『チベット民謡集( I )』

チベットの歌合戦:ツィッギャー

文:星実千代

 

ツィッギャーとは掛け合いの仕方歌の内容
  歌の作者歌の形式

<ツィッギャーとは>

 ツィッギャー tshig rgyag とは、もともと農耕儀礼にまつわる祭りのときに集団で行われた歌合戦(歌の掛け合い)の習俗のことである。この習俗はかつては中央チベットをはじめ、東部のカム khams、アムド amdo などチベット各地に見られたというが、今ではラサなどの都市部ではほとんど行われず、仕事の合間などに冗談や軽口でやり合うときに歌う程度であるという。テンバ師の幼少の頃、出身地のキナー村では村の最も重要な祭りであるチューコー chos skor(収穫予祝)、トクロ・ロサー thog lo'i lo gsar()の時には歌合戦が行われたそうである。

 祭りが近づくと、村人は歌合戦に備えて対戦する組ごとに集まる。うろ覚えの歌詞を確かめ合い、どの歌にどの歌で応酬するか掛け合いの練習をする。組ごとに歌に精通した歌頭シェープン gzhas dpon がいて、指導に当たる。誰もが相当な数の歌を覚えていて、数百から千余りの歌を歌える者も少なくないというが、歌合戦を前にさらにこうした訓練を積む。

 祭りの当日、村人たちは儀礼的な行事を済ませると、夕方晴れ着を着て、酒や茶、食べ物などを携え、畑の中の作業用の広場とか柳の園林など予め決められた場所に三々五々集まってくる。広場の一隅で数人が手をつないで輪を作り、そのうちの誰か一人が歌い踊り出せば歌合戦の開始である。人が増えるにつれて、歌と踊りの輪も大きくなっていく。やがて老若男女すべてが歌合戦に参加する。見物するのはまだ歌の歌えない幼い子供たちと歌合戦に疲れて休憩をとる人だけである。十歳前後の、歌をいくらか知っている子供たちは、大人たちの側で別に輪を作って歌合戦の真似ごとをしたりする。

 歌い手たちは、地区別、時には男女別に、敵と味方の二つの組に分かれ、お互いに向き合うような位置を占め、全員が手をつないで一つの大きな輪を作る。誰かが最初の一節を歌うと、味方が全員で二節目以降を合唱する。この間、敵も味方も足でリズムを取るように踊り続ける。次に相手側の一人が返歌の一節を歌い、その味方が二節目以降を合唱する。こうして歌の掛け合いわ延々と続ける。寝食を交替でとりながら、一昼夜、時には四昼夜も通して、持ち歌がなくなるまで歌合戦を続ける。返す歌のなくなったほうが負けである。勝った方には名誉の印として白い礼布のカター kha btags が贈られる。多くの場合、なかなか勝負がつかず、疲労困憊の末、双方の歌頭の首に同時にカターが掛けられてお開きになるという。

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<掛け合いの仕方>

 掛け合いの歌には曲や踊りがついているが、歌詞や曲の美しさ、歌唱力などはあまり問題にされず、歌詞で相手方をやり込めることに最大の関心が払われる。ツィッギャーはその語義(tshig 言葉+rgyag 闘い)どおり、まさに「言葉の闘い」である。

 歌の応酬は「桃」には「桃」でというように、同じ題材を歌った歌で行うのが望ましいが、これだけでは歌の数に限りがあるので掛け合いが長続きしない。題材は異なっていても内容的にやり合えれば次善である。それもできなければとにかく歌を歌い返すことである。掛け合いにおける最低限の約束事は、ツィッギャーの形式に合った歌、即ち六音節四行の形式の歌を歌うことと、同じ歌を二度と繰り返さないことである。ただしすでに歌われたものでも、歌詞の一部が違っていれば、別の歌として認められる。

 歌それぞれに特定の返し歌が決まっているわけではないので、掛け合いはかなり自由に行われる。例えば、愛の誘いに対し、これを受け入れるか、はぐらかすか、婉曲に断るか、あるいははっきりと拒絶するかは、歌い手の選択に任されている。どれを選ぶかによってその後の展開が異なってくる。多くの場合、相手を違いに賞賛し合うような歌からはじめて、徐々に相手をやり込めようとする方向へ向かう。 例えば、    

好い人も集まった 醸した酒もおいしいなあ
愉快な友と旨い酒 いい気分だなあ    

みんながここに勢揃い いつまでも共にいられますように
ここに集まる皆々様はいつまでも お元気でありますように

集まった 集まった こんなに大勢 集まるとは思ってもみなかった
今日の集いのこのときに いい返事をお聞かせくださいな

 やがて、「愛の誘い」対「拒絶」、「非難」対「反発」、「挑発的自慢」対「皮肉」、「冷やかし」対「反発」などの激しい応酬へと展開していく。

桃の実は口に味よく 目にも花が麗しい
今宵は桃の木の下に お宿をお取り下さいな    

桃の実は味がいいでしょう 目にも花が麗しいでしょう
でも高い桃の木の木陰から 蹴飛ばす人もいるのでしょう    

◆    

桃の木は背が高すぎて 手が届きそうにもありません
桃の実よ 気をきかせて おいらの膝に落ちとくれ    

桃の実は落ちたいけれど 木がはなしてくれないわ
あなたに腕と度胸があるのなら 木の天辺にいらっしゃいよ    

◆    

青い桃の実に 異国の流行の色が塗ってある
桃は食べたいけれど 色見てうんざりしちまった    

赤くて美しいこの桃は 流行の色を塗ったのではありません
桃がお気に召さないならば ほっておけばいいのよ    

◆   

桃の実を食べてみたけれど 甘い味がしなかった
右のほっぺも左のほっぺも むやみに酸っぱくて閉口だ    

桃が見目麗しいのは 前世からの因縁よ
未熟の桃を食べるなんて あんたの頭が変なのよ

 やり込められた場合は、相手に同調する歌を返して切り抜けるか、主題の異なる歌で矛先をかわして反撃の機会を待つ。歌の中には意地の悪い文句もあるが、歌い手双方が言葉の遊びであると承知しているので、笑いとしてうけとめられ、歌合戦は相次ぐ爆笑のうちに進行する。しかしたまたま個人的な問題に関わるようなことで非難めいた歌が一方から出されたりすると、歌で激しく攻撃しあうようになり、果ては石を投げ合う喧嘩沙汰になることもあるという。(<歌合戦の流れ>参照)

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<歌の内容>

 歌合戦の歌は、特別の訓練をうけていないごく普通の一般の人々によって、口伝えで伝承されてきたものである。そのため、その表現内容は誰もが耳で聞いて直ぐ分かるようなものになっている。歌詞には日常の話し言葉に誓い平易な言葉が用いられ、歌の題材や主題にも日常的に身近なものが使われ、遠い過去や未来、深遠な哲学や仏教などが取り上げられることはまずない。歌の題材としては、歌が作られた時代の日常生活にはどこにでも見られた人や動物、植物、自然環境、衣食住、風俗、習慣などが取り上げられている。そして主題となるのは、彼等の生活の中で関心の深い事柄である男女の仲、酒、旅、政治的事件などである。ただし、政治的事件の歌などは、人々に忘れられていく内に興味が失われ歌われなくなっていくため、同時代的なものに限られる。一方、男女の仲という主題は、いつの時代にも変わりなく若い人たちの関心の的であり、誰にも分かりやすいため、伝承されている数が最も多い。恋愛や失恋、恋の駆け引き、恨み辛み、第三者のひやかし、からかい、慰め、忠告、噂、それに対する反発などの歌が特に人気があるようであり、生き生きとした歌が多い。ただ恋愛の歌といっても、心の迷いや個人の切々たる心情が描写されることはなく、すべてが白黒はっきりつけられて紋切り型で表現されているのが特徴である。まち、題材が男女の仲のことでなくても、隠された主題は恋愛に関わることであることが多い。

 内容の特色として更に挙げられるのは、掛け合いという形式にも関連しているが、歌には常に相手を意識した攻撃的な調子が強い。とくに男対女という対立が顕著で、たとえ恋に破れても、しみじみ内省したり、失意のどん底に落ち込んで悶々とするようなところはなく、自分を拭こうに陥れた相手方を攻め返すことに全力を尽くすのである。したがって大部分の歌は悪態に近い内容であるが、その悪態は、歌でなかったらとても面と向かっては言えないような度を越したものである。しかしそれがまた一面の真理をついているので、かえって小気味よく、人をにやっとさせるようなところがあるのである。

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<歌の作者>

 庶民との親交が深かったとされる第六代ダライラマ、ツァンヤン・ギャツォ tshangs dbyangs rgya mtsho は、この種の歌の作詞者として知られ、彼の作とされる歌集が残っており、五十篇の歌が収められている。その多の膨大な数に上る歌の作者の名前はまったく知られていない。一般には、水汲み場に集まる女性の作が多いと言われている。ラサの大祈願祭モンラムで、僧侶に献茶の奉仕をする大勢の女性たちが、新作の歌を水汲み場で披露し合ったものだという。掛け合いの場で、即興で作詞することはあまり多くはないようである。機知のはたらく人がその場で作ることがあっても、それは伝承歌の一部をもじった歌であることが多いようだ。

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<歌の形式>

 一つの歌は、六音節を一節とし、四節からなる。頭韻を踏んだ形が好ましいとされるが、音節数を揃えることを最も重要視する。音節数が多いときは、助詞や助動詞などを省き、音節数が六に満たないときは、名詞のあとに指示代名詞 de 、動詞のあとに la を加えたり、同じ語あるいは同じ意味の語を重ねるなどして音節数を揃えている。

 
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