そもそもランツァ文字をもとにしたというのが全くもって誤りである。ランツァは後に新しくできた文字なのである。さらに,古代のアーリア人たちや仏陀の御代,マウリヤ朝の時代,グプタ朝などの全ての時代において,マガダ字体は,かなり様々な形のものが順に現れ,それが各王の石碑や銅文書?[zangs kyi glegs bu]などに今もそのまま見ることができるからである。
したがって,トンミが基礎にしたインドの文字が何だったかと言うと, 詩聖カーリダーサやクマーラグプタ王(,スーリヤヴァルマン王?[rgyal po nyi ma'i go cha])などの,いずれかの時代の文字であると時期を定めることもできるのは,当時の石碑や銅文書を,インドのパンディタたちにさえ読むことができなかったのを,インドの文字を一つも知らないチベット人にも半分ほどは読むことができた(という事実がある)からである。
ウメーはウチェンを速書きすることにより自然にできたものであり,我がチベットの古文書の字体は,下の表に記されている字体に似ている(→原文には「クマーラグプタの銅文書」として,そこに記されたチベット文字によく似た文字が提示されている)。ブータンなどでは,それと形が非常によく似た文字が今も使われている。 正統な埋蔵経典には,ダーキニーの秘密文字と言われるものがたくさんあるが,これもたいていは古代の字体ばかりであり,また埋蔵句点もまた,古文書には句点として上下二つの点が常に用いられる習慣があったためである。
ああ,有雪国(カワチェン)に知られていない
このような話(カタム)を書いても
能力(カタプ)も外見も良くないので
私の言葉(カ)に耳を傾ける人が現れるはずもない
date | 1938.1.2 |
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type | 論文 |
author | dge 'dun chos 'phel (ゲンドゥンチュンペー) |
paper title | dbu can las dbu med rang byung du grub pa/ (ウチェンからウメーは自然に生まれたものである) |
journal title | yul phyogs so so'i gsar 'gyur me long/ (The Tibetan Newspaper Yulchog Sosoe Sangyur Melong)=Tibet Mirror |
journal volume | IXの1〜12のどれか |
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editor | Tharchin (タルチン) |
publisher | Tibet Mirror Press |
comment | The Tibet Journal 3-1, 1983 pp.56-57にK.Dhondupによる英訳と原文の写真が掲載されている。これを見て翻訳。星が持っているマイクロフィルムには残念ながら欠。 |