讀下:8-1517a=b

文書構造

讀み下し文

添付書類

令佐の溫。

更戍士伍の城父陽翟の執。

更戍士伍の城父西中の痤(ざ)。

文書本體

書出

三十五年(212)三月庚寅朔辛亥(22)、倉の銜(かん)、敢えて之れを言う[i]

本文

状況説明

吏徒の事を尉府に上す者を牘背に疏書す。食は皆な三月に盡く。

遷陵は、田(官)能(よ)く自食す。

用件

謁うらくは、過ぐる所の縣鄕に告げ、縣鄕の次を以て續食すること律の如くせしめよ。雨ふらば、留めよ[ii]。投宿する能(あた)わずんば、齎(もた)らせよ。

附記

當(まさ)に騰(つた)うべきは、騰(つた)えよ[iii]

來たらば、傳を覆(しら)べよ。

書止

敢えて之れを言う。

附記

集配記録

作成記録

䑁(おく)[iv]手す。

 

[i] 「銜敢言之」の墨跡は他の部分より薄く、文字の間隔も間延びしている。加えて、「言」の字体が後出のものとは明らかに異なる。その背景について考察すると、本簡についてさらに次の状況が判明する。

本簡は、簡8-0110+0669と途中まで文面が共通しており、同じ案件の異なる手続段階の文書であると考えられる。すなわち、倉から本簡の上行を受けた県廷の吏がその文面を転写した上で、他県への平行の辞を加えたものが8-0110+0669となる。

このような手続の流れからすれば、両簡は筆跡が異なるはずであるが、実際には筆跡がよく似ている。また本簡が倉から送られてきたとすれば、通常は集配記録が記されるが、それも本簡では確認できない。

また、「𦡭(䑁)手」は本来、本簡の作成者を表す。8-0405の倉が発行した券にも「𦡭(䑁)手」とあるので䑁が倉の吏であることは間違いない。作成者が同じなので、本簡と8-0405とでは筆跡が一致することが予想されるが、実際は、例えばウ冠の書き方に顕著な差異が認められ、両者は異なるようである。

以上の状況を踏まえると、本簡と8-0110+0669は次のように処理されたものと考えられる。すなわち、県廷の吏である令佐らの出張に関する案件について、倉による続食手続の開始に先立ち、本来はまず県廷から倉に対して出張の件を通知する文書が送付されることになるが、本件の場合は、続食に関わる倉の文書を、最初から県廷で作成してしまった。倉吏の署名が入る部分だけは空けておき、県廷から派遣された通知の使者がそれを持って倉へ行き、空けておいた部分に倉銜と本案件の責任者である䑁の署名(「銜敢言之」・「䑁手」)をもらう。署名済みの文書を県廷に持ち帰ると、本簡と同じ県廷の吏が8-0110+0669を作成する。そのために、両簡の筆跡が似ている。集配記録がないのは、実際には倉から送られてきたものではなく、県廷の使者が本簡を持って倉との間を往来したためであると推測される。

[ii] 留、とどまる、とどめる(簡8-0648注?参照)、ここでは……を指す。(初出は簡8-0648だが、留遅の留とは意味が異なるので、注釈が必要。『二年律令』簡234-235「其有事焉,留過十日者,稟米令自炊」に基づいて、解釈すべし。『廣韻』には「宿留」という訓詁があり、陸徳明『莊子釈文』に基づいているようである。さらに訓詁を調べて注を執筆すべし)

[iii] 騰、おくる・傳送すること。『説文解字』馬部に、

騰,傳也。

騰、傳うるなり。

とある。「當に騰(つた)うべきは、騰(つた)えよ」は、然るべきところに傳送する指示。この表現については從來諸説があったが、最初に傳送という騰字の字義に注目したのは、張春龍・龍京沙「湘西里耶秦代簡牘選釋」(『中國歷史文物』2003年第1期)、最初に文法構造を正確に分析したのは、胡平生「讀里耶秦簡札記」(『中國文物報』2003年9月12日・19日。2004年には、『簡牘學硏究』第4輯に再收錄)。「當に騰(つた)うべきは、騰(つた)えよ」という訓方は、馬怡『里耶秦簡選校』(『中國社會科學院歷史硏究所學刊』第4集、2007年)の「或說」に基づく。受信者には、傳送もしくは轉送すべき宛先が了解されていたので、傳送すべきところに傳送せよという指示で、その他の然るべき受信者にも然るべき經路で文書が傳送されていたと考えられる。

なお、騰字に、「うつす」意味がなくても、傳送の際に謄本が作成される可能性はもちろん排除できない。そのためにこそ、騰字は實は謄の假借ではないかという疑念が拂拭し難いように思われるが、『儀禮』燕禮には、

媵觚于賓。

觚を賓に媵(おく)る。

といい、鄭玄注と賈公彦䟽が指摘する如く、漢代には「媵」は「騰」に作っており、「媵」と同樣に、「騰」も明らかに「おくる」、つまり許愼のいう「つたえる」意にほかならない。鄭玄注は、

今文媵皆作騰。

今文、媵は皆な騰に作る。

といい、賈公彦䟽は

騰與媵皆送義。

騰と媵は、皆な送るの義なり。

という。

《說文》馬部:“騰,傳也。”當騰騰,應當傳送者傳送。最初關注“騰”字傳送義似爲是張春龍、龍京沙〈湘西里耶秦代簡牘選釋〉(《中國歷史文物》2003年第1期):“當騰騰。詞語見於雲夢睡虎地秦簡之《封診式・有鞫》:‘......當騰騰,皆爲報,敢告主’。舊以第二‘騰’字屬下讀,非是。疑第一個‘騰’字爲‘謄’,是抄錄的意思;第二個‘騰’字讀爲本字,是傳送的意思。”最初正確理解“當騰騰”的語法結構似爲胡平生〈讀里耶秦簡札記〉(《中國文物報》2003年9月12日、19日,後刊於《簡牘學研究》第4輯,2004年):“‘當’是‘應當’之意。‘當騰騰’的兩個字都要讀爲‘謄’,是說應當移寫抄錄的部門就抄錄給他們”。馬怡《里耶秦簡選校》(《中國社會科學院歷史研究所學刊》第4集,2007年)則提出“或說”,正確分析:“‘騰’讀爲本字,‘當騰,騰’意謂‘應該傳送的,傳送’。《后漢書・隗囂列傳》:‘因數騰書隴蜀,告示禍福。’”另外,雖然“騰”字並非“抄寫”義,但“當騰騰”之“騰”實際上與現代文書用語“抄送”無異。

[iv] 𦡭(䑁)、人名。『康煕字典』備考の未集・肉字部には、

「𦡭,『川篇』同䑁。」

という。䑁字は、『玉篇』肉部および『廣韻』屋韻(烏谷切、オク)と沃韻(烏酷切、オク)に見える。『玉篇』の反切も烏酷切であり、それに基づいて字音を附した。なお、校釋は、「𦡌」に作る。𦡌字は、『大漢和辞典』附録(49549)に収録されており、

ヨ。𦡭(9-29965)に同じ。

といい、𦡭の項では、さらに、

ヨ。〔玉篇〕:音預。あぶら。又、𦡌に作る。〔玉篇〕𦡭、脂膜也。亦作𦡌。

というが、今本玉篇の肉部には𦡭字も𦡌字も見当たらず、残本玉篇にはそもそも肉部は残されていない。