文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類②(付券) |
【付券】 |
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添付書類①(上行文書) |
書出 |
三十四年(213)七月甲子朔癸酉(10)、啓陵鄕守の意、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
状況説明 |
廷の下しし倉守の慶がに言わく、 |
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佐の贛に令して、粟を啓陵鄕に載せしむ。 |
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用件 |
今 |
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謁うらくは、倉の守に令せよ。 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
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附記 |
送達記錄 |
七月乙亥(12)、旦、佐の贛、以て來る[iv]。/壬發(ひら)く。 |
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作成記錄 |
恬(てん)手す。 |
文書本體 |
書出 |
●七月甲子朔乙亥(12)、遷陵守丞の巸(い)、倉主に告ぐ。 |
本文 |
券を下す。 |
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書止 |
律令を以て從事せよ。 |
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附記 |
送達記錄 |
/七月乙亥(12)、旦、守府の卬(ぎょう)、行る。 |
作成記錄 |
/壬手。 |
[i] 粟六十二石とは、啓陵鄕の税粟と考えられる。簡8-1519背の記載によれば、秦始皇三十五年における啓陵鄕の租税總額は九十七石六斗となっていたが、六十二石はその六割強に上る。『漢書』百官公卿表に
嗇夫職聽訟、收賦税。
(鄕)嗇夫は訟を聽き賦税を收むるを職とす。
とあるように、税の徵收は、鄕嗇夫の職務の一環である。
[ii] 付券、初出。
[iii] 文法的には、「倉」の下の「守」を動詞と解釋して「謁うらくは、倉に令して守せしめよ」と讀む可能性もあるが、本簡の記述内容からすれば、「守券」もしくは「守粟」といった作業が生じる餘地がないので、「守」は、第一行の「倉守慶」、つまり倉の長官(代行?)を指すと考えられる。
記述内容を纏めると、倉守の慶は、倉佐の赣に啓陵鄕から粟を荷車に載せて搬出するように命じたことを、縣廷を經由して啓陵鄕に通知したが、積み込み作業の完了を受けて、啓陵鄕の長官は、赣の立會いの下で「付券」と「受券」を作成し、縣廷を通じて、付券を監査用に倉に送付した。付券には、啓陵鄕から佐の赣に交付された粟の數量が明記されている。倉の方では、佐の赣が倉に搬入する現物の數量を、付券に記されている數量と照合する。一方、「受券」は、佐の赣が啓陵鄕から粟を受領した證據として啓陵鄕に保管されると推測される。
なお、簡8-0157の「謁令尉以從事」を參照するに、「倉の守に令せよ」とは、「從事」を省略した表現で、同樣に律令等の規定通り處理せよというように理解される。
なお、9-0128+9-0204の「受券」と9-0785+9-1259の「付券」の対応関係(筆跡と刻歯とが一致)からすると、券の名義人の倉嗇夫と鄕嗇夫が一ヶ所に会する機会がなく、実際の作成者は「視平」を担当する令佐ではないかと推測される。つまり、鄕嗇夫と倉令佐の立会いの下で令佐が一枚の簡牘から「受券」と「付券」を作成し、鄕から県廷を通じて付券の方を倉に送付し、搬入時のチェックなどに供した。それとは別途に、年度末かそれ以外の決まった時に、鄕と倉とからそれぞれ会計書類とともに照合用に、これらの「受券」と「付券」とが「校券」として送られて県廷の監査を受けると考えられる。
[iv] 佐の贛とは、倉守の慶の命により啓陵鄕で粟を積み込んで倉に輸送した倉佐の贛と同一の人物であろう。本文書には付券が添付されており、県廷を経由して倉に送られることになるが、倉佐の贛が自らそれを倉まで持ち帰らず、県廷を経由して下達されるのは、県廷の監査を受けるためと考えられる。県廷までの本文書の輸送は倉佐の贛の手によるが、文書は封印したまま運ばれるから、改変等の危険は少なかろう。