A.C.ムーアハウス 1956年 『文字の歴史』 岩波新書


 本書は、A. C. Moorhouse の1946年の著作、Writing and the alphabet(London: Cobbett Press) の邦訳である。

 全6章から成り、各々が数節から成立っているが、大きく分けて2部構成の書である。第一部が文字の字形の歴史、第二部が文字に関する様々な話題をそれぞれ取り扱っている。

 第一部では、文字以前の視覚による伝達手段や絵画の利用から始まってアルファベットに至るまでの歴史が纏められているが、ここで面白いのは、文字以前の伝達手段でも文脈無しでは内容が明らかにはならない、と云う事実である。例えばイングランドの「棒ごよみ」では、同じ記号が2つの祭を表わしている。しかし、「この二つの祭がそれぞれおこなわれる日を当然心得ていそうな人が読めば、この二つの記号を混同することはなかったろう」、というのである(5頁)。あらゆる種類の文字に通じる原則が、こんな所にも既に現れているのは、人間の視覚に訴える(言語)記号の本質を考える上でも興味深い。

 但し、全体としては、アルファベットが最も優れた文字である、との先入観があるのが気になる。例えば、アルファベット式文字の事を「申し分のない、完全な成果」(29頁)と言っているし、第二部(159頁)でも「申し分のない媒介手段」としている。他の文字に関しては、「不幸なことに、クサビ形音標文字は「一記号一音」という原則をまもらなかった」(53頁)だとか、セム系の文字に関し、「母音記号がないために . . . それは、いまだ望みどおりの十分発達した道具とはいえなかった」(80頁)だとか、果ては「トルコは最近まで、アラビア・アルファベットの使用のために、進歩をひきとめられていた」(161頁)等、余り肯定的でない評価が下されている。31頁では、音変化の為に同音の文字が増える事を(日本語の「お」と「を」等もこれであろう)「後退」とすら呼んでいる。

 現段階では、それが実用に堪えるものである限り、文字体系の優劣を論じる事は危険である、と評者は考える。それは例えば、音素の少ない言語の方が、習得し易くて優れている、等とは言えないのと同様である。

 然し、だからといって、この本を頭ごなしに否定する事は出来ないと思う。他の似たような偏見に満ちた論考とは異なっており、極めて視野が広いからである。例えば、111頁以下では中国人が漢字に固執する合理的な理由として、時代や方言差を越えて理解する事が可能になる点と、同音文字の増加を防げる点を挙げている。 127頁以下では「表音式綴り方の体系というものは、何れを問わず、たえず改革がつづけられないかぎり、やがては時代おくれになってしまう」と云う重要な指摘をした上で、発音と乖離した綴りを固守してしまう理由を指摘している。興味深いのは、語源を、引いては意味を明らかにさせるのに役立つ、と云う点と、手書文字で混乱しやすい文字を他の文字に変えることで混乱を避けられる、と云う点である。

 164頁では、「むつかしい文字形式をもって」いても「文盲がほとんど存在しない」例として日本を挙げている(但しこれは、徴集兵を対象とした調査)。 アルファベット以外の書き方を、アルファベットを使用している言語を例に説明している点も本書の特徴として指摘しておこう。例えば古代ペルシャ語の音標文字で書いたアラム語をペルシャ語で読むと云う現象を、vizと書いてnamelyと読む現象に喩えている(34頁)。楔形文字等に見られる限定詞は、故人の名前の前に付ける記号†に喩えられている(54頁)。

 更には、113頁では、アルファベットに対する不満すら述べている。それは、「抽象という考えの上にたっていること」であり、掴み所がなく、入門の段階では音節文字よりも習いにくい、と云う点である(これが本当に弱点なのかどうかは別として)。

 戦後直後の欧米での文字研究がどのようなものであったのか、評者は不勉強にして知らないが、アルファベットが最も優れた文字であると考えている人が、以上の様な事を指摘しているのは、注目すべきではないかと思う。こうした事実こそ、文字は結局は単なる言語音の転写ではない、と云う重要な認識に導くものであるし、又一方では極最近でも、事実上Pikeの「a practical orthography should be phonemic.」と云う論のみを援用して正書法の問題点を云々している研究も存在するからである(攻撃しているようで申し訳ないが、Hirut W/Mariam のProblems of the ‘Wogagoda’orthography. (Interdisciplinary seminor of the I. E. S. 1st, Nazareth, June5-7, 1998)である。勿論、当該言語に音韻体系を正確に反映したアルファベット式正書法を採用する事の是非は別問題である。因みに引用されているPikeの研究は1961年のPhonemics. (The University of Michigan)である。念の為に付け加えるならば、HirutもPikeも、正書法に関しては或る面では柔軟な考え方も併せ持っている)。

 先程本書の視野の広さに就いて言及したが、この他にも、第一部ではエキゾチックな文字が幾つか紹介されているし、第二部では識字の問題もデータこそ古いがきちんと扱われている。そこでは、「訳者のことば」にもあるように、「文字をしることが、同時におくれた社会では生産増加という結果をうみだす」という「興味のあること」も述べられている。

 著者のアルファベット至上主義を鵜呑みにする事無く、以上の点に注意を払いながら本書を読むならば、これまた「訳者のことば」にあるように、本書が「内容は相当高いものである」と云う事がお分かり戴けると思う。


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