上造・上造の妻以上、罪有り其れ當に刑すべき及び當に城旦舂とすべは、耐して以て鬼薪・白粲と爲し[i]、其の當(まさ)に耐すべきは其の耐[ii]を以て之れを致して耐せよ。其れ贖罪有るは、各々其の贖を以て之れを論ぜよ。□〼
[i] 耐以爲鬼薪、また「耐爲鬼薪」或は「耐鬼薪」とも稱し、秦律複合刑の一つ、專ら葆子および上造以上の特權身份に適用される。「耐」は、身體刑(簡8-0144+8-0136注?參照)、「鬼薪」は、刑徒身分の一つで、「爲」は、身分變更を表す。つまり、「耐爲鬼薪」とは、「耐」を施した上で、「鬼薪」の身分に貶めることを意味する。『二年律令』〇八二には
082 上造、上造妻以上及內公孫、外公孫、內公耳玄孫有罪,其當刑及當爲城旦舂者,耐以爲鬼薪白粲。
上造・上造の妻以上、及び內公孫、外公孫、內公耳・玄孫に罪有らば、それまさに刑すべき(もの)、及びまさに城旦舂と爲すべき者は、耐して以て鬼薪白粲と爲す。
というように、身分による刑罰の讀み替えに關する明文規定が傳えられる。『秦律雜抄』に
005 (前略)●有爲故秦人出削籍,上造以上爲鬼薪,公士以下刑爲城旦。●游士律。
故(もと)秦人が爲(ため)に籍を出・削する有らば、上造以上は鬼薪と爲し、公士以下は刑して城旦と爲す。 游士律
と見えるように、上造以上の身分に對する刑罰の讀み替えは秦律にもすでに存在していたようである。
耐以爲白粲、白粲は、男性刑徒の「鬼薪」(簡8-1566注?參照)に對應する女性の刑徒身分(簡8-1335+8-1115注?參照)、耐と組み合わせて複合刑を構成することは、耐以爲鬼薪と變わりがない。
[ii] 耐、秦律身體刑の一つ、「耐爲司寇」(簡8-0756注?参照)・「耐爲鬼薪」(簡8-0805注?参照)等、「A爲B」という形式の複合刑罰を構成する。刑(=肉刑)が常に「城旦舂」という身分を伴うのに對し、耐は、受刑者の元の身分および罪狀等により、候・司寇・隸臣妾・鬼薪白粲という四種の身分と組み合わせて用いられることが確認される。身體措置の「耐」若しくは「刑」(及びそれに代わる「完」)と身分の閒に位置する「爲」は、「封爲侯(封じて侯と爲す)」、「拜爲卿(拜して卿と爲す)」と同樣に、身分變更を表す。
なお、「耐」は、唐代以來、剃髮の「髡(こん)」に對して、「鬚(ひげ)(もしくは鬚鬢)」を剃り落す刑罰として理解されてきたが、それは、漢代の史料記載、卽ち
完其耏鬢。
その耏(じ)鬢(びん)を完(まっと)うす。
という『漢書』高帝紀顏師古注所引の應劭注等と明らかに矛盾する。後漢の律學では、「耐」は、「髡」が科せられない完城旦舂以下の「輕刑」の總稱として用いられ、『説文解字』而部に
耏,罪不至髡也。从而、从彡。耐,或从寸。諸法度字从寸。
耏(たい)、罪、髡に至らざる也。而に从い、彡に从う。耐、或は寸に从う。諸々の法度、字寸に从うなり。
と見える許慎の字釈も、「髡に至らず耏(じ)鬢(びん)を完(まっと)うする」という意味で、後漢律学の常識を反映したものと理解される。後漢律学の総称と違って、秦律では、「耐」は、例えば嶽麓秦簡(肆)の律令簡牘に、
271 (前略)徒隷
272 𣪠(繫)城旦舂、居貲贖責而敢爲人僕、養、守官府及視臣史事若居隱除者,坐日六錢爲
273 盜┛。吏令者,耐。(後略)
(前略)徒隷、城旦舂に繫ぎ、貲に居し責を贖うに、敢えて人僕・養と爲り、官府を守し及び臣史が事を視若しくは隱に居して除かる者は、日ごとに六錢に坐して盜と爲す。吏の令する者は、耐す。(後略)
と窺えるように、正刑の地位に置かれ、且つ『法律答問』に
109 葆子獄未斷而誣告人,其辠(罪)當刑爲隸臣,勿刑,行其耐,有(又)𣪠(繫)城旦六歲。(後略)
葆子、獄未だ斷ぜずして人を誣告し、其の罪當(まさ)に刑して隸臣と爲すべきは、刑することなく、その耐を行う。又城旦に繫ぐこと六歲。
とあるように、「刑」(肉刑)と並ぶ具体的な制裁措置を内包する。さらに、正刑の「刑」と「耐」が、『法律答問』に
104 (前略)●主擅殺、刑、髡其子、臣妾,是謂非公室告。勿聽,而行告者辠(罪)。(後略)
主擅(ほしいまま)にその子・臣妾を殺・刑・髡するは、これを公室告に非ずと謂う。聽くことなく、告ぐる者の罪を行う。
と見える私刑の「刑」と「髡」と對應關係を有すると考えられることから、秦律の「耐」は、剃髮を意味していたと推測される。