讀下:8-1946+8-1873

文書構造

讀み下し文

基本情報

陽里戶人司寇の寄。

戶籍構成員

妻、備と曰い、戶を以て廬江(郡)に遷されし[i]

変更事項

三十五年(212)【……。】

[i] 形状〇一型の戸口関連簡牘には、筆頭に記載されている人物について、転居・出産といった戸口関連情報の変更が記されるという共通点が認められ、多くの場合変更に関する記述の冒頭に紀年が置かれる。変更に関する記述は、空白を開けて書かれたり、文字の大小が異なったりして、前文と明確に区別されることも多いが、それは、当該名籍が年度末に纏めて作り直される作業に備えて、年度の途中でメモ書きされたものと推定される。また、筆頭に置かれた人物と戸口関連情報の変更に関する記述の間に、他の家族もしくは戸籍構成員に関する情報が付記される場合もある。

本簡釈文および読み下し文の句読は前述した様式論的特徴に基づいているが、その結果、「戶を以て盧江に遷されし」という強制移住に関する記述は、妻の備が主語と解釈される。戸全体が盧江に移されたのに伴い、妻の備は、盧江に遷ったが、筆頭人物の寄は、戸人ながら、「司寇」という身分の故、(残留して)遷陵に服役している模様である。三十五年に生じた戸口関連情報の変更は、この戸人の寄に関わると考えられる。

なお、本簡の場合には、「妻」から末尾の「三十五年」までは、明確な筆跡の変化もしくは顕著な空白が認められないため、年度途中のメモ書きがどこから始まるかは必ずしも一義的に確定できない。或いは、「以」以下の記述が全て戸人の寄に関わる戸口関連情報の変更に関するメモ書きである可能性も否定できない。その場合には、釈文及び読み下し文は下記の通り変更しなければならない。寄については、元遷陵所属の司寇であり、年度の途中で遷刑を受け戸と共に盧江に強制移住させられたと解される。しかし、戸人が強制移住となった場合には「戸を以て」と明記する必要があるか否か、またなぜ紀年がメモ書きの冒頭に置かれていないか等、様々な解釈上の疑問が残る。

或いは

文書構造

讀み下し文

基本情報

陽里戶人司寇の寄。

戶籍構成員

妻、備と曰う。

変更事項

戶を以て盧江に遷り、三十五年(212)【……。】

  

文書構造

讀み下し文

基本情報

陽里戶人司寇の寄。

戶籍構成員

妻、備と曰い、戶を以て遷されし。

変更事項

廬江(郡)(より?)、三十五年(212)【……。】