P.T.126 Translation


Title:『霊神祭儀物語』(for part 2: l.104-168)
Translated by Iwao ISHIKAWA (in Japanese)
Article published in 『東方』第16号(東方学院/2000年)



PT0126,0104  原初の昔、最初の始原、ムとチャが婚姻した時、チャの使者がムの所に参上したこと(について)
PT0126,0105  ムがおっしゃった。「我がこのムの国々とは、歓びの神を祀るために、夜が明けず、暖かい日光のために、
PT0126,0106  日が暮れない所。これらの国々は、上端が岩山で囲まれ、下端は完全に(1)
PT0126,0107  囲まれており、高所では鳥も飛び回らず、低所では鼠も入らない」とうんぬんしていた時 (2) 、服役中の水汲みたちが
PT0126,0108  知らせに来て言ったことには、「宮殿の門に、???
PT0126,0109  ???幾人かがいます」と言った。そこで[ムがおっしゃった。]「人はどこの人か。来たのはどこから来たのか。利益は誰
PT0126,0110  に求めるのか。厳しく詰問して、詳しく伝えよ」。使者が答えたことには、「私
PT0126,0111  たちはチャの家臣。チャはおっしゃった。『王を敢てお願いした後、黒頭の立てる者(=人間)には王がいないから、
PT0126,0112  [彼等の]王を任命した上で、鬣ある屈する者(=家畜)に帳簿(3) を設立せよ』とおっしゃった。それを遂行している
PT0126,0113  途上で、到着したのはムの国に到着して、歓びの神を祀り、今や婚姻を結び、上方では神を祀り、下方では魔(?)(4)
PT0126,0114  征する局面に至った。すなわち、私たち、卑しき者は歓びの神に供物を捧げ、ムの国の王に御前で貢ぎ物 (5)ばかりを
PT0126,0115  献上する使者でございます」。ムの国の王がおっしゃったことには、
PT0126,0116  「人よ、貴方たちのお話は、虚偽を加えた書面(6)などが極めて甚だしいから、[貴方たちは]道に迷って来た
PT0126,0117  ようだ。錯誤の程度が極めてひどいので、前の道程がどうでございましても、必要な物(7)を取ってお戻り下さい」。使者が
PT0126,0118  答えたことには、「私たちがツァンの下手の低地からこちらに参りますと、道に迷って、山や谷は険しく 、川や沼地
PT0126,0119  は深い。人と出会ったが、髪は茶色、目は黄色、声はかすれ、手足は曲った
PT0126,0120  者と出会い、[彼は]『誰の手の者か』と私たちに尋ねたのである。[私たちは]正直に話し、『ムの国に
PT0126,0121  チャの使者として参ります』と言いますと、彼は『それなら貴方たちは道に迷って来た。つまり、この国は
PT0126,0122  羅刹(8)の国で、ムの国は南東の境域(9)の方だから、そのように行け』と言い、道を
PT0126,0123  教えた。そのようにしてムの国の近くに参りますと、人と会えば、主人たる人よりも立派で、
PT0126,0124  声の調子(10)は雷鳴より大きく、聞き心地が良い。匂いは香の香りよりも[よろしく]ございました。ただいま、王の御前で御
PT0126,0125  霊神に供物を捧げ、ム王に拝謁して貢ぎ物ばかりを献上することをお許し下さい」。ム王が
PT0126,0126  おっしゃったことには、「我がこれらの国々には、国境の『虎の群れ一万匹の潜伏地 』(11)などに、傭兵(12)の虎や
PT0126,0127  豹、熊や羆などがたくさんおりますゆえ、そのすべてと会わなかったのならば、貴方たちが空中から来た
PT0126,0128  と言っても、飛ぶための翼がなく、地中を潜って来たと言っても、鼠ではないので、貴方たちの言葉には虚言が多い
PT0126,0129  わけだから、お戻り下さい」。使者が答えたことには、「私たち卑しき者には虚偽や虚言はございません。
PT0126,0130  ム王の虎の群れや豹の群れ[の潜伏地]で、傭兵の虎や豹とも会い、熊や羆とも会い、
PT0126,0131  それらには代価を差し上げ、人には贈り物を差し上げた。その後で[彼らは]私たち卑しき者に道を教えた。そうしてム王の御前に参上した
PT0126,0132  のでございます」。ム王がおっしゃったことには、「貴方たちの言葉には虚言がある。というのは、我が
PT0126,0133  ムの番兵傭兵、鉄の鎧騎士は風のように飛び跳ね、稲妻のようにすばやく、鉄の兎に鉄の
PT0126,0134  隼をけしかけ、斧を手に手に携えている故、そのすべてと会わなかったのならば、貴方たちの言葉には虚偽や虚言がある。
PT0126,0135  お戻り下さい」。使者が答えたことには、「私たち卑しき者に虚偽や虚言はございません。鉄の
PT0126,0136  鎧騎士、すなわち鉄の隼をけしかける者、稲妻のようにすばやい者とも会い、鉄串で鉄の兎をいぶって(13)、焼
PT0126,0137  肉を作る者とも会い、白い雌ゾ(14)を屠り、四つ切りにしない者(15)とも会って、そのすべてにも
PT0126,0138  チャの御印や贈り物を差し上げて、[山を]馬で越えて参上しました故、今や錯乱せず揺らがない御霊神への神の供物ぐらいのものを差し上げに
PT0126,0139  参上しました故、神のお顔の程を拝見しつつ、供物を献上することだけでもお許し下さい」。ム王がおっしゃったことには、
PT0126,0140  「それなら、チャの使者が私の御霊神に供物を献上しに来たのなら、どんな供物(16)を持っているのか。南詔竹を供え、
PT0126,0141  タンカで飾ったもの、すなわち神の矢はあるのか。神の矢たりうるように中国絹の図画数枚をもって
PT0126,0142  添付されているのか。金塊(17)はあるのか。トルコ石の付いた大きな皮衣はあるのか。青物
PT0126,0143  七穀は9駄あるのか。青物ディンディン重湯は9駄あるのか。トゥーゴン
PT0126,0144  雷鳥ばかりはございませんか。バター焼肉ばかりはございませんか。
PT0126,0145  バター1升ばかりはございませんか。神の羊ゴマルはございませんか。神の馬ニェンカルは
PT0126,0146  ございませんか。神の雌ヤク、セーモチューはございませんか。神の雄ヤク、シャンポはございませんか。
PT0126,0147  ム王にも贈り物は十分にございますか。ムの家臣にも贈り物は十分にございますか。そうならば、
PT0126,0148  客人たち(18)は天の果てを巡り続け、鷲が果てでは墜落し、地の果てを巡り続け、辰砂
PT0126,0149  が中央では湧き出た。人は疲れ(19)、馬は疲れたわけだから、母山羊の側近くで申し出ることを許します。御霊神に供物を献ずること
PT0126,0150  を許しましょう」。[使者が]願い事などを心地よく申し上げ (20)、[ムが]力強い御言葉で御命じ(21)下さる
PT0126,0151  と 、[使者は]感謝の礼をしておりました。御親戚の
PT0126,0152  側(22)が[おっしゃったことには、]「マンシャム(23)自身が供物を差し上げることについては、私たち卑しくございます者は、卑しき子供
PT0126,0153  幾人かが脚長く(?)産まれたなら、貴方の侍従(24)の側で、長きは手綱を取り、あるいは短きは
PT0126,0154  鐙の綱(25)ぐらい[を取り]、あるいは夜は深淵の縁を守る程度の者として献上しようと思う。
PT0126,0155  [我々が]盗み(?)(26)を如何程か申し上げたとしても、[貴方は]盗みを十分とみなさないので、[我々は]御処罰で殺されず、
PT0126,0156  [貴方が]お出まし下さったことは心嬉しい。その後で、人と同等の地位ある身代り(27)、または差し上げるにふさわしい
PT0126,0157  御飲物が[貴方に]何も手に入りませんとしても、???
PT0126,0158  ???墓室(28)の位牌(29)それぞれが[貴方の]御身体を気づかっております故、小事で
PT0126,0159  御命令を下さず、[供物を]お召しになることだけでもお許し下さい」。[ムがおっしゃったことには、]「私たち卑しくございます
PT0126,0160  者も本日このような力強い御命令を幸運にも授けたけれども、お話(30)になりません。
PT0126,0161  私たちの父方(31)たちも満足しない。父方たちと協議しまして、
PT0126,0162  それから貴方たちに御命令を与えましょう」。御親戚、聖なる(32)御前が[おっしゃったことには、]
PT0126,0163  「本日 、[貴方が]座のおみ足を労して、[私たちを]御覧になり、お出まし下さったことは
PT0126,0164  心嬉しい。私たち卑しき者も神のお顔の程を拝見し、神のお言葉ばかりを拝聴しております故、御命令を
PT0126,0165  授けることだけでもお許し下さい」。[ムがおっしゃったことには、]「それなら、???
PT0126,0166  ???
PT0126,0167  ???ふさわしく
PT0126,0168  良くなったなら、私たち???協議などしまして(?)(33) 、貴方に御命令を与えましょう」。


注釈

(1)dag gyis 「完全に」。山口瑞鳳氏はrog gyis と読む(山口 1983, p.171, p.194 参照)。
(2)gra gru をsgra 「音声」の反復表現とすれば、gra gru 'di na は「うんぬんしていた時」と解せる。
(3)人間を管理するrje 「王」に対応する家畜を管理するものとしてのkhram 「帳簿」。khram は古代において木簡帳簿を指す場合もあった。Thomas 1951, pp.91-92, 326-327 ; 石川 1999, p.105 参照。
(4)ここは破損により解読し難い箇所ではあるが、もし'dri と記されているのであれば、'dre の異綴であろう。これは生者に伝染する死の擬人化に由来する悪魔と思われ、今日のチベット民話の中にもgdon 'dre 「怨霊」の物語が多くある。これらの物語において、gdon 'dre に触れられたり、その息を吹きかけられた生者は病に倒れ、死に至る。TTF III, IV, V参照。
(5)bkod は動詞'god pa 「置く」の過去形と知られるが、この場合は置くべき物、すなわち「貢ぎ物」を意味するかと思われる。
(6)sho ge はshog 「紙」に由来する語で、yig 「文字」に由来するyi ge 「文書」と類似した意味を持つのではないかと思われる。ここでチャの使者はまだムへの謁見が許されていないので、彼などはムの臣下を介して、文書で問答したのであろう。
(7)kho あるいはmkho が「需要」を意味することについては、山口 1983, pp.898-899 参照。
(8)srin は2系統の神霊を指して言うように思われる。1つは、gri, 'dri, 'dre といった死の顕現あるいは怨霊を意味する語(注4参照)と類縁関係にあるsri の語で指し示されるような、地中の死魔(Hoffmann 1950, pp. 161-162 参照)か、その類、もう1つはインドの羅刹(raksasa )である。ここでは後者の意味で用いられており、インドの説話にあるランカー島の羅刹などのように、異界の恐るべき住人として登場しているように思われる。敦煌チベット古代ボン教文献は8C末〜9C前半の敦煌チベット支配期にほぼ成立したと見られているが、もうすでにこの時期にはインド系の宗教思想がチベット人の間に浸透しており、この種の文献にインドの説話が影響を与えるのは不思議ではない。
(9)tshams はsa tshams 「境域」の意にとる。
(10)sksd mdangs はskad gdangs の異綴りであろう。
(11)skugs はskung 「隠蔽」の異綴りと考えた。
(12)gles pa はglas mi 「雇い人」の意味と考えた。
(13)gtur はgtul 「いぶる」の異綴りであろう。
(14)ゾmdzo は牛とヤクの混血種である。
(15)mzhug ma はgzug 「屠った家畜の身体の4分の1」の意味であろう。「白い雌ゾを屠り、四つ切りにしない者」とは、ゾを丸ごと食べてしまうような者という意味であろう。
(16)mchod pa'i rkyen 「供儀の条件」とは供儀に不可欠な物、すなわち「供物」のことであろう。
(17)gser kha ma blangs pa はkha 「へり」をma blangs pa 「削り取っていない」gser 「金」の意か。Jächke 1881, P.35 はkha len pa 「尖る」を記載する。
(18)[衣+者]俊傑 1990, p.41, 43 に従い、'dron po をmgron po 「客人」と読んだ。
(19)chad はthang chad 「疲れる」の意であろう。
(20)bag snyan du zhus のbag snyan は、bagが「心」を意味し、snyan が「聞き心地が良い」の意味であるから、「心地よく」の意味であろう。bag snyan と動詞過去形zhus 「お願いした」「申し上げた」の間にある助辞du はde-nyid であり、bag snyan でzhus の意味が限定されるから(Yamaguchi 1990 参照)、 bag snyan du zhus は「心地よく申し上げた」の訳となる。
(21)lung ngu stsal はlung du stsal と綴られるべきものである。前注でのように、動詞stsal 「授ける」はde-nyid によりlung 「命令」の語で意味の限定を被るので、lung ngu stsal は「命ずる」の意である。
(22)この表現からすでにここでチャの使者は外戚の一員とみなされていることがわかる。
(23)マンシャムmang zham はケンmkhan 、すなわち、それによって人物を知りうるような称号的名称の一つである(Richardson 1967, pp.11- 12, 14 )。敦煌文献『年代記』『編年記』でマンシャムと呼ばれた人物は皆、宰相(blon chen po )位にあるから、これは宰相に対するケンとして、よく使用されたのかもしれない。そうであるならば、チャの使者達の代表はチャの国の宰相ということになろうか。
(24)zham 'bring は、山口 1983, p.306 に従い、「侍従」と解する。
(25)yob cen はyob chen 「鐙」の意味であるが、yob cen gi rten 「鐙の支え」とは、鐙を鞍から吊り下げる綱のことであろう。
(26)rko をrku 「盗み」と解した。この語は甚だしい無礼を喩えた表現と考えられる。
(27)ll.143-146 でムが要求した宗教的に特別な動物達のことであろうか。myi dang 'dra ba'i gdan tshab 「人と同等の地位ある身代」という表現は、元来は人間が霊神祭儀の犠牲となるべきとされていたことを示唆する。gsol du rung ba'i bshos skyems 「差し上げるにふさわしい御飲物」が並置されているから、これらは食物とされたのかもしれない。
(28)grang mo を「墓室」と訳すことについては、[衣+者]俊傑 1990, p.35 に従った。
(29)スタンR. A. Stein 氏はStein 1983, p.202 でzhal bu を「銘板」と訳し、その注でこの語は先祖に関わり、「銘板上に記された称号」と解せるとした。[衣+者]俊傑氏はこれを考慮し、zhal bu の本義は「位牌」であるが、「先祖」も意味しうるとした([衣+者]俊傑 1989, p.34 ; 1990, pp.35-36 参照)。これに従う。
(30)g-yar tshod はkha tshod 「話の程度」の敬語であろう。
(31)ムの国が父系父権制社会ならば、王が父系を代表するから、この箇所にはyab khu 「父方」ではなく、yum zhang 「母方」のような語が記されそうなものである。山口氏によれば、後代史料rLangs po ti bse ru 『ラン・ポティセル』などにより、吐蕃(古代チベット統一王朝)のヤルルン王家誕生以前、父系相続のム部族と母権継承制のダンsBrang 氏が通婚し、父系母権制の複合部族ダン・ムsBrang-dMu が成立し、それと、ヤルルン王家の出自部族であるチャ部族が通婚したため、ダン氏の母権がチャ部族に入っていったことがわかると言う(山口 1983, pp.151- 199 参照)。そのような事情がこの神話に反映されたため、ム王は父系母権制の女王に設定されているのかもしれない。l.149 でムが自身を母山羊に喩えていることもその証左になるであろう。
(32)Stein 1981 によれば、チベットの古代史料あるいは古代史に関する書で、'phrul は「変幻」「魔法」の他、中国語「聖」の意味で使われる。
(33)文字を判読し難いが、l.161 と同様に、bka' gros dag bgyis la と記されているようである。