文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類 |
【酉陽盈夷鄕戶隸計校】 |
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文書本體 |
書出 |
三十五年(212)八月丁巳朔 、貳春鄕の茲(じ)、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
資料根據 |
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主文 |
┘今 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
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附記 |
集配記録 |
【(某月)某日某時,某人以て來る。/某發(ひら)く。】[vii] |
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作成記録 |
如意手す。 |
[i] 地名担当
[ii] 地名担当
[iii] 戶隸、初出
戶隸計、計は增減や總數を年度單位で記した帳簿・會計(簡8-1477+8-1141注?を参照)、戶隸計は、戶隸に関わる会計。本簡では、酉陽縣の盈夷鄕で戶隸として計上されていた成人女性が遷陵県縣貳春鄕に転入したため、盈夷鄕と貳春鄕では、それぞれ「付計」と「受計」(簡8-1477+8-1141注?を参照)の処理を行った。この手続によって、この女性は、盈夷鄕の会計から抹消され、新たに貳春鄕の会計に計上されたと考えられるが、婚姻等によって身分にも変更が生じた可能性があるため、貳春鄕においても戶隸計に計上されるとは限らない。
[iv] 大女子、初出
[v] 校、つらねる・ならべる義から轉じて、比較して調べる、つまり監査の意、さらに監査用の状況説明の意味にも用いる。徐鍇『說文解字繫傳』木部には、
鍇案:校,連木也。易曰何校滅耳,此桎也;屨校滅趾,梏也。又漢書校獵謂連接木以闌禽獸。又軍中有校隊,亦是也。
鍇案ずるに、校は、木を連ぬる也。『易』に、校を何(にな)いて耳を滅(しず)めると曰うは、此れ桎なり。校を屨(は)きて趾(あし)を滅(しず)めるは、梏なり。又た『漢書』の「校獵」は、木を連接して以て禽獸を闌(さえぎ)るを謂う。又た軍中に校隊有るも、亦た是れなり。
と、刑具から軍營までの諸種の字義を、木を竝べたり組み立てたりすることに由來するものと説明する。「校讎」・「校訂」等の義も、「竝べる」義に基づくと考えられるが、簡牘史料では、居延漢簡に、
校候三月盡六月折傷兵簿,出六石弩弓廿(二十)四,付庫;庫受嗇夫久廿(二十)三,而空出一弓,解何? 179.6 A33
候が三月より六月を盡くすの折傷兵簿を校(しら)ぶるに、六石弩弓二十四を出だして、庫に付したるに、庫、嗇夫の久より二十三を受く。而して空(むな)しく一弓を出だすは、解何ぞや。
とみえるように、多く、帳簿や文書を竝べて調べることを指す。里耶秦簡では、簡8-2010+8-0064等にも同樣な字義が確認されるほか、簡8-0063によって、「受計」と「付計」とを行った縣の閒に、「校」(もしくは「校券」)と稱する文字資料が交換されること、簡8-0166+8-0075によって、「校」という文字資料が、同名の「校」という監査手續に備える状況説明を指すこと、8-0164+ 8-1475によって、郡における「校」の監査手續に備えて、「校」が縣から上計吏を通じて郡に上呈されることが知られる。本簡では、貳春鄕における「受計」(=盈夷鄕からの轉入)を記した「校」が、遷陵縣の縣廷を通じて酉陽縣に送付され、盈夷鄕における「付計」(=貳春鄕への轉出)を裏付ける資料として上計書類と共に年度末に酉陽縣から所屬の郡に提出されると推定される。なお、「校」(もしくは「校券」)は、個別文書の自稱ではなく、「應書」と同樣に汎稱の一種と考えられる。つまり、具體的な狀況に應じて「某簿/籍」や「某書」といった樣々な書類が提出されるが、何れも「校」の手續に備えるための状況説明であるという意味で便宜的に「校」(もしくは「校券」)という呼稱が付けられる。
[vi] 從事、初出
[vii] 本簡左上方有隱約墨跡,據文書格式,此處應有收發記録,疑被刮削。なお、正面の干支も空白となっている。