Archive20102 :: ILCAA Ishikawa Project 2010

2010年度第2回研究会(通算第2回目) 

日時:2010年12月4日(土)13:00-18:00
場所:AA研マルチメディア会議室(304号室)
共催:基幹研究「アフリカ文化研究に基づく多元的世界像の探求」,Fieldnet

報告1. 佐藤靖明「ウガンダにおけるバナナ農耕と品種多様性―歴史研究に向けて」
 ウガンダ、タンザニア、ルワンダ、コンゴ民主共和国等にまたがる東アフリカ内陸部の大湖地方には、多くのバナナの地方品種が栽培利用されている。本報告ではウガンダ中部ガンダ社会での調査結果をもとに、その品種多様性を歴史的観点から検討していく可能性が論じられた。作物の品種多様性は人と植物の相互的な関係をとおして維持されており、一般に(1)植物の遺伝的分化、(2)人間による認識・命名、(3)人間による栽培・交換といった側面からとらえることができる。ここではとくに(3)を理解する際の時間スケールが検討された。過去における品種の入手、栽培形態、土地制度を調べた結果、まず、それぞれの畑に品種が蓄積される傾向が確認された。そして、世帯の生成過程に注目して、つまり数十年を一つの基本的なまとまりとして品種多様性をみていくことの有効性が示された。さらに、長期間にわたり同じ場所で生育、更新するバナナの特性が品種の維持に貢献していることが明らかになった。歴史を軸とした研究を今後展開するにあたって、品種多様性に関わるミクロな行為が、バナナ栽培を基盤とする世帯の生計の安定性・持続性、あるいは世帯内での女性の役割の変化とどのように関わってきたのかをみるといったアイディアが挙げられた。

報告2. 藤本武「調理法と社会の関係についての一試論:エチオピア西南部のエンセーテ栽培民の比較考察から」
 本発表では、エチオピア西南部で今日も主要な食糧源として栽培されるバショウ科の多年生作物エンセーテの加工調理法を社会との関係から検討を試みた。エンセーテに関しては、これまでその高い栽培収量や品種の多様性、多元的な利用法、野生から栽培へのドメスティケーションなどが主に議論されてきた。しかしエンセーテの食用利用の方法について十分な議論がなされてきていない。いくつかの先行研究でも指摘されているようにエンセーテの栽培方法は民族間に大きな違いがみられる。もっとも重要な主食作物として手間をかけて単作的にそして大量に栽培する民族がいる一方で、食用作物のひとつとして片手間に少量栽培するだけの民族もいるという具合である。じつはこうした栽培の仕方と対応するかたちでその食用利用の仕方も民族間でかなり異なるのである。エンセーテを多く栽培する民族はその根茎と偽茎を加工してそれらにふくまれる澱粉を長期間発酵させてから無発酵パン等に調理するのに対し、少量栽培する民族は掘り出した根茎をその日のうちに簡便に蒸し煮したり蒸し焼きにして食べることが中心的である。これらの民族間の加工調理のちがいはなぜみられるのか、また栽培の仕方と利用の仕方が各民族ごとになぜ対応した形でみられるのかを、発表者がフィールドワークを行ってきている山地農耕民マロの栽培利用の仕方から考察を試みた。マロのなかでもエンセーテを各世帯百本以上栽培する集落がある一方で、数本程度しか栽培していない集落もあるのであった。集約化の議論は従来生産(栽培)に関してなされてきたが、消費(利用)に関しても適用可能な側面があることを指摘した。

報告3. 石川博樹「北部エチオピアのエンセーテ―関連史料の再検討」
 エンセーテ(学名Ensete ventricosum)はアフリカに分布するバショウ科の植物である。この植物は現在でもエチオピアの南西部において広く栽培されており、その根茎部や偽茎に蓄えられた澱粉を食用とするという特異な利用が行われていることが知られている。17、18世紀に北部エチオピアを訪れたヨーロッパ人たちは、この植物が青ナイルの源流域近辺において栽培され、食用利用されていたことを報告している。これらの記述については様々な解釈がなされてきたものの、未解明の問題が多々残されている。そこで本稿では、ゲエズ語史料およびエチオピア王国を訪れたヨーロッパ人の報告に見えるエンセーテ関連記述を再検討することにより、北部エチオピアにおけるエンセーテの食用栽培がいかなる歴史的背景を持つものであったのかという点を考察した。その結果、オロモの進出以前には、青ナイルの南に位置するフィンチャ湖周辺地域にエンセーテを食用とする複数の民族集団が居住していたこと、17世紀から18世紀にかけて青ナイル源流域近辺で見られたエンセーテの食用栽培はこれらの集団と関係が深いことが明らかになった。