讀下:8-1566a=b

文書構造

讀み下し文

添付書類(日食)

本文

城旦[i]、鬼薪[ii]は十八人。    小舂は三人。

小城旦は十人。          隸妾の貲[iii]に居する[iv]は三人。

[v]は二十二人。

文書本體

書出

三十年(217)六月丁亥朔甲辰(18)、田官守[vi]の敬、敢えて之れを言う。

本文

日食[vii]を牘背[viii]に疏書し[ix]、上す。

書止

敢えて之れを言う。

附記

集配記録

戊申(22)、水下五刻、佐の壬、以て來る/尚半(ひら)

作成記録

逐手す。

[i] 城旦、初出。

[ii] 鬼薪、刑徒身分の一つ、耐と組み合わせて「耐爲鬼薪」という複合刑罰を構成する(簡8-0805注?參照)。『漢書』惠帝紀の顏師古注に引用される應劭の説によれば、「鬼薪」は、「取薪給宗廟(薪を取りて宗廟に給す)」という役務を指すというが、秦漢の出土資料からは、鬼薪の勞役内容が特定の役務に限定される傾向は確認できない。里耶秦簡の作徒簿のほか、『法律答問』に

123   城旦、鬼薪癘,可(何)論?當䙴(遷)癘䙴(遷)所。

城旦・鬼薪癘(えや)まば、何にか論ずる。當(まさ)に癘遷所に遷すべし。

等と散見する「城旦」との倂記表現から見る限り、鬼薪という身分は、實質的には、「城旦」と大差がないように思われる。

[iii] 貲、はかる義(簡8-2013+8-0198+8-0213注?參照)から轉じて、「資」と「罰」とに近い二つの字義を持つ。「貲」と「資」とには、「財」という共通の訓詁があるが、兩字の上古音は、支母(母音e)と脂母(母音i)と異なり、それぞれ異なる語を表記すると考えられる。資が、貨幣の「貨」や行用の「用」といった訓詁に象徵されるように、ある目的に用いられる財を指すのに對して、貲には、『晏子春秋』外篇に、

景公賜晏子狐之白裘〈白狐之裘〉,玄豹之茈〈冠〉。其貲千金。

景公、晏子に白狐の裘と玄豹の冠を賜う。その貲(あたい)は千金。

と、『管子』乘馬數に、

布織財物,皆立其貲,財物之貲,與幣高下。穀獨貴獨賤。

布織と財物、皆なその貲(あたい)を立つるも、財物の貲、幣(ぜに)とともに高下す。穀、獨り貴(たか)く獨り賤(やす)し。

とあるように、「價」という字義が認められ、それは、「はかった」結果としての價値という意味で、「量(はか)る」義の轉義と考えられるが、財と訓ぜられる貲は、はかるべき價値のあるものの總體、つまり、財產と理解される。『鹽鐵論』未通に

往者,軍陣數起,用度不足,以訾(貲)徵賦。

往者(さき)に、軍陣しばしば起り、用度足らざれば、貲(し)を以て賦を徵す。

とみえるように、それは、政府が物資や税金の徵發と關連して量って把握する財產である。『史記』司馬相如列傳には、

以貲爲郞

貲を以て郞と爲り、

といい、『漢書』司馬相如傳には

以訾爲郞

訾を以て郞と爲り、

といい、顏師古注も、

訾讀與貲同。貲,財也。以家財多得拜爲郞也。

訾は、讀みて貲と同じ。貲は、財なり。家財多きを以て拜して郞と爲るを得る也。

と指摘するように、財產という意味では、訾と貲は明らかに通用されるが、出土資料では、多く「訾」字を用いる。『爲獄等狀四種』には、

108     【敢𤅊(讞)】之:十八年八月丙戌,大女子𡟰自告曰:七月爲子小走馬羛(義)占家訾(貲)。(後略)

敢えて之れを讞(もう)す。十八年八月丙戌、大女子の𡟰、自ら告げて曰わく、七月に子の小走馬の義が爲に家貲を占す、と。

といい、『二年律令』には、

411     發傳送,縣官車牛不足,令大夫以下有訾(貲)者,以訾(貲)共出車牛,及益令其毋(無)訾(貲)者與共出牛食、約、載具。(後略)

傳送を發(おこ)すに、縣官が車牛足らずんば、大夫以下の貲有る者に令して、貲を以て共に車牛を出だし、及び益して其の貲無き者に令して與(とも)に共に牛食・約・載具を出ださせよ。(後略)

という。居延漢簡の簡37.35(A32)には、

 

小奴二人直三萬,

用馬五匹直二萬,

宅一區萬,

候長觻得廣昌里公乘禮忠年卅:

大婢一人二萬,

牛車二兩直四千,

田五頃五萬。

 

軺車二乘直萬,

服牛二六千,

●凡訾直十五萬。

と、候長禮忠の家產の目錄の末尾に、「凡そ訾(し)、十五萬に直(あたい)す」と資產總額を記しており、簡16.2(A7)には、

入粟大石二十五石。

車一兩,

始建國五年六月、 令史 受訾家當遂里王護。

輸甲溝候官

粟大石二十五石を入る。車一兩、甲溝候官に輸る。始建國五年六月、令史 、訾家の當遂里の王護より受く。

と、資產のある家を「訾家」と稱している。

一方、刑法の領域では、はかる義から轉じて、輕犯罪を對象とした秦律特有の制裁形式として「貲」が用いられる。この貲の字義については、『説文解字』貝部に、

貲,小罰以財自贖也。从貝、此聲。『漢律』:民不繇貲錢二十二。

貲、小罰、財を以て自ら贖う也。貝に从い、此の聲。『漢律』には、民繇せずんば貲錢二十二(とあり)。

というように、許愼は、財產罰と解釋するが、それは、出土資料によって傳えられる秦律の記述と矛盾しており、僅かな規定しか殘されていなかった漢律に基づく漢代律學の理解を反映していると考えられる。睡虎地秦簡から判斷すれば、秦律の「貲」には、大きく分けて財產罰と勞役罰という二つの制裁方法があった。『秦律十八種』に

115     御中發徵,乏弗行,貲二甲。失期三日到五日,誶;六日到旬,貲一盾;過旬,貲一甲。(後略)

御中より發徵するに,乏する(もの)・行(い)かざる(もの)は,二甲を貲(はか)る。期を失すること三日より五日に到るは,誶(せ)め、六日より旬(とおか)に到るは,一盾を貲り。旬を過ぎば,一甲を貲る。

とあるのは、財產罰に屬しており、『數』簡〇八二-〇八三の記載により、貲一甲が錢千三百四十四、貲一盾が銭三百八十四に相當することが判明している。一方、勞役罰には、『法律答問』に

007     或盜采人桑葉,臧(贓)不盈一錢。可(何)論?貲䌛(徭)三旬。

或(ある)ひと盜(ひそ)かに人が桑葉を采(と)り、贓、一錢に盈(み)たず。何(いか)にか論ぜん。徭三旬を貲(はか)る。

というように、徭役の形をとる場合もあれば、『秦律雜抄』に

12       ●軍人買(賣)稟稟所及過縣,貲戍二歲。

軍人、稟(ふちまい)を稟くる所及び過ぐる縣に賣らば、戍二歲を貲(はか)る。

とあるように、邊境守衞の兵役が活用されることもある。

[iv] 居、おること、ここでは「居作」、つまり官府等に居りて諸種の勞役に從事することを指す。{未完。訓詁と出土資料の用例を追加すべし。}

居貲、貲のために居作すること。{未完。用例を追加すべし。貲字については、「貲罪」と「財」の兩論倂記}

[v] 舂、初出。

[vi] 田官、官職名担当。

[vii] 日食、初出。

[viii] 牘、初出。

牘背、初出。

[ix] 疏書、箇条書きに記すこと。

毒言 爰書:某里公士甲等廿人詣里人士五(伍)丙、皆告曰:「丙有寧毒言,甲等難飮食焉,來告之」卽疏書甲等名事關諜(牒)北(背)(後略)。睡虎地秦簡『封診式』91~92簡

涉乃側席而坐,削牘爲疏,具記衣被棺木,下至飯含之物,分付諸客。『漢書』原渉傳

疏の訓詁・字義?史料の読み下し文。