藤枝晃 1999 『文字の文化史』 講談社学術文庫 (初版 1971 岩波書店)


 本書は、文字を扱ったものではあるが、文字そのものが直接の対象ではない。寧ろ、何を使って何に書いたか、それはどのようにしまわれたのか、と云ったハードの面が考察されている。

 このような、周辺的な事柄が字形そのものにも影響を与える点があるのは面白い。例えば56頁では同時期に存在する、流麗な線を多用する銅器の銘文の書体と、殆どの筆画が鋭い直線より成る甲骨文の違いを、材料、及び内容の相違に帰して考察している。98〜100頁では、篆書、隷書、楷書の書体の変遷を、筆の進化と関連付けている。

 基本的には紙にボールペン(に類した道具)を使って書くのが常識となってしまった今日、文字化の問題を考えるに際してはこうした事は殆ど考慮される事はないと思われるかも知れないが、文字をコンピューターで処理しやすいように色色工夫、或いは苦労している事実は、これに通じるものであろう。

 何れにせよ、文字そのものと文字の周辺の関係は、もっと考慮されてしかるべきである。講談社学術文庫版には石塚晴通氏の的確な解説が付されているが、それによると、「筆者の専門分野の国語学から見ても得るところが大きい本である」との事である。

 この本は、基本的には、先にも述べたように、文字の周辺を扱ったものである。然し、文字そのものに関する面白い考察、指摘も所々に見られる。最後にそれらを幾つか紹介しておこう。

 18頁では、字はかなり抽象化の進んだものである点が、象形文字とは言え、元の絵とは簡単には結び付かない点や、「一、二、三」の様な抽象的な文字が昔の書体も余り変わらない事を根拠に述べられている。32頁には殷の時代の文字使用に関し、随分複雑な事を書き表せるようになった段階でも、家紋にだけは原始的な象形を頑固に保ち続けていた、とある。70頁では、春秋戦国時代の文字の地方差が指摘されている。これなどは、現代のその他の地域でも幅広く調べてみる価値のあるテーマだろう。230頁以降では、漢字の周辺の文字が紹介されている。女真文字に関しては、「出来の悪い字」と言っている。契丹、西夏、女真の諸文字に関し、「苦心して作った独自の文字」であるために、「かえって無理が多かった」とある。「漢字が音を示すと同時に意味をも表わすという便利さを採り入れようとした。ことによると、音だけ示して意味を表わさないものは、文字ではないと考えていたのではなかろうか。もともと言葉の構造が違うのに、その無理を敢えてしたところに、これらの文字が広く普及もせず長続きもし得なかった原因があるように思われる」とのことであるが、このような事を言う以上、具体的な例を基に、慎重に論じて貰いたいところである。


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