文書構造 |
讀み下し文 |
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文書本體 |
書出 |
二十八年(219)六月己巳朔甲午(26)、倉の武、敢えて之れを言う。 |
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本文 |
状況説明 |
令史[i]の敞・彼死、走の興を共にす[ii]。今彼死、次[iii]として當(まさ)に走を得べからず。令史の畸、當(まさ)に得べきも、未だ走有らず。 |
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用件 |
今 |
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書止 |
敢えて之れを言う。 |
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附記 |
集配記録 |
六月乙未(27)、水下六刻、佐の尚、以て來る。/朝半(ひら)く。 |
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作成記録 |
尚手す。 |
[i] 令史、官職名担当。
[ii] 共、初出。(ともにする・共同使用。睡虎地秦簡にみえる養・僕の共同使用に関する規定に言及すべし)
[iii] 「次」は、つぐ・ついでる(簡8-1514注?参照)から転じて、順序の意、ここでは席次・ランク等の順位を指す。賈誼『新書』六術には、
六親有次,不可相逾。
六親、次(ついで)有り、相逾(こ)うべからず。
という。『奏讞書』には、
185 (前略)律,死置後之次,妻次父母。妻死歸寧,與父母同灋(法)。以律置後之次、人事計之,夫異尊於妻,
186 妻事夫及服其喪,資當次父母,如律妻之爲後次夫父母。(後略)
律には、死して後を置くの次(ついで)は,妻、父母に次ぐ。妻死して(夫)歸寧するは、父母と與(とも)に法を同じくす、とあり。律の後を置くの次(ついで)・人事を以て之れを計るに、夫、妻より異(はなは)だ尊(たっと)く、妻の夫に事うる(こと)及び其の喪に服するは、資、當(まさ)に父母に次ぐこと、律の妻の後と爲ること夫が父母に次ぐが如し。
と、戶籍繼承の順序を「後を置くの次」と表現する。本簡の「次不當得走」は、席次に照らして走を配分される資格がないことをいう。『史記』呂不韋列傳には、
今子楚賢,而自知中男也,次不得爲適。
今、子楚賢なるも、自ら中男なれば、次として適(嫡)と爲るを得ざるを知る。
というように、類似した文法構造で、兄弟の生まれた順番に照らして嫡(よつぎ)になる資格のないことを表現している。本簡に記されている倉の文書には、經緯に關する詳しい説明はないが、席次が下がったため、彼死は走を使用する資格を失い、代わりに資格を有しつつまだ配分を受けていない令史の畸が走の共同使用を許可されると理解される。
なお、一説によれば、本簡の「次」は、本義の「つぐ」の意、つまり、席次、ランク等の順位が一段低いことを表す。それに從えば、本簡の釋文と讀み下し文は次にように改めなければならない。
(前略)今彼死次,不當得走。(後略)
(前略)今彼死、次なれば、まさに走を得べからず。(後略)
その場合、彼死が席次がさがったため走を使用する資格を失ったことが明言されることになるが、なぜ席次などが下がったかについては、人事評價等の制度的背景から自明であったためか、倉の上行文書は言及していない。
[iv] 處、とどまる・暫定的に居る義から轉じて、特定の用務を行う場所もしくは地位。『説文解字』几部には、
處,止也。得几而止。从几、从夊。
という。『爲獄等狀四種』簡143には、
143 (前略)譖(潛)訊居處、薄宿所。(後略)
居處し、薄宿する所を潛訊す。
と、居(お)る所・處(とど)まる所・薄(せま)る所・宿(やど)る所を區別していう表現が見られるが、「居所」が固定的住所なのに對して、「處所」は、特定の用務のために止まる場所を指すと考えられる。『二年律令』に、
305 自五大夫以下,比地爲伍,以辨□爲信,居處相察,出入相司。有爲盜賊及亡者,輒謁吏、典。(後略)
五大夫より以下は、地を比べて伍と爲し、辨□を以て信と爲す。居處は相察し、出入は相司(うかが)う。盜賊を爲し及び亡(に)ぐる者有らば、輒ちに吏・典に謁え。(後略)
とみえる「居處」も、居住と逗留、つまり安定的に住むことと、仕事等の目的のためにとどまることとに分けて理解される。『編年記』には、
028-2 廿一年,韓王死。昌平君居其處,有死□屬。
廿一年,韓王死。昌平君居其處,有死□屬。
というように、地位という意味の用例が確認される。
[v] 襲、よる、うけつぐ。『小爾雅』廣詁と『廣雅』釋詁はともに
襲,因也。
襲、因る也。
という訓詁を揭げ、『荀子』議兵には、
因其民、襲其處
其の民に因(よ)り、其の處を襲(つ)ぐ
という用例が見える。「繼」という訓詁は、『漢書』揚雄傳所引の服虔注を初出とし、孫詒讓はそれに基づいて、『墨子』雜守の次の用例を解釋する。
其次襲其處。
其の次は、其の處を襲ぐ。
本簡では、令史の畸が彼死の地位とともに走の興を敞と共同使用する權利を引き繼ぐ。
[vi] 籍、初出。
[vii] 定、定める・確定する意(簡8-0144+8-0136注?を參照)。簿籍の確定には、白紙からの作成と既存簿籍の改正・加筆が考えられるが、ここでは、令史の敞と彼死が走の興を共同使用していた時に既に關連簿籍が作成されているから、敞と畸による共同使用という實態に合わせて簿籍を書き換えることを指すと考えられる。同樣に、簡8-1560では、令史の朝が走として使用していた啓を令史の言が繼承するに當たり、倉が「符を定める」ようにという指示が與えられているが、それは「令史朝走啓」という符の記載を「令史言走啓」に改める手續を意味しよう。