Archive20111 :: ILCAA Ishikawa Project 2010

2011年度第1回研究会(通算第3回目)

日時:2011年7月23日(土曜日)13:30-19:00
会場:AA研マルチメディア会議室(304)
共催:基幹研究「アフリカ文化研究に基づく多元的世界像の探求」&Fieldnet

報告1. 藤岡悠一郎「ナミビア北部に暮らすオヴァンボ農牧民の雑穀栽培と農牧複合の変遷」
 本報告では、アフリカ大陸の乾燥地の広い範囲で営まれている農牧複合の実態と歴史的な変遷について、ナミビア共和国北部のオヴァンボ農牧社会を事例に検討した。発表では、最初にアフリカ大陸における農牧複合の広がりや形態に関する先行研究を概観した後、ナミビア北部地域にみられる雑穀栽培や家畜飼養の具体的な複合状況について提示した。次に、農牧複合の歴史的な変遷について、植民地統治による政治経済的な周縁化やアパルトヘイト政策などとの関連から検討し、かつて共同利用されていた乾季放牧地が世帯ごとに柵で囲まれた私的放牧地(キャトルポスト)へと変化していく過程を明らかにした。そして、現在の農牧複合の実態として、キャトルポストを設置する世帯が一部の富裕世帯に限られるなど、世帯格差が拡大している状況を指摘し、かつての農牧複合の形態との差異を考察した。キャトルポストの設置は国家の法律のなかでは“違法”とされているが、歴史的にみるとこれまでの農牧複合の延長線上にあり、また地域の内発的発展につながる可能性を有していた。しかし、土地が不足しつつあるなか、農牧複合を行える世帯が富裕世帯に限定されつつある現状は、長期的な視点でみると大きな問題を内包していることが示唆された。

報告2. 石山俊「サハラ南縁半乾燥地の農業と環境変動」
 乾燥-半乾燥帯の境界に位置する、チャド湖地方(チャド湖周囲)の生業は、河川・湖沼、氾濫原、凹地、微高地、砂丘といった地形的条件と降雨量の生態的条件によって基礎づけられる。こうした地形的、気性的特性に従って、チャド湖周囲では、農耕、牧畜、漁撈といった多様な生業が可能となる。チャド湖南岸半乾燥地域の栽培穀物でみると、微高地ではトウジンビエ、モロコシ栽培、氾濫原、凹地ではメイズ、ベレベレおよびムスクワリ(ともに乾季作のモロコシ)といった作り分けがなされる。チャド湖南岸に位置するB村の16世帯の事例からは、メイズ、ベレベレの収穫量は、全体の46.6%にも達し、氾濫原、凹地利用の重要性がうかがえる。また、家畜飼養、乾季の賃金労働は、不安定な降雨に起因する穀物収穫の不安定を補う手段となっている。口承伝承によれば、チャド湖南岸に現在分布する農耕民カネムブは、19世紀末から1960年代にかけて可耕地を求めてチャド湖東岸から移住したことが明らかになった。この時期、干ばつによってチャド湖東岸では、天水農耕が困難となりカネムブの南進を促した。移住先のチャド湖南岸では、それまで穀物栽培に不適切で人口希薄であった湿地帯が干出し、可耕地となったことが移住を可能にした主な要因であると考えられる。

報告3. 工藤晶人「アルジェリア北部における土地制度史と植民地農業」
 本報告では、仏領植民地期アルジェリアにおける土地制度史を概観したうえで、植民地統治によってつくりだされた空間構造が現在に至るまで農業のあり方を規定している実例を観察した。第一に、土地制度については、その背景となる複層化された地方行政制度が19世紀半ばから1870年代にかけて整備された過程をたどった。なかでも、混合自治体という制度の位置づけについて述べた。第二に、土地法制に関しては、フランスの東洋学者たちがイスラーム法の土地制度をどのように整理し、それを尊重するという名目のもとで事実上は新しい土地権のカテゴリーをつくりだした過程を考察し、さらに、そうした社会的創造がおこなわれたこと自体について同時代人のフランス人が自覚的であった事実を指摘した。第三に強調した論点は、土地制度改造の過程にはさまざまな試行錯誤と矛盾が折り重なり、結局、土地法の「フランス化」という目標が結局は完遂されることはなかったことである。報告の最後では、一連の土地制度改造を背景として、ほぼおなじ自然条件のもとで対照的な景観(穀物中心の大規模農業と、野菜栽培中心の小規模農業)が形成された実例を、コンスタンティーヌ地方の事例に則して紹介した。