河野六郎・西田龍雄(1995)『文字贔屓』三省堂


 本書は、これから文字を研究しようと云う初心者の人に、是非一読が薦められる本 である。それは、文字研究の実に様々な分野が扱われているからである。実用的な話 から純粋に理論的な話、日本人にとって身近な文字から何が書いてあるかすら分らな い文字、著者の独創的な説の展開から過去の主要な研究の紹介、とバランスが取れて いる。文字研究の面白さや難しさがどの辺にあるのか、自ずと分ってくるであろう。

 本書は文字研究で有名な二人の対談を元にしている。どの程度、後から修正がなさ れたのかは知らないが、元が対話である以上、それに由来する欠点が自ずからある。 例えば、説明の足りない箇所が多々見られる。23頁のチェロキー文字がどのような 文字なのか位は少し調べれば解決する問題であろうが、104頁以降の反切や重紐問 題に関する議論は、相当の予備知識が無いと全く理解出来ないのではなかろうか。実 は評者も未だに理解出来ておらず、詳しく調べてもいない状態である。

 これに関連して、議論が何とも物足りなく感じられる箇所もある。例えば93頁以 降では、ハングルの形成原理として河野はパスパ文字が、西田は契丹小字が手本と 成ったと考えており論争しているのだが、いつのまにやら中途半端に終っている。1 63頁以降の解読の話も今一つ夢中になれない。契丹大字の数字がそもそも解読出来 たのは何故なのか、西夏文字もそもそもどうやって音価を突き止められたのか、と 云った点が面白いと思うのだがその辺りの解説は無い。

 しかし最大の問題点は、二人の会話が噛み合っていない箇所や、或いは一人の発言 の中に於いても論旨が不明な、乃至は極めて分りにくい箇所が随所に見られる事であ ろう。例えば45頁で西田の言う「そのような文字」とはどんな文字の事なのか?同 じ頁に「それと関連して」とあるが、どのような関連があるのか?又204頁では河 野がフレイザー文字を作ったのはアメリカ人かどうか訊ねているが西田は答えていな い(何でそんな事を態態訊ねるのか、と云う気もするが)。211頁で河野が「ワー ルド・ランゲージ」の問題を持ち出すのも唐突な感じがする。少し丁寧に本書を読ん で戴ければ、このように突っかかってしまう箇所は幾つも見付けられる筈である。こ れは学術書としては致命的な欠点であろう。

 尤も先にも述べた様に、元が対談なのだからこの種の欠点が出てくるのは已むを得 まい。単なる評者の理解不足かもしれない。何れにせよ、文字研究中級の人は、本書 だけを教科書の様に熟読することで文字に精通しようなどとは思わない事である。

 文字研究上級の人へ。ここで言う上級者とは、上述した欠点を自分で補いつつ読み 進められる人の事である。本書では先にも述べた如く文字研究の様々な分野・トピッ クに就いて論じられている。従って、注意深く読めば、今後の文字研究にとって重要 な課題を随所に見付け出す事が出来るであろう。或いは本書がそのきっかけとなるで あろう。評者自身が上級者かどうかは扠措くとして、個人的には文語の問題と六書の 考え方が気に成った。

 前者は118頁から128頁で論じられている。西田119頁「(甲骨文の)当時 はたぶん口語を書き表そうなんでつもりは全くなかったと思います」、河野120頁 「儀式で使われる話し言葉の伝承があって、それをまず文字ができたときに書いたの ではないか」、西田127頁「文字を創ることによって、文字を確定し言葉を推敲す ることによって、いわゆる文語的なものができてきた」と云う指摘は示唆に富み、文 字の本質を考える上でも避けては通れないだろう。

 六書に就いては138頁以降で論じられている。河野の卓見には脱帽するばかりだ が、この文字は会意文字、この文字は象形文字、と一つ一つの漢字を6つのどれかに 分類するのは難しいのではないか、と云う気がする。例えば144頁に「「止」とい う字は一般に足の象形なんですね」とあるが、この字は「足」と云う意味では少なく とも現代日本では使われない。「山」が象形文字であるというのとは大分事情が異な る。「歩」と云う字も一説には(片足ではなく)左右の足を象った物らしいが、それ ならこの字は象形文字なのか会意文字なのか。そして何故「止まる」ではなく、「歩 く」と云う意味になったのか。こう考えると、寧ろ、文字の形成・発展段階で「現物 を何とか象ろうとする」努力、「何とか音を示そうとする」努力(この際に既存の文 字を利用したりもする)、「何とか意味を伝えようとする」努力(時には頓知紛いで あっても構わない)が文字毎に様々な割合で見られる、と云うのが実情ではないだろ うか。西田の言う「注音文字」(154頁)と云った術語もこうした観点から検討する必 要があり、他面では又、こう考えてこそ六書の原理が漢字以外の文字にも適用出来る ように成るのでは、と云う気がするが、取敢えず深入りはしないでおく。


 モジモジレファランスの目次に戻る