科学研究費補助金 研究課題(基盤B 海外)
中国・ASEAN地域協力構想におけるベトナムの定位に関する研究(課題番号:20401006/研究代表者:栗原浩英)


フィールド情報


190509 ハノイ・南寧間のバスに関して:2008年

(1)運行状況

現在,ハノイと南寧を結ぶバス便が運行されている。ただし,ベトナム・中国両国間で車両の相互乗り入れが国境付近に限定されているため,国境の友誼関でバスを乗り換えなければならない。ベトナム側のバスはソンドゥック運輸会社(本社ランソン)が,中国側のバスは広西の運徳グループがそれぞれ運行している。使用されているバスはDaewooが桂林で製造しているものであった。座席の上の荷棚が狭いのと,シートがいまひとつなのが難点だが,快適な旅を楽しむには十分である。


南寧と友誼関を結ぶバス(2008年6月18日に乗車)

南寧と友誼関を結ぶバス(2008年8月20日に乗車)

友誼関とハノイを結ぶバス(2008年6月18日に乗車)

ハノイ・南寧間の運賃はハノイで購入すると30万ドン,南寧で購入すると150元であった。
なお,友誼関からハノイに向かうバスの行先は私の知る限り3か所-紅河ホテル(Khach san Hong Ha),民族ホテル(Nha khach Dan toc),ノイバイ空港付近のホテル-あるため,注意が必要である。これらはハノイから友誼関に向かうバスの出発点でもある。

(2)実走結果

1987年3月にはハノイからランソンまで4時間半を要したが,現在は道路が整備されたため,2時間半程度で行けるようになった。最も渋滞がひどいのはハノイ市内である。
陸上国境通過で悲惨なのは,スーツケースなどを転がして行かなければならないことである。大雨でも降っていたらと思うとゾッとする。まして友誼関は高い所にあるため,峠を越えるような感じになる。しかし,現在友誼関には下の写真にあるような旅客用の小さな自動車がまさに「為人民服務」よろしくサービスにあたっており,その心配はない。ハノイ・南寧間バスの乗客は無料であるが,それ以外の利用者は10元を支払う必要がある。また,中国のイミグレにはエスカレーターが設置されており,通行者の労力を軽減してくれる。


2008年6月16日:ハノイ→南寧
運賃:300,000VND
地点 ハノイ 
(紅河ホテル)
バクニン省境   ランソン市 友誼関  南寧 
(運徳観光マーケット)
時間  07:30  09:00  09:55  11:20
13:00
 16:00
備考       出入国手続とバス乗り換え 友誼関・南寧間(南友高速公路)でトイレ休憩5分あり 

【注】時間に下線があるものは中国時間。ベトナムと中国の間には1時間の時差がある。ベトナム時間では南寧到着は15:00となる。以下同様。

2008年6月18日:南寧→ハノイ
 地点 南寧
 (運徳観光マーケット)
 友誼関  ヒューギ発  ランソン市  メット バクザン省境   ハノイ
(民族ホテル)
 時間  08:00  10:52
-10:30
 11:13  11:35  12:40
-13:00
 13:18  15:15
 備考 南寧・友誼関間(南友高速公路)でトイレ休憩5分あり  出入国手続とバス乗り換え     休憩(昼食)    バクザンからノイバイ,タンロン橋経由でハノイ市内へ 

2008年8月20日:南寧→ハノイ
運賃148元+傷害保険料2元
 地点 南寧 
(埌東バスターミナル)
南友高速  憑祥   友誼関 ヒューギ発  メット   ハノイ
(紅河ホテル)
 時間  09:05  09:48  11:45-12:08  12:25-12:00  12:12  13:50-14:15  15:50
 備考     金祥大酒店で昼食 出入国手続とバス乗り換え   休憩(再び昼食)  


2008年12月22日:憑祥→ハノイ
運賃80元+傷害保険料2元
 地点 憑祥 
(バスターミナル)
 友誼関 ヒューギ発  メット  バクザン(右折地点)   ハノイ
(民族ホテル)
 時間  11:00  11:23-11:00  11:30 12:40-13:10 14:05   15:11
 備考 マイクロバス 出入国手続とバス乗り換え   休憩(昼食)  ノイバイ,タンロン橋経由でハノイ市内へ   


070387 最初のランソン訪問:1987年3月7日

 私がハノイ総合大学に留学していた頃(1985年12月~1987年3月),中越国境地帯は遠く,危険な存在でしかなかった。何度かランソン行きを大学に申請したものの,「国防省の許可が下りない」という理由で認められなかった。それが漸く認められたのは1987年3月7日,帰国直前になってのことであった(当局が,特に私の帰国に際して花を持たせようとしたものではないと思われる)。悪路をソ連製のウアース(УАЗ)というジープに似た車両で突っ走った。初めて目にするランソンにはまだ1979年の中越戦争における中国による破壊の痕跡が残っており,住民もやっと疎開先から戻りつつあるという状況だった。危険だという理由で,2~3時間ほど滞在してすぐにハノイに引き返さなければならなかったが,ランソン省の役人の発言(【参考資料】を参照)から,貿易が再開されていることはわかり,いずれ両国関係は正常化するのでなないかという淡い希望を抱いた。

【参考資料】1987年のランソン

地点   ハノイ  バクニン  バクザン  ランソン
時間  06:30  07:40  08:05  11:00