21番目の妻にさせられそうになった話 1999/September/13


 ケニアの言語調査から戻りました。世界第3位の規模のビクトリア湖に行き、バントゥー諸語のひとつであるスバ語という言語の記録をしてきました。

 マラリア、腸チフスの流行地での調査でしたが、丈夫な私は何事もなく、無事帰ってきました。ただ、研究協力者が腸チフス(ちゃんと変換できるんですね、この単語!日本では死語かと思っていたのに)にかかった時には、ちと慌てましたが、ワクチン、治療薬が整っているので、だいじょうぶ。

 ビクトリア湖湖畔の町キスムで1泊だけしたあるホテルでは、客室階下のカジノ武装集団に襲われ、警備員がライフルで打たれて60万円相当が強奪されるという事件がありました。私は、銃声で目を覚まし、犯人たちが車で逃走 するのを目撃しました。その晩は(事件は夜中の12時ころ)、もちろん 一睡もできませんでしたが、くだんの腸チフスにかかった研究協力者(この時点ではもう病気は回復していた)が、

疲れて寝ていたので銃声も聞こえなかった

とケロリとのたもうたのにはびっくりしました。私は隣の部屋で震えていたのに・・・。



 湖に浮かぶ無数の島のうち、ケニア側の島二つを訪れ、長老たちの話をMD(ミニ・ディスク)に録音してきました。スバ語は消えつつあり、お年よりしか話さないのです。

 105歳になるある長老は、私を21番目の妻に是非迎えたいと申し出てくれましたが、夫の承諾を得ないと・・・(^_^;といってごまかして きました。

 この人は奴隷貿易があるころをまだ記憶している人で、まさに文字通り歴史の生き証人という感じでした。 また、別な島の長老は、

「おまえの父親に是非飲ませよ、これを口にしたら我々は兄弟になるのだ」

と、秘蔵の密造蒸留酒(スワヒリ語でchang'aaというもの)を持たせてくれ、私は重い思いをして、やっこら、ビンを担いで帰国したのです。

 実家の父に飲ませましたが「焼酎と同じ」とのこと。材料は、アワ、ヒエなどの雑穀です。

 これで、父はアフリカに兄弟を得たわけです。そして長老は私の親父になった。うちのオヤジがアフリカの兄弟に会いに行きたいと言い出したらどうしよう。向こうのオヤジはそれを期待しているのですが。

 ここの長老のご先祖さまは、奴隷貿易商に奴隷を売っていた海賊(湖でも海賊っていうのかしらん?)だったそうで、それを誇りに思っているらしい話しぶり。先の105歳の長老のほうは奴隷として売られた側で、こちらは商人の方。短時間しか話を聞けなかったのが残念。

 この老人たちもやがていなくなり、この言語でこういう話をできる人がいなくなってしまうのです。だれか、歴史学者が住み込んでここで調査すればとても有益な情報が得られると思いました。

 成田⇒ムンバイ(インド)⇒ナイロビ でおよそ20時間。車で、ビクトリア湖湖畔まで8時間。そこからモーターボートで2時間半。

 水道も電気 もない小さい島です。人口1000人くらい。雑穀(っていう言葉しかないのが残念なのですが、ヒエ、アワなどの穀物)や野菜を育て、ヤギ、牛、鶏を飼い、魚をとってほぼ自給自足の暮らしですが、開発から取り残されたという感が強く、外国人が行くとすぐに援助を期待され、言語調査です、なんてのほほんと言っていられない状況でした。「有益な情報」とはいったい誰のために有益なのか。いろいろ考えました。
この調査結果は平成11年度第2回研究会で発表されました。
発表要旨は、こちらにちょろっと載っています。
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