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2002/03/11 私は知っている

梶先生の研究室で、皆が、プリンターの話をしているときに、
神谷君が、
      「バブル・ジェット」
と口走ったのを、私は聞き逃さなかった。




2001/09/某日 ★★裏日記すぺしゃる★★

 2001年9月某日深夜、シンガポール、チャンギ空港。
 23時50分発シンガポール航空SQ428便エコノミー・クラスの搭乗
開始を、私はゲート前のベンチに腰掛けて待っていた。すると、
その目の前に、背中のがばーっとあいたワンピース(もちろん袖無し)を
まとった女が立った。
「うわー、馬鹿女。そんな格好でカイロに降りたら、レイプされるわよ!」
と私は本気で思ったくらいだ。

 ところが、ふと振り返ったその顔は、アラビア科で一年下のM山Mそっくり!
「え、M?」

 でも、まさか、いくらなんでも、アラビア語学科の卒業生が、こんな
格好でドバイ経由カイロ行きの便に乗るか?きっとよく似た別人だよ。
その女の後ろ姿を眺めながら、そう考え直した。後頭部に、白い
薄地のおリボンが、細かいアコーディオン折りになって揺れていた。

 ワンピースは、色が薄いのと布地が薄手なのとで「パステル・カラー」
と言ってあげられなくもないが、基本的には蛍光色ではないだろうか。
素足に、共布のつっかけサンダル(今はやってる、ヒールが細くて
高いの)をつっかけていた。

 ファースト・クラスとラッフルズ・クラスの搭乗が終わって、
「エコノミーの51番以降の座席のお客様は、どうぞご搭乗下さい」
とアナウンスが流れた。大胆ワンピースの女は、キャスター付きの
バッグを転がしながら、いちばんにゲートに入った。私もそのあとに
続いた。

 席に着いてみると、私とその女は、通路を挟んでお隣同士だった。
女は、転がしてきたキャスター付きのケースを、スチュワーデスさんの
助けを借りながら、よっこらしょと頭上の収納棚に押し込んでいた。
良く見たら、それはルイ・ヴィトンだった。さらに、足下に無造作に
置いた肩掛けバッグも、やっぱりルイ・ヴィトンだった!

 さらに横目で観察すると、女のワンピースは肩紐がないかわりに、
胸の部分の真ん中から細い紐が2本出ていて、それを首の後ろで
結ぶデザイン。要するに、イブニング・ドレス並の露出度だが、
イブニング・ドレスみたいな長手袋をしてないから、上半身はだか
寸前なんだよね。これでほんとにカイロ空港に降りるつもりか?

 びびりながらも、自分の荷物を上の棚に押し込み、ブランケットの
ビニール袋を破いて、お休み態勢に入りつつあった私の耳に、
「遅かったじゃない!」
という女の声が飛び込んできた。その声に、めっちゃめちゃ聞き
覚えあり!えー、顔だけじゃなくて声まで一緒?
「私は、この鞄(さっき、スチュワーデスさんの手を煩わせて棚に
押し込んだルイ・ヴィトンのこと)のスペースを確保するために、
『51番より後の方』って言われたとき、いちばんに乗り込んだのよ!
どうするのよ!もう場所ないわよ!」

 叱られているのは、人の良さそうな眼鏡の若い男性。旦那さん
かな?こちらは半袖シャツと長ズボンで、至極普通の格好。
縦長の、ゴルフ・バッグをもっと軽く、ひとまわりかふたまわり
小さくしたようなバッグを担いでいた。それもルイ・ヴィトンだった。

 旦那さんらしき人は、困ったように、上の収納棚を眺めた。
自分の席の上は、ルイ・ヴィトンのキャスター付きケースに占拠
されているし、そのお向かいの棚は、私のショルダー・バッグと、
あとパソコンなんかを入れた小型リュック、そのほかにも同列の
他のお客さんの荷物が既に入っている。

 運良く、こっち側のひとつ前の棚が空いていたらしく、男は
そこに縦長バッグを押し込み始めた。すると、
「全部しまってどうするのよ?雑誌、その中に入ってるんでしょ?
全部しまったら、読む物ないじゃない!」

すごい剣幕の女に、男は控え目に、
「いや、いいんだよ。本があるから・・・」
と言いつつ、ふと思いついたように縦長バッグを開けると、
中から天津甘栗と柿ピーの袋を取り出した。

「わーい!」
ぱちぱちと手を叩いて喜ぶ女。さっそく柿ピーの袋を開けて
ポリポリかじりながら、つやつやと真新しいフライデーを読み
始めた。(歌舞伎町キャバクラ火災の載った号だった。)

 何だろうなあ、このルイ・ヴィトン・カップル。
 呆然とする私の耳に、男が、
「M〜」
と女を呼ぶ声が入ってきた。
 ああああああ、ほんとにこの女、Mだったんだあ〜っ!

 夜の闇の中を離陸したシンガポール航空機は、インド上空を
通過して、アラブ首長国連邦へと向かう。機内が涼しいためか、
Mは、七分袖くらいのカーディガン(ショッキング・ピンク
だったけどね。)を羽織った。これで露出率がだいぶ下がったよ。
やれやれ。

 ドバイに近づくと、Mはスチュワードさんに、
「ワン・アワー?」
と、嬉しそうにドバイ滞在時間を確かめていた。元気だなあ。
降りるのか。私の方は、成田を発つ前、徹夜だったので、
できるだけ体力温存したい気分だった。

 ドバイの空港って、近代的でピカピカできれいだし、売ってる
お土産も、ファラオニック路線に走りがちなエジプトと違って、
アラビアっぽくてセンスも良い(というより、駱駝をデザインした、
メイド・イン・イングランドとかの製品が混じってるんだな。)から、
面白いんだけど。

 でも、ルイ・ヴィトン・カップルはお揃いで降りると、大きい
手提げ袋を下げて帰ってきた。それを、例の縦長バッグに
しまい込んでいた。これからカイロに行くのに、今からお土産を
買い込んでも荷物が増えるだけじゃない。。。私は帰りに
買おうっと。

 ふしぎなことに、Mは、飲み物サービスは受けるが、
機内食は断っていた。せいぜい、珈琲とかお茶とかだけで、
みんなが食べている間、Mだけは、お茶をすすりながら、
文庫本とかを読んでいるのだった。

 カイロ到着直前の朝食、というより暗い中で食べる早朝食と
いう感じだったけど、そのときも、Mは珈琲だけ頼んで
本を読んでいた。何やら囁きかけた旦那さんに、きっぱりと、
「量の問題じゃないわよ、味の問題よ!」
と答えていた。ふうん、シンガポール航空のオムレツって
柿ピーよりまずいのか・・・。

 カイロに着陸して、だんだんと夜が明けてきた。私は、
このカップルは、スーツケースもルイ・ヴィトンだと確信
し始めていた。わーい、キム・ジョンナム様ご一行ご到着!

 ところが、残念なことに、私のスーツケース(弟のお古)の
方が、大分先に出てきてしまった。それを拾って振り返った
私の瞳に、カートに寄りかかりながら、いらだたしそうに、
「まだあ〜?」
と、旦那さんをせかすMの姿がうつった。旦那さんは、
困ったように、ベルト・コンベアの岸辺に立ち尽くしていた。

 私は、
「そのピンクのカーディガン、絶対に脱いじゃだめだよ」
と心の中でつぶやきながら、空港の出口へと、自分の
ぼろいスーツケースを転がしていったのであった。





2001/09/05 エジプト人気質?

エジプト人で、新しい客員教授のハッサン・ハッサン・バクル先生に、
「2週間も休暇で、どこに行くの?」
と聞かれたから、正直に、
「エジプト」
と答えたのに、
「OOOOH! You are joking like Egyptians!!」
と笑われ、真に受けてもらえなかった。




2001/07/19 花の命は短くて

AA会で、シバノ先生が同じテーブルに座っていらして
前後の文脈は忘れたが(酔っ払いハルコス)、なぜか
この前の冬の の話になった。

シバノ先生が研究室前の廊下に放置しておいたため、
折角の がぐったりとなってしまったので、
ハルコスは慌てて、エアコンで温まっているCOE部屋に
連れていって、水をやったり、しおれた葉っぱをむしったり
手当てをしたのだが、結局助からなかった、

しかし、シバノ先生いわく、
「せっかくミナコちゃんが持ってきてくれたのに、
 盗まれたと思ったら、おまえだったのか!」

ハルコス激怒!
盗んでなんかいないぞ!
そりゃ、無断でCOE部屋に連れていったのは悪かったけど、
そんなに大事な だったのなら、夜中に
零下まで下がる冬の廊下に放置するな、ばかっ!




2001/07/05 シンプル・イズ・ザ・ベスト?

榮谷温子「ねえ、私、『タイタニック』の映画、見てないんだけど、
      あれってどういう話?」
山田重周「船が沈む話。」
榮谷温子「・・・・・」





2001/06/21 祝電を披露させていただきます?

研修・共同利用係の三浦さんからのメイル。

1)シンポジウムのPROCEEDINGSの原稿を受け取りに、
  5時に印刷屋さんが来る、という日に、ラストスパートで
  梶先生と原稿チェックをしていたときに届いたメイル:

   **************************************************

    がんばれー。

    ファイトーー!( ゜ロ゜)乂(゜ロ゜ )イッパーーツ!!

   **************************************************


2)三浦さんから、言語研修の外国人講師への依頼状の
  英訳を頼まれたとき、「訳したものを今、ラオ先生に
  チェックしていただいています」とメイルを出したら、
  お返事にこんなメイルが・・・
  
   **************************************************

    まいど、ありがとうございますです。

    アリガタビーム!!(ノ・_・)ノ‥‥━━━━━☆ピーー

   **************************************************





2001/06/13 一週間♪

『一週間』ロシア民謡;作詞ハルコス。

月曜日にゼミへと出かけ、
批判とお叱りとを受けた〜♪

てゅらてゅらてゅらてゅらてゅらてゅらら〜
てゅらてゅらてゅらてゅら〜ら〜

火曜日に論文出して、
水曜日に不採用通知♪

てゅらてゅらてゅらてゅらてゅらてゅらら〜
てゅらてゅらてゅらてゅら〜ら〜

木曜日に徹夜で飲んで
金曜日におうちに帰る♪

てゅらてゅらてゅらてゅらてゅらてゅらら〜
てゅらてゅらてゅらてゅら〜ら〜

土曜日に学会にでかけ
懇親会で日曜日は二日酔い♪

ふらふらふらふらふらふらら〜
ふらふらふらふら〜ら〜

教授よ、これが私の
一週間の生活です♪

てゅらてゅらてゅらてゅらてゅらてゅらら〜
てゅらてゅらてゅらてゅら〜ら〜




2001/06/04 古地名

都電に乗ったら今日は4のつく日!
おばーさんが「墓地下に行きますかね」と運転手さんに尋ねていた。
ぼちした。。。それどこ?




2001/05/17 コンピューター・ウィルス

一昨日の夜、スッバラウ先生は私にウィルス付きメイルを送ってくださった。
それに気付かず、私は添付ファイルをダブルクリックして感染してしまった。
        IS_LINUX_GOOD_ENOGH!
というウィルス。

翌日、研究会のメイリング・リストにウィルス付きメイルをばら撒いて感染が発覚。
あわててスッバラウ爺に電話をかけ、
「あなたのおかげで私はウィルスに感染してしまいました。
 今から絶対にメイルを使うなっ!NEVER!!
とメイル禁止令を言い渡した。

そして今日、お昼を過ぎてから、やっとスッバラウ先生の研究室を訪ねた。
昨日、メイルを使うなと電話を掛けてから、ほぼ20時間経過。

「これでメイルを送られたんですね?」
「そう。これがドイツから来たメイルなんだけど、ほら、
 『あなたの添付ファイルを開くことができませんでした。形式は何?
  もう一回送り直してくれませんか?』」
うわー、やめろー!それがウィルスだ〜!!

すぐにウィルス駆除プログラムをダウンロード、駆除開始。HDDががんがんスキャンされ、
ファイルが修復されていく。最後にコンピューターを再起動して、HDDはきれいになった。

「じゃ先生。ドイツのお友達に、このプログラムのことを教えてあげなきゃいけません」
ダウンロード元とプログラムの動かし方を書いて送信しようとしたら、スッバラウ先生は、
「いろんな友達に送ってしまったから、アドレス帳にあるアドレス全部に送ろう」
とおっしゃった。
しかし、Sendボタンをクリックすると、
「こんなアドレスは見つかりません!」
とアラート窓が5回も6回も出て、その度に間違いアドレスを消去。やっと送信を終えた。

ほっとして研究室に戻って珈琲を飲んでいたら、内線電話。
「お返事メイルが来て、それにまだウィルスがついていた」
「え〜〜〜〜っっっ!!!!!」

びっくり仰天して飛んでいくと、先生が、
「ほら!メイルに添付ファイルのマークが!」

良く見たら、Mail Delivery Serviceからの、
「以下のアドレスへのメイル配達に失敗しました」
というお知らせメイルで、添付されていたのは、さっきスッバラウ先生が送られた
ウィルス駆除法説明のメイルだった。あ〜ん!これ、ウィルスじゃないよー!




2001/05/09 その1ビギナーのための日本酒入門

SPA!の今週号に
「超保存版・ビギナーのための日本酒入門」
という特集があったので、すかさず買った。




2001/05/09 その2世界のことば、スマイル¥0

ぜんぜん話は違うが、6月は、所内研究会が
客員研究員月間になってしまった。
すごい強力ラインナップ:
6月7日=ジュコバ先生
6月14日=ブリーン先生(Tools for Analyzing Sekikei and Moveable Type Texts )
6月21日=イレート先生(Municipal rebels: Perspectives on rural life and political change in the Philippines, ca. 1860-1902)
6月28日=ジューフ先生(Verb 'to be' in Wolof )&スッバラウ先生(タイトル未 定)

所内研究会のアレンジがバースカララーオ先生のご担当なのだが、
ジュコバ先生は、ロシア語しか話されない。唯一ご存知の英語が
「ハロー」
だから、ラオ先生は、まったく打合せができないとこぼしていらした。

ラオ「呉人さん(ジュコバ先生のホスト)に電話しています。
   でもずっと留守番電話です。私は2回、メッセージを残しました」
ハル「じゃあ、この7日という日程はどうやって決められたんですか?」
ラオ「私が決めました」

大丈夫かなあ。

スッバラウ先生いわく、
「そう、彼女はロシア語しか話さないんですよね〜。
 『%& くれびと ○×△ もすくわ #&△○!』
私は「クレビト」しかわからないけど、一緒に
 『オ〜、ははははははははは!』ってね」

事務手続きは進まないが、皆さま楽しくお過ごしのようで
とりあえず良かった。やれやれ。





2001/04/26 愛の逆転。

この前、梶先生が、
「5月14日に新歓コンパをするので」
という話をなさりにいらしたときのこと。

榮「今年、AA研の新入生は何人になったんですか?」
梶「6人。1人、受かったんやけど東大に行ってねえ」
榮「でも、5人が定員で入学者6名なら、よかったじゃないですか」
梶「ほんと。よかった〜!」
榮「で、どんな方が入ったんですか?まず、古閑さんですよね、
  それから〜」
梶「XXさんのところに一人と、○○さんのとこにも一人。。。」
榮「あ、あと芝野先生のところに藤原愛ちゃんが」
梶「あ、愛ちゃんな。いや、藤原じゃないんよ」
榮「え?藤原愛ちゃんじゃありませんでしたっけ?」
梶「ん。藤原じゃないんよ。フジワラじゃなくて・・・」
榮「フジワラじゃなくて?」
梶「じゃなくて〜。。。」

・・・しばし考え込む梶りん。

梶「あ、そうや!飯島愛やなくて、”藤原”愛ちゃんなんや!」
榮「・・・・・(-_-;;; 」





2001/04/28 極太万年筆

「イスラム世界」という雑誌に、論文が何本か投稿されていた。
そのひとつが、駒澤女子大の学長だとか言うお坊さんの書いた:
“惣滑谷快天(ぬかりやかいてん)とその著『怪傑マホメット』のこと二、三”

これが思い出話から話が始まるというシロモノで、例えば
『怪傑マホメット』についての説明のくだりでは、
「私など60歳代の者には、少年の頃血湧き肉踊るおもいで読んだ
 『怪傑ハリマオ』とか『怪人二十面相』を想起する。」といった調子。

「特別寄稿、とか論文とは別のジャンルで載せたらどうでしょう」
「そうですね」
という話になりかけた。すると査読委員が、「でもねー」

見ると、200字詰め原稿用紙に、極太万年筆で書いた古風な手書き原稿。
厚さ数センチで、ところどころ2本線で消して直したり、あと旧漢字も沢山。

さらに、編集長が取り出したオリジナル原稿を見ると、それは
原稿用紙の上部にふたつ穴を開け、麻ひもでしばって綴じてあった。

査読委員「特別寄稿でも何でも、とにかく採用するとなったら、これ全部
     入力しないといけないんですよ!」
一同  「・・・・・」  地蔵になる編集委員たち。

とりあえず、お坊さんに、「分量が多いので、少し削って、それから
どなたかに、ワープロで入力してもらっていただけないか」と言って、
いったんお返しすることになった。

あー、とにかくあんな浮世離れした原稿は初めて見たわ。南無南無。




2001/04/20 日本人の分類

ジューフ先生(fromセネガル)がおっしゃることには、日本人の顔は、
3つのタイプに分かれるのだそうである。

1)四角い顔。上岡先生タイプ。
2)サカエダニやナオコサン(=梶教授夫人のこと)のタイプ。
3)Prof.梶やMiss阿部のタイプ。

というわけで、同じタイプに属する梶先生とあべちゃんが一緒に
セネガルに行ったとして、もし梶先生があべちゃんを、My sisiter
とか、My daughter とか紹介しても、セネガル人はきっと信じる
ことでしょう、とのことであった。

しかし、お話を伺っただけでは、上記3分類の分類基準が
理解できなかったサカエダニであった。





2001/4/18 AA研のセクハラ問題について

先日、外大&AA研で、セクハラ・アンケートが配られ、またスッバラウ先生から、
「大きな封筒が来たんだが、全部日本語で書いてあってわからん」
とお呼び出しを受けました。

ハルコス
  「先生がこれをセクハラスだと思われるかどうか、という質問です。
   えーと、女の人にですね、『一緒にディナーをとろう』って言う・・・」
スッバ「えっ?????!!!
    日本では、御飯を一緒に食べるのはセクハラなの???!」
ハル「うわー、そうじゃなくて、あの、女の人が嫌がっているとしますね、
   なのに、『一緒に食事に行こう』『一緒に食事に行こう』って、
   何度も何度も言うこと」

こんな不手際通訳が何問か続いたせいだと思うけど、何だか最近スッバラウ先生は、
「日本では、これはセクシャル・ハラスメントか?」
と確かめることが増えてしまいました。

先日も、研究室を訪ねると、いつもの笑顔で、
「ハ〜イ」
と、握手してくださいましたが、次の瞬間、はっと顔をこわばらせて、
「これは、日本ではセクハラですか?」

「いいえ、ぜんぜん」
とお答えすると、またあのスマイルに戻って、
「そうかそうか」
と嬉しそうに力をこめて、握った右手をブリブリ振り回し始めました。

確かにセクハラぢゃない。
でも、ハルコスは右手がとっても痛かった。





2001/04/16 ちゃんと説明してあげなくちゃ。

先週の所長室飲み会で、イレート先生とお話をした。
イレート先生
  「最近、コバヤシサンに会いますか?」
ハルコス
  「いいえ。彼は、ある大学のフルタイムの講師になったんです」
イ「え。彼は去ったのですか?」
ハ「はい。大学はトチギ・プリフェクチャにあるんです」
イ「おーー。では、この前のパーティー(注)はお別れ会だったの?」

(注:3月28日にAA研の懇親会@新宿のスリランカ料理店があった。
   上岡先生・吉澤先生・小林さんの送別会であった。)

ハ「そうです」
イ「何てことだ。私は彼が結婚したからだと思っていた!」
ハ「結婚もしましたし、仕事も見つかりましたし、学位も取れたし」
イ「ほお。たったの1ヶ月でねえ」

。。。1ヶ月じゃないんだけど。

しかし、出席していらしたパーティの趣旨も知らされていなかったとは。。。




2001/04/09 武士道といふは、いづこも同じ春のゆふぐれ。。。

さっき、複写室に行ったら、村井さんがいらした。

『通信』最新号に、守野先生の文章が載っていたので、
「守野先生がいらして、感想を聞かれるかもしれない」
と、いっしょうけんめい読んだのだけれど、さっぱりわからない、
どうしましょう?と、ほんとにお困りの様子だった。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」・・・・・・
持論<言法>の一分野を占める[同定]中の一項目の
決定訳を巡っての苦悶であった。。。
・・・うーん。困るだろうなあ。(私も困る。)




2001/04/05 べぢたぶる神谷

神谷君から京都土産のお菓子をいただきましたので、
ちょっと切って、5Fの外国人研究員の先生方を訪ね ました。
Diouf先生に、
harukos「京都のお菓子です。神谷君てご存知ですか?
 梶先生の学生なんです。京都出身なんです。」
Diouf 「ほう。彼のプレゼント?」
haurkos「はい」
Diouf 「なぜ?結婚したとか?」
harukos「いいえ」
Diouf 「じゃあ、ただプレゼントしてくれたんですか?」
harukos「はい」

するとDiouf先生は日本語で、
Diouf 「おお、とっても、野菜です」
harukos「?」
Diouf 「とっても、野菜です」
harukos「・・・」
Diouf 「kindは日本語で何と言いますか?」
harukos「やさい、ぢゃなくて、やさしい、です!」





2001/03/21 その1柿ピー

何でだかわからんが、永崎さんが咳き込みながら現れて、
柿ピーを一袋くれた。




2001/03/21 その2ハルよ来い。

ついさっき、研究室のあっちの扉ががたがたっと言った。
のぞいてみたら、シバノ先生が赤い顔してご出現。
「小田さん、いませんけど」
「違うよ、永崎だよ〜」
「永崎さんなら隣の部屋です」
「(明かりの消えた窓を見て)あーあ、いないよなあ」
「はあ。(ではさようなら。。。と思ったら)」
「今さあ、うちの研究室で追い出しコンパやってんだよ。
 お前、来るか?」
「え、いえ。。。」
「いやあ、女の子が2人、3人といるとさあ、男1人で
 さびしくってさあ」
私が行ったって、男の数は増えないぞ〜。




2001/03/17 タリバン

本日、「イスラム世界」という雑誌の編集会議のあとの飲み会の席で、

「世界遺産がどうの、という話ではなくて、私は単純に、
 『折角おっきい仏像を作ったのに、壊してしまってもったいない』
 と思います」

と言ったら、後藤明先生(イスラム学の偉い先生@東大東文研)に、

「形あるものは全て滅びる。これが仏教の思想です」

と、切り返されてしまいました。

                  ハルコス@まだまだ修行が足りん。




2001/03/07 Namazu検索

「ハルちゃん」で検索すると、harukosのトップページがヒットするが、
「はるちゃん」で検索しても、
http://www.aa.tufs.ac.jp/~P_aflang/TEXTS/oct97/bgha.html
”はるちゃんの口頭発表リベンジ編なり”
はヒットしない。
でも、「リベンジ」で検索すると、上記のページがヒットされてくる。

ふしぎ。




2001/03/06 その1春は名のみの。。。

この寒いのに、つっかけサンダル履いてるギャルが みょーに目に付くのは気のせい?
これって、厚底靴の次のブームなわけ?
いずれにせよ、何でこう、転びやすい履物ばかり はやるんでしょうか。
次の流行はバナナ皮のブーツか?ヘ〜イ、トロピカル!




2001/03/06 その2Magic Hands!

関係無いけど、スッバラウ先生は、バースカララーオ先生が
インド出張に行ってしまわれて、とっても退屈しているらしい。。。
皆様も、研究室に遊びに行ったら、喜ばれるかもしれません。

2〜3時間前には、研究室で、私に、デーヴァナーガリー文字での
名前の書き方を一生懸命教えてくれた。
やっとおいとまして、6Fに戻ったら、数分後に、
「今からメイルを送るからね〜」
と内線電話をくれた。

さっき、またまた内線電話で呼び出されて研究室に伺ったら、
「コンピューター(WORD)で書類をタイプしていたのだが、
 deleteキーを押して、空き行を消そうとしたら、フォントが
 TimesNewRomanから別のフォントに変わってしまった」
というクレームだった。
ハルコス、断りもなしに、ctrl+Aでテキスト部分をselect all 、
フォントを全部TimesNewRomanにしたあとで、もう一度
deleteキーを押した。
そしたら今度はフォントがTimesNewRomanから変わらなかった。

当たり前なんだが、でもスッバラウ先生は、
「おー、YOU HAVE MAGIC HANDS!!
と、とっても喜んでくださった。
どこかが文字化けを起こしているかもしれないけど、
知らぬが仏のスッバラウ先生。ゴメンナサイ。





2001/02/14 アフリカ文学

ダイエット・ライブラリのWeb-OPACで
「アフリカ文学」
を検索したら、カレワラがヒットした。なぜ???!!

    永田町の世界観を理解しかねるサカエダニ。




2001/01/31 classical...

COE非常勤研究員の同僚たちが隣室に去りし後:

小田さんに、
「ウィンドウズ95の起動ディスクがほしいって
 3人おそろいでいらしたんですよ。
 でも、いまどき何で95なんでしょうねえ」
と言ったら、
「うちのウィンドウズ、まだ3.1なんです」
とのことでした。




2001/01/28 雪。

ああ、あと30歳若かったら、楽しい土曜日が過ごせたのに。
今じゃ一緒に雪だるまを作る友達もいないわ。。。

降る雪や 昭和は遠くなりにけり。
しくしく。

あんまり関係ないけど、数ヶ月前、国会図書館の書庫に行ってみたら、
エレベーターの横に「辺見えみり写真集」が行方不明の旨、張り紙が
してあった。
先週の金曜日、書庫に行ってみたら、その張り紙はなくなっていたが、
「裏本・裏ビデオの世界」という本が、11月2日以降、閲覧者より数回
請求があったとかで、行方不明図書のところに張り出されていた。





2001/01/17「え?」

(新年会の会場決定に関して)

榮谷「内山さんから
    『皆様の交通の便を考えると,巣鴨と大塚とどちらが都合が
     いいのでしょう。』
   ってメイルが来てました。」
小田「うーん。みなさん、どちらがよろしいんでしょうねえ」
榮谷「小田さんは、どちらから?」
小田「僕は巣鴨です」
榮谷「巣鴨から?」
小田「ええ。新宿から巣鴨に出て」
榮谷「じゃあ、大塚も通るわけですね」
小田「え?大塚は通りませんよ」
榮谷「え?JRじゃないんですか」
小田「え?JRですよ」
榮谷「え?だって(まさか、品川まわりで来てるの???!) えー、
   大塚、巣鴨、ですよね」
小田「え?池袋・・・うーん、池袋〜、駒込、巣鴨、じゃないんですか」
榮谷「え?池袋・大塚・巣鴨・駒込ですよ」
小田「あれ?」

もしかすると、小田さんのためには巣鴨にしてあげたほうが、 道に迷わなくてすむかもしれません。





2001/01/13 味の素
2月にひがぴょんのお知り合いのイスラーム教徒が来日なさるので、
ひがぴょんはハルコスに、
豚酵素入り味の素を使っていない居酒屋を探しておいてください」
とメイルをくれた。