讀下:8-2004a+8-0487=8-2004b

文書構造

讀み下し文

添付書類(戶數)

二十八年、百九十一戶を見す[i]

二十九年、百六十六戶を見す。

三十年、百五十五戶を見す。

三十一年、百五十九戶を見す。

三十二年、百六十一戶を見す。

三十三年、百六十三戶を見す。

{筆跡の異同は判然とせず。}

文書本體

書出①

三十四年(213)八月癸巳朔癸卯(11)、戶曹令史の

用件①

二十八年(219)より以て三十三年(214)に盡くる見戶數を牘背に疏書し、

書出②

獄に移す。

用件②

具に集めて上すこと、

書止

請史書[ⅱ]が如くせよ。

附記

集配記録

作成記録

手す。

[i] 見、修飾語としては、「見錢」や「見戶」のように現有の意(簡8-0517+8-0619注?參照)、本簡の「見」はその動詞的用法。字義は、「現れる」というよりも、「みる・みえる」という「見」字に近いように思われる。或いは直接に「二十八年、百九十一戶を見る」等と讀むべきかもしれない。

[ⅱ] 請史書、請史は、史に請うという文字通り、「史」に代表される下級役人に対して行われる請願、請史書はそれを書き留めた文書、つまり請願書と推定される。懸泉置漢簡(Ⅱ90DXT0115③:20)には、

廣利里女子成功請史自言:夫誼十二月爲縣泉司御,取宜王里董明自就賈錢五百。明不肯,爲誼居御,逋鄕復乃
廣利里の女子の成功、史に請うて自ら言う。夫の誼、十二月縣泉の司御と爲り、宜王里董明の自就賈錢五百を取る。明、肯んぜず、誼が爲に御に居せしめられ、逋鄕復乃(……)

というように、成功という名の女子が、夫の誼が巻き込まれたトラブルについて、自言の形式で史に対して請願を行う姿が見える。本簡では、戶曹が秦始皇二十八年から三十三までの戶数を獄に報告し、獄に対してさらに関連資料の集成と上級への報告を求めており、それが何らかの請願に基づくと考えられるが、詳細は不明。