敬を訊ぬるに、令に曰わく、諸て吏治めて已に決したるに、更めて治むる者有り、其の罪卽し重くし若しくは益々輕くせば、吏の前に治むる者は皆な當に縱・不直を以て論ずべし。今、甾等、當に耐を贖うべければ、是れ卽ち敬等、縱ちて(これを)論ぜざるなり。何故、縱を以て【敬】等を論ぜざるや [i] 。何にか解する。辭して曰わく、敬等、鞫獄して能く審らかにせず、誤りて律に當たらず。甾等 [ii] は、故縱ちて論ぜざるに非らざる也。它は劾が如し。
贖(標題?)
[i] 簡8-1132の末尾に一字程度の欠損があり、何有祖「里耶秦簡牘綴合(八則)」を参照して、文脈に基づいて人名の「敬」を補った。前掲宮宅論文は、「甾」字を補うが、文脈に合わない。本簡は甾等に対する裁きにおいて誤判をした敬等に対する詰問の後半を記載しており、敬等が甾等を違法に無罪とした事実(「縦」)を指摘した上で、なぜ敬等に対してその罪名(「縦」)を適用して論断を行わなかったかを問い詰めている。甾等は、別の罪名のため「贖耐」に論じられるべきこととなっており、欠損個所が問題にしている縦罪の適用対象になっていない。一方、「敬」の字を補えば、取り調べを受けている敬等が自らを「縦」の罪で裁くことになり、現代的な感覚からすれば不自然な点があるが、簡8-1007+8-0754の記載では、遷陵丞昌が実際に自らを尋問していることとなっている。また、『為獄等状』事案一「癸、瑣相移謀購案」では、州陵守の綰が、自らが初審を担当して郡から「綰を貲るべし」として弾劾を受けた事案の覆審を担当しており、吏議では、綰を論ずべしと論ずべからずと意見が真二つに分かれ、実際に、綰の主宰で、綰に対する審議が行われている。
秦漢の法律制度では、行政罰と刑事罰とは形式的に区別されないが、本事案では敬等が、『為獄等状』の事案では綰等が自らを論断するのに対し、『奏讞書』事案十五では、縣官米を盜んだとされる元醴陽令の恢が郡の役人によって裁かれることから、実質的には区別がなされたと考えるべきであろう。本事案では、「反坐」の法理によって予想される「贖耐」という量刑が自ら処理できる行政罰の限度で、「贖刑」もしくは「耐罪」以上の事案については、上級機関によって取り調べなどが行われる刑事罰の領域と認識されていた可能性が高い。
[ii] 「甾等は」とは、「甾等について」という意味で、当事主語と捉えるべきである。つまり、甾等について、我々敬らが彼らをことさら放免して論じなかったのではないという形で、この文は先行する敬等鞫獄云々のことを、もう一度甾等の事案を軸に言い換えた表現と理解される。