆

◆テキストについて

date 1990[初版], 1994[第2版]
type 伝記
author hor khang bsod nams dpal 'bar
(ホルカン・ソナムペンバー)
paper title mdzad pa po'i lo rgyus mdor bsdus/
(著者略伝)
book title dge 'dun chos 'phel gyi gsung rtsom/ deb dang po/
(ゲンドゥンチュンペー著作集第一巻)
page 1-4
editor hor khang bsod nams dpal 'bar
(ホルカン・ソナムペンバー)
publisher bod ljongs bod yig dpe rnying dpe skurng khang
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