文書構造 |
讀み下し文 |
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添付書類② |
【本来の用件を述べる洞庭郡の下達文書[i]】 |
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添付書類① |
書出 |
七月甲子朔庚寅(27)[ii]、洞庭守の繹、遷陵を追(おいつ)む(?)。 |
本文 |
亟(すみ)やかに言え。 |
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附記 |
作成記録 |
/歇手。 |
發行形式 |
●沅陽が印を以て事を行う。 |
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文書本体 |
書出 |
/八月癸巳朔癸卯(11)[iii]、洞庭假守の繹、遷陵を追(おいつ)む。 |
本文 |
亟やかに日夜上せ[iv]。留むることなかれ。 |
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附記 |
集配記録 |
/九月乙丑(03)旦[v]、郵人の曼(ばん)、以て來る。/翥(しょ)發(ひら)く。 |
作成記録 |
/卯手す。 |
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發行形式 |
●沅陽が印を以て事を行う。 |
[i] 本簡は完形にも拘らず紀年がなく、册書の一部と推測される。曆日が近く、且つ形態と材質が高い近似性を示すものとして、簡0775-0759の册書が注目される。本簡の中央に墨跡の擦れが觀察されるが、位置は、簡0759の編綴痕に同じ。從って、本簡が簡0775-0759と一つの册書を構成していた可能性が高い。
要検討課題:陳垠昶「里耶秦簡8-1523編連和5-1句讀問題」(簡帛網、2013年1月8日)も⑧1523を⑧0759の下に編聯するが、次のような問題がある
一つ、陳氏は、筆跡が一致するというが、そうは必ずしも断定できない。
一つ、0759の末尾には空白があるので、もとから追い書きで書かれている1523もその下に続けて書くべきなのに、簡を改めている。
一つ、0759の背面の「歇手」は最後の簡の背面に記されるはずだが、1523を編聯すると、途中の簡の背面に位置することとなる。
一つ、0755-0759は基本的に片面のみに文字を記しているのに、1523は両面書き。
[ii] 朔日に基づいて、この日は、秦始皇三十四年(213)七月二十七日と確定できる。
[iii] 朔日に基づいて、この日は、秦始皇三十四年(213)八月十一日と確定できる。
[iv] 日夜、晝と夜、ここでは副詞的に晝夜を問わずの意。『秦律十八種』に
183 行命書及書署急者,輒行之。不急者,日觱(畢)。勿敢留。留者以律論之。 行書
命書及び書の急と署(しる)したる者を行(や)るに、輒(ただ)ちに之れを行れ。急ならざる者は、日(ひる)ごとに畢(お)えよ。敢えて留むることなかれ。留むる者は、律を以て之れを論ず。 行書
と見えるように、文書の傳達は急と不急に大別され、皇帝の命書(=制書)と急と明示された文書は時を問わず卽座に傳達しなければならないのに、通常の文書は、晝閒屆いた分だけ當日中に處理すれば十分とされていた。『爲獄等狀』には、
156 人,日夜謙(廉)求櫟陽及它縣,五日聞
【……】人、【……】日夜、櫟陽及び它縣を廉求し、五日【……】聞き【……。】
と、晝夜休まず懸命に搜査に當たった令史を褒め稱える表現に「日夜」が使われ、次の1970年代居延漢簡には、徹夜作業にも拘らず完成しなかったことが述べられている。
四面,日夜作治未成□□ E.P.T50:223,A8
【……】四面、日夜作治するも未だ成らず□□【……。】
[v] 秦始皇三十四年(213)九月は癸亥朔で、乙丑の日は初三日に当る。