文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
【某年某月】丁巳朔甲子(08)[i] 、貳春鄕の茲、敢えて【之れを】言う。 |
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本文 |
状況説明 |
【……】 |
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【……】吏曹發(ひら)け【と署(しる)せ。】 |
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用件 |
●今、之れを問うに、 |
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邛[ii]は上造【……。】 謁うらくは、治□及び(?)【……】に言え。【……。】 |
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書止 |
【敢えて之れを言う。】 |
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附記 |
集配記録 |
【(某月)某日某時、某人、以て來る。/某半く/發く。】[ⅲ] |
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作成記録 |
【某手す。】 |
[i] 殘缺部分の年月は、始皇帝三十年七月と同三十五年八月の可能性がある。案ずるに、遷陵縣の設置期閒中、「丁巳朔」が出現するのは、秦王政二十五年四月・秦始皇帝三十年七月、同三十五年八月の三回である。一方、茲という人物は、既發表の史料では、三十年六月から三十五年九月までの閒にその存在が確認される。三十一年十月までは、守嗇夫(「司空守嗇夫」、簡8-1647・9-1078正+8-2429正・8-0525+8-0351+8-0216・8-0271+8-0029)という官職しか見受けられないのに對し、三十二年七月の「司空嗇夫」(簡9-0590正)を經て、三十四年二月や同年八月には「貳春鄕嗇夫」(簡9-0050正)と「遷陵守丞」(簡9-2224・8-1196+8-0424)として史料上現れる。茲以外、三十年と三十五年の間に貳春鄕嗇夫として確認できるのは、三十年十一月の徹(9-0564+9-0516)と三十六年六月以前の渠(8-1007+8-0754正)であるので、三十年七月に茲が嗇夫を務めた可能性を排除することができない。(なお、茲が三十年前後に令史として見えないことや三十四年に属吏最高職の遷陵守丞を務めることから、三十二年ないしは三十四年に、官/鄕の嗇夫に昇進したと考えることもできない。)邛という人物は、二十九年九月(8-0645背)と三十年十月(8-1515背)には、貳春鄕史として見える。
[ii] 邛、人名、二十九年九月(簡8-0645)および三十年十月(簡8-1515)には貳春鄕の史として確認される。本簡は貳春鄕が邛という人物に關する調査依賴を受けて返答したものと推定される。
[ⅲ] 據文書格式,本簡背面左側應有收發記録,疑本簡爲削衣,因此背面無字。