讀下:8-1562a=b

文書構造

讀み下し文

添付書類(上行文書)

書出

二十八年(219)七月戊戌朔乙巳(08)、啓陵鄕の趙、敢えて之れを言う。

本文

資料根據

令、啓陵に令して獻鳥[i]を捕えしむるに、明渠(めいきょ)[ii]雌一を得たり。鳥及び書を以て尉史の㝼(う)に屬(しょく)し[iii],令して輸(おく)らしむ。㝼、受くるを肯ぜず、卽ち鳥送書[iv]を發(ひら)き、其の名を削去し[v]、以て小史の適に予(あた)う。適、これを敢えて受けざれば、卽ち適を詈(ののし)る。已にして又た船中より楫(かじ)を出だして操(と)り、以て趙を走らしむ[vi]。趙を奊訽(けいこう)し[vii]詈れり[viii]

主文

謁うらくは、上して獄治し[ix]、當(まさ)に論ずべくんば、論ぜよ。

書止

敢えて之れを言う。

附記

令史の上、その趙を詈るを見たり。

作成記録

/貝手す。

文書本体

書出

七月乙卯(18)、啓陵鄕の趙、敢えて之れを言う。

本文

前書の到らざるを恐るれば、寫して上す。

書止

敢えて之れを言う。

附記

集配記録

七月己未(22)、水下八刻、郵人の□[x]以て來る半(ひら)

作成記録

貝手す。

[i] 獻鳥、獻は……(簡8-0769注?参照)、……初出。

[ii] 明渠、初出。

[iii] 屬、たのむ・ゆだねる・付託するの意。傳世文獻では多く「囑」に作る。『呂氏春秋』貴公に

管仲有病,桓公往問之,曰:“仲父之病矣,漬甚,國人弗諱,寡人將誰屬國?

管仲、病有、桓公往きて之れに問う。曰わく、「仲父の病むや、漬(つ)かること甚だしく、國人、(これを)諱まず。寡人、將(まさ)に誰にや國を屬まん」と。

というのに對し、高誘は、

屬,託也。

屬、託する也。

と注釋する。「誰屬」の文法構造は、簡8-0157の「何律令𤻮(應)?」と同樣に、目的語の倒置法に係る。また、『漢書』張良傳に

漢王之將獨韓信可屬大事,當一面。

漢王の將、獨(た)だ韓信、大事を屬し、一面に當たらしむべし。

といい、顏師古注は、

屬,委也。音之欲反。

屬、委ぬる也。音は、之欲の反。

と訓ずる。

[iv] 鳥送書、初出。

[v] 「その名」は、尉史の㝼(う)自身の名前を指すと考えられる。すなわち、鳥送書という獻鳥の縣廷への輸送に關わる啓陵の文書には、尉史の㝼(う)に輸送を委託することが記されており、輸送を拒否した㝼(う)は、勝手にその文書から自分の名前を削り落とした。現代で言えば「公文書の變造」に當たるが、「削去」は秦律に定められた法律用語ではないので、本文書が問題にしているのは『二年律令』に明文規定がみえる奊訽と詈であろう(本簡注?參照)。

[vi] 走、はしる義から転じて、走らせる、追い拂う、驅逐すること。言辭による場合と武力による場合がある。『正字通』走部に、

走,訶斥使退

走、訶斥して退かしむるなり。

というのが前者、『史記』穰侯列傳に

秦使穰侯伐魏,斬首四萬,走魏將暴鳶,得魏三縣。

秦、穰侯をして魏を伐たしめ、首四萬を斬り、魏將暴鳶を走らしめ、魏より三縣を得。

というのが後者の事例と考えられる。

[vii] 奊訽、初出。

[viii] 詈、初出。

[ix] 獄治、獄もて治む、つまり正式な刑事事件として取り調べること。『漢書』孫寶傳には、

司隸寶奏故尚書僕射崇冤,請獄治尚書令昌。

司隸寶、故尚書僕射の崇が冤を奏し、尚書令昌を獄治せんことを請う。

と、『爲獄等狀四種』には、

212   (前略)發書,書類僞。𣪠(繫)官,有(又)撟(矯)爲私書,詣請□【□□。】

213   卽獄治求請(情)。(後略)

書を發き、書、僞りたるに類(に)たり。(癸を)官に繫ぐるに、又た矯(いつわ)りて私書を爲(な)し、詣請□【□□す。】卽ち獄治して情を求む。

という用例が見える。「獄」は、動詞「治」を副詞的に修飾し、「獄訊」の「獄」と機能的・意味論的に同じ。『二年律令』簡508には、

508   (前略)諸乘私馬出,馬當復入而死亡,自言在縣官,縣官診及獄訊審死亡,皆【告】津關。(後略)

諸(およ)そ私馬に乘りて(津關を)出で、馬、當(また)に復(ま)た入るべきに死亡せば、自ら在る(ところの)縣官に言え。縣官、(馬を)診(み)及び(人を)獄訊して審(つまび)らかに死亡せば、皆な津關に告げよ。

という。

[x] 七月己未より八日閒遲い七月丙寅には、同じ啓陵鄕發信の文書(8-0767)の集配記録に、郵人の「敞」が見えており、未釋讀字は「敞」の可能性がある。